前回(四輪で)よりの続きとなります。
前の相棒(318ci)はあちこちで非力だと言われ続けました。良い車だとも言っていただきました。
ポテンシャルアップはいろんな方から言われた事があります。皆さんそんな本気で言っておられたかどうかはわかりませんが…
現在の状態で上限を引き出せたらやってみる…考えてみた事もあります。
結局、ポテンシャルアップは、費用対効果の問題としても、あの車の良さをどう捉えるかということと照らしても、あまり良い事になる様には思えませんでした。
他にも諸事情考えた末に、まだ車の実力の上限を引き出せていないけれど318ciを手放して、るーさんをなんとか手に入れて今に至ります。
その過程で、車の能力の上限とはどういうことなんだろうなあという事を、長いこと頭の片隅で考えていました。
四輪の車で走る時に、四輪以上のグリップを使うことはできないけれど、操作で四輪以下の荷重になることはあり得ます。荷重は常に変動しているから、前荷重という言葉を昔から聞く事もあったのだと思います。
師匠の運転に同乗すると、車は前後左右によく動いて荷重は刻々と変わっていくけれど、四輪が路面を捉えている感覚は変わりません。
そのあたりから、四輪のタイヤのグリップと荷重移動を使い切れたのが車の上限がなのかもしれないな、と思います。
おそらく、その上に四輪ドリフトが来るのではないかなあ、と思うのですが。
確認したことはありませんし、そういうものを実感として感じとれたことは無いような気がします。
四輪ドリフトは、以前本(新ハイスピードドライビング)で読みました。
わかった、とは到底思えませんでしたが、その中で、スリップとスライドの話があって、ずっと気になっていました。
(勉強を重ねた方は、とても難しい言葉を沢山使われるので、読んでいて霧の向こうを見ている様な気がして拒否反応が出そうになるのですが、食い下がれば霧が薄くなる事もあるもので。最近は、その難しそうに見える言葉でないと、ちゃんと説明がつかない場合が、往々にしてあるのじゃないかなと思っています。
私自身も細胞でできていて、私の気持ちですら、細胞レベルの反応で作られているのだろうし、物は必ず物理で動くのだから、日常で起きている事は必ず理屈の組み合わせで起きているはずです。
食い下がれば、賢い人の話を切り崩せば、ツメの先くらいの進歩はあるかも。そんな感じで読解チャレンジしてきました)
車が走る時に、タイヤは常に少しずつ滑っているから走って行くのだから、「スリップして事故をしました」と日本語ではよく聞くけれど、結局、「滑りすぎた」というのが厳密な言い方になるのかもしれません。
本ではポールフレールさんは、滑りをスリップとスライドに分けて、その境目をどう見極めるか、ということを書いておられました。私は、それは実感としては分かっていないので微妙で言葉にはならないですが、スリップを通り越して、カウンターを当てる必要があるのはスライドの域だということらしいです。
スリップをどう使うか、ということが書いてあるところなので、スライドは良くないと判断。だとすると、(オンロードとオフロードは違う様ですが)故意にリヤを浮かせてスライドさせる、というのは、他にもいろいろ思うところもあり、最速には向かわないのじゃないのかなあと思うのです。
確かに、滑ることは速く感じます。滑っている間に少し速くなるかもしれない時間と、イーブンスロットルでボトムスピードを上げて、姿勢コントロールでクルマの向きを楽に変えて立ち上がりを早くして、タイヤがまっすぐな時に思いっきり加速した分の速さの時間とどっちが多いか、どちらが走っていて楽しいかと考えました。
自分の受け止め方としては、コーナリング中に4本のタイヤの荷重が偏って大幅に減ったとか、抜けるという段階で、助かるか助からないかの「黒っぽいグレーゾーン」に身を委ねて走っているのだと考えています。(いや、車が少しでも動いたらそこは白っぽいグレーゾーンの中だと、本来は考えなくちゃいけないんだ、きっと)
足をかためれば、切れ込みは鋭くなるだろうし、グリップを高めれば路面には食いつきやすくなります。ブレーキパッドやローターをランクアップすればより鋭い減速が可能。ポテンシャルアップの入り口だけはほんの少し体験しました。
