るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

春だ、ドライブだ、サーキットだ/運転の幹

 日差しが、ほんとに春めいてきた。眩しい。
花粉症持ちなのだけど、やっぱり、春はウキウキする。花粉症の薬も昔に比べれば随分良くなって、昔ほどボーッとしたり、薬飲んでいても夜中に鼻づまりで目が覚めて…みたいなこともなくなってきた。
 暖かくなると、車も楽しそう、な気がする。ゴムも油も暖かいほうが柔らかいし、電気だって春の暖かさは流れが良くなる気がする。
春になると車をちょっと動かすだけで、軽くて滑らかでウキウキする。
これでオープンカーだったら、もう出かけたくて仕方ない、様な気が、オープンカー乗ったことがある身としてはするのだ。
結婚した時に家にあったのは元年式のロードスターのみ。いっしょうけんめい運転した。夫の相棒のセカンドをすり減らしダメ押ししたのはきっと新妻の私(笑)。
ミッション交換。嗚呼、若かった、初々しかった、もうもどれな〜い
あれからにじゅうねん〜(笑)

もう、随分前のことなのだけれど、私がユイレーシングスクールに通いはじめて暫く経ってから、お知り合いと話していた時のこと。
で、どうなのよ(ユイについて)…的な空気になった。
今もある意味そうなのだけれど、ユイで何を教えているのかと聞かれると、なにをどう答えるのか迷う。
一言で言えば「安全に速く走れる」とも言えるし、「タイムアップできる」「峠の走りが良くなる」とも言える。
結局のところ、「車を動かすために必要な基本的なこと」なのだと思う。
それでは説得力がない?と焦ってしまう自分が何処かにいて、言葉を迷う。

基本を知ってそれを受け入れた操作をすれば難しいことではなく、ただ動いている、から、楽に速く安全に動く、になる。
それは公道の安全にも、サーキットのタイムアップにも役に立つ。
ベースにあるものは公道もサーキットも同じだと思う。
違うのはスピードとそれに伴う結果。走る目的も違うけれど、車が動く理屈は同じ。

ユイで習って、サーキットは、どれだけ危険なところをギリギリ攻められるかを競う場所じゃないと知って安心した。

 より速く安全に走るには車に合った運転をして、車に楽をさせて余力を持たせる方が良いのだから、それを日常の運転に当てはめれば、当然車は長持ちする。

それだけのことなのだ。
運転の幹の部分を習って、一番大事なことを練習すれば、自然と枝葉の部分は自分で考えられる様になって行く。

多分私は凝り性だ。
ユイに行くのに知多半島からフジまで2年半で10回以上通った。
ちょっと凝り性だからなんだろうと思う。若い時の人生の重苦しさもちょっと反動になってるかもね(笑)
元々、ユイを知るよりも前、車で自由自在に走る話を聞いて、運転を追い求めた末の「自由自在」「人馬一体」にあこがれた。
おそらく運転には大原則があって、それを基礎に練習を重ねたどり着きたいって思ったのがサーキットの門をくぐったきっかけだった。
だけど、やってみたら自由自在には自分の運転は遠かった。
ユイに参加して初めて同乗走行で師匠の隣に座った時に、これなら楽しい、これで良いんだ、これだと思った。

ユイに参加しはじめて、運転で車が楽に、峠を走って楽だ、というのは、1〜2回参加して実感した。それでも十分でそこでやめても良かったけれど、凝り性だからその奥が見たくなった。ここなら自分が納得できるかもと感じた。

私が2年半でユイに投じた費用は、車をポテンシャルアップやドレスアップすれば消えてしまう額じゃないかなと思う。


一生懸命になっていたら、いろんなことが見えてきた。

 つまらんなと思うのは、一般にサーキットは特別な車が走るところ、サーキット走行はお金がかかる、サーキット行くなら車をいじってないと恥ずかしい、などなど、全て真っ赤な嘘ではないけれど、さまざまな誤解が存在してるんだなと感じた時。
 なんだか普通の車が二の足を踏みたくなる状況になっているようにも思ったことがあるけれど、意外とサーキット側は普通の車ウェルカムなんじゃないかと感じたし、門をくぐってしまえば特に気にならない。

