るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

父の仕事とわたし

 今日は春の最後の?お楽しみ。

かなりご無沙汰していた。

おひとりさまランチ。ここは車で来て写真を撮っても絵になるし、ひとつだけ他の席から離れた席があって、そこが好き。庭も良い感じで落ち着く。(CAFE MORRIS)

 

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 今年度の父の仕事の予定が出て、予測もしていたし、話にも聞いていたけれど、5月、特に6月は、父の仕事が立て込み、私が要介護の母をお守りする日が増える。

父からも謝られたが、仕方ない。

5月の連休明けから7月末が最初の山。

 


学校の教師の指導をする仕事をしている父は、自分の都合も言える立場だけれど、学校という現場の動かせない都合や、1年を通じての現場の育ちを見て後押しをするためには、ここでなければいけない、という時期があるのだろうと思う。

 毎年必ず6月と11月がピークで、そこは覚悟している。

 


親の仕事を口に出すことや、書くことは本来は嫌いだ。

だいたい、優秀な親とそのお子様的な反応をいただいてきた。それはいたって普通で、自分も立場が違えば同じ様に思うかもしれないから、嫌、な訳では無いのですよ。

 

 ただ、私はどちらかというとほったらかしで育った(親が仕事に打ち込みすぎて父子家庭だった時代もあった)し、父も田舎の八百屋の息子。

担任を持っていた頃は、ダジャレ大好きで、年度の最初は、子供たちがポカーン。夏頃にはウケる。年度末には先を越される、を楽しんでいた様な人。

 校長時代には、新任だというのに、入学式に1年生の心を掴むために、ぬいぐるみに名前をつけて腹話術よろしく喋らせた(笑)。

1年生大喜び、6年生は「おー校長そう来たかー」だったと楽しそうに語っていた。その後、

「校長先生!〇〇ちゃん元気?」

会うたびに小さい子供達に言われてつじつま合わせに苦心した(後のこと考えてなかったのね)。そんな人だ。

なのに大学教授とタッグを組んで早何十年?親子だけど、わたしにはさっぱりわからない(笑)


 70こえてから、父も今までの様に体に無理が効かなくなり、いくつかの事が起きて、私しか言う人が居ないから、体に無理をしないようにと小言はいろいろ言ってきた。

 父を親だと思うよりも、ひとりの教師として、何かに打ち込む人として尊敬するが、家庭人としてはどうであったのかな(笑)

人がなにもかもみんな成功するには、1日24時間では足りず、ひとりの人生では短い様に思う。そういう人生に憧れもする。だから良いのだ。万が一あなたが目的を見失ったら、わたしはどうしたらいいのかわからない。

言った小言は、今思い出しても、おこがましくて心が痛む。

そのバイタリティが、父のキャリアを作ったのだということも、その道が平坦ではなかったということも、想像するに余りある。

  そんな父を持ったけれど、私は特に何か大成したものもなく、手に職もない。

家庭と夫と車には恵まれた。子供たちも取り立てて優秀ともいえないが、素直に育った。

精一杯頑張った。夫の両親も見送った。

いろいろ思い返すと若気の至りが恥ずかしい。

 

 

 

 私は文章を書くのが好きな方だと思うけど、それは子供の頃から、喋りがあまり得意でなかったし、最初の一言がとっぴょうしもないからなのか、誤解をされて仲間はずれになったりしたことも多かったし、気がついたら大事なことは手紙に書くようになっていた。

  でも、その手紙も、褒めてもいただくけれど、長い、と言われたこともある(笑)

 近年特に、文章に逃げないでも人と関わっていける様にしないとなあと思っているところもある。

 

 

さて、介護の手伝いが忙しいとはいえ、毎日ではないし、体力的にというより、メンタルダメージの方が実は大きいから、気分転換は大事。

どこかで一回平日空いてることもある西浦に、久しぶりに行ってみる!

という事を自分の餌にして家庭と介護に精進。