足がかたい車で、コーナーギリギリでドッカンブレーキを踏むと、足の柔らかい車より、リヤにしろイン側にしろ浮きやすいと思います。
柔らかい足の車は破綻する前におーっと…みたいな猶予があったりしますが、かたい足回りは荷重が抜ける時は、猶予なくコーナーのアウト側へすうっとスライドして行くのだと思います。(以前、KONIの減衰をフロントだけ一番硬いところまで締めてゆっくり走ってみて、手続きを踏まずにターンインしてみて驚きました。)
グリップの強いタイヤはグリップが抜けたときには、反動が強いのではないだろうかと想像します。
ということは、高性能な部品をつければつけるほど、ポテンシャルアップすればするほど、グレーゾーンは狭くなっていくのじゃないかなと思います。
そうすると、例えば今の自分(運転技術が未熟)がそういう車で思い切りよく行って失敗すれば一気にブラックゾーンです。
もしくは自分の能力に合わせると、ポテンシャルアップした分だけの伸びしろを引き出せなくなります。
ポテンシャルアップの前に、車の限界を引き出せたかどうかを何で判断すれば良いのでしょう。当時私はそれがはっきりしませんでした。
タイムだけでは判断できない、それが自身の経験からわかったことでした。
ユイの受講前、ミニサーキットで半年で6秒タイムが上がりましたが、実は運転は間違っていました。
自身では何かが違う気がするが、知り合いは諸事情で一緒には走れず、私の運転状況の報告も間違っていたので、誰も現状把握が出来ていなかった。
何かがおかしい、絶対これ以上は速くならない気がする。
ユイを受講した理由のひとつです。
四輪を使い切る訓練をしていれば、上限を自分で判断できる様になるのではないかと思います。四輪で、正しい操作をしたという確信があって、それでタイヤのグリップが耐えられない所が車の上限になるのではないかと。
無理やり姿勢を崩して車を回して行こうとすると、グレーゾーンに入るのが早くなり、どこまでなら大丈夫かということを常に考えなくてはならなくなりはしないだろうか。
そう思うようになったので、四輪で速く走る、イーブンスロットルを教えてくれるユイレーシングスクールに行きたいわけです。
オーバルでイーブンスロットルでコーナリングをする練習をしていると、小さな失敗や破綻の芽に気がつくようになってきます。グリップが抜けてないから修正もできるし、修正の方法もだんだんわかってきます。回る時は、頑張ったからでなく、その芽に気づかなくて対処をしなかった時です。
それを習っている人同士が一緒に走る方がお互いに向上を目指せます。
パイロンで作ったオーバルコースにサーキットやレースの基本がみんな詰まっています。
それが、私がフジまで通ってユイに参加し続けてきた理由、オーバルレースに参加してみたい理由です。理由は他にもあるけれど、今は書ききれません。
ゼロスタートの主婦がやってるんです。日本とかアメリカとか関係ない。教える人がいればできる。
そういうことが地元で、何かの形でやれたらいいなという思いを、すぐにはできなくても、忘れないようにしたいと思います。
本当は、自分がもっと出来てから書きたかった事なんですが、時間がかかると思います。
運転技術っていうのはすごくプライベートであって、その人にとって、とても大切なものです。積み重ねた人生に似て。私はそれを批判する気持ちもないし、実力もありません。他の人がどういう風にしているかを知る時間は多くなかった。
ただ、教える人が少なかったから、知らなかったから、環境が無かったから、過去の自分の様に一生懸命なのに間違った方向に行ってしまう、というのがもったいないと思います。少なくとも、そういう人が自分以外にもいたのだと言うことは、参加し続けているとわかってくるし、何をしているのかに興味を持ってくださる方は居たわけだし、どこかで誰かの目に止まって、考えるきっかけになったら…。
運転が大好きで、運転が各人にとって大切な何かだと分かった上で、ズバリと足りないところを指摘してくれる講師が居て、悩む事はあるかもしれないけど、自分で考えて動かないと第2第3の進歩はないけれど、間違った方向に行こうとすれば止めてくれる、楽しく走れる環境が用意されている。これに乗らない手はないと思った。
上に書いたような、自分の考えていることが本当にそうなのか、時間をかけて確かめていきたいと思います。