 車をいじるのが悪いって言いたいわけじゃない。でもいじってないと走れない、は変だよ。
車をいじれば前より腕がいる。腕がなければ苦しく危険度が上がるだけだ。

だからサーキット行くならまずいじって、は誤解だと思う。

いじりじゃなくメンテナンスはいる。

空気圧と冷却水、オイル量。

1年も2年も変えてないオイルで走っちゃいかんと思う。
いじるなら車のことを最低限勉強するべきだと思う。最低限の知識があれば悪徳ショップに騙されることもない。
私は自分が世話になっているショップを信頼しているけれど、少しでも、自分で知っていたほうが、なにかとお店とも話がスムーズで納得がいくようになった。
私が勉強していることを知って、ショップの人が前より詳しく説明をしてくれる様になった。
でも、私はメカあまり知らないから、偉そうなことは言えないな。


もうひとつは、純粋に車を楽しんでないなという立ち居振る舞いを見かけた時が残念だ。見ず知らずの人だったので具体的内容は自粛。

その人のすべてを見たわけではないけれど、その人は、そう思われても仕方がない状況をいくつも作り出していた。

知らないんだとしたら哀れだ。

私も知らなかったし、まだ知らないことが沢山ある。


 
 以前、アメリカのレース(デイトナだったかな)をテレビでやっていて、解説の方の話で「須走おとし」という言葉を初めて聞いた。その放送の現場でも「それ知ってるのここでも二人くらいですよ」って笑い話になっていたけど。
フジのあの辺りを「須走(すばしり)」という地名なのを知っていたので調べてみた。
フジスピードウェイの昔のコースでバンクのついたところらしいのだけれど、そのコースがどういうものだったか、その後の日本の自動車レースで事故が起きたり、オイルショックがあったりして、レースに対する世間的な印象が変わっていったことなども一緒に書いてあった。
 それとは別に、70年代かな?の日本でのあるレースの大事故について当事者達への取材を元に書いた本を、運転を習うよりも以前、読んだ人に薦められて読んでみたことがある。背景にあるものは奥が深いと思った。

 日本で草レースが初めて認められて開催されたのは90年代に入ってからだときく。
私が10代の頃(80年代?70年代?)は暴走族が多かった時代かな。なぜそうなったんだろう。
同世代前後だと特に不良や暴走族でなくても、峠を攻めたとか、峠を下ってきたら警察のサーチライトに照らされたことがあったとか、そういう昔話も又聞き程度で聞いたことはある。
自分の知っている範囲は少ないけれど、現実を見たわけではないけれど、そういう流れが今につながっているような気がした。

なんだか息苦しくなった。

バイクや車で事故をした人も知っている。

自分も公道で回ったことがある。

ユイで運転を学ぶことで幾つかが自分の中では解決していくのを感じた。

運転の方法を知れば安全に走れる
運転の方法を知れば速く走れる
危ない運転の人を見分けて近づかないことができる
運転の方法を知り、操作法をFIXすれば、車やパーツの良し悪し、劣化に気がつく
運転の方法を知れば、車をいたわって長持ちさせる事ができる
燃料もタイヤも長持ちする
みんな実感した。
まえ・うしろ・みぎ・ひだり・UP・DOWN・加速感・減速感・フラット感
私が気にしているのは主にこれだけ、な気がする。
まだ、自分がどのくらい出来ているのかわからない。
最近やっと、慣れた所だと、こうしたい、というイメージで、考えないで自然に実行している場面に気がつく瞬間が出始めた。速くはないし、人様に説得力のある走りではないかもしれないが、運転はホンマにおもしろい。