るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

親の背中は大きくて小さいぞ。

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内容とはまったく関係がないけれど、うちの親の猫。

ぴーんとのびた前足がいつも気になる(笑)

 

 私が免許を取った年の秋、AT免許ができた、という記憶があったのだけど、調べてみると、計算が合わないので、私が聞いた話はAT免許ができる、という話だったのかもしれない。

どっちにしろ、立派におばさん。

(Ikkoさんで)アラフィフぅーーー!

 反省しています

 

 子供たちが免許を取る年になった。

上の子はあとは試験場を残すのみ、下がこれから。

自分が年を食うわけだ。

強く勧めたことはないけれど、上はミッション車コースで教習終了。(MT、AT 、Hybridは経験、最初の路上教習は夜間の土砂降り・笑)下も今のところミッションの腹づもりらしい。理由はそれぞれ彼らなりに。

 母親としては、シフトはどっちでもいいから事故なく怪我なくさせることなくいてほしい。

  通学のために駅に送り迎えする中で、親の昔(ユイレーシングスクール受講前)と今の運転の比較、道中のその時の周囲の現状報告と私自身の様子で彼らなりに思うことがあったらしく、まず自分が出発に遅れないことが、安全につながるとは思うらしく、ギリギリになっても急いでくれとは言わない(笑)親が急いだらどうなるか…と想像もするらしい。(笑)

 よくよく聞き出してみると、両親のどちらの運転も、同じではないけど実は以前は乗せられていて時々怖いと思っていたそうだ。

 

反省しています2

 

彼らが何が怖かったのかは、今自分で分かる気がする。特にすごく飛ばさなくても、周囲や道路状況との速度の兼ね合いとか、曲がり角、ブレーキのかけかたひとつとっても。

 運転者の自分も含め、 同乗者が安心する運転、乗り心地の良い運転の自分なりの理想は、自分の中ではニュルやルマンの空撮映像。

おかしいですか?(笑)もともと運転を習いに行ったのは、ああいう流れるような美しい運転をしたいと思ったからだったんだよね。

 


で、習ってみて納得したのは、公道の曲がり角はベタベタに減速、場所と状況にもよるけれど、最高速は制限速度の少々上くらい、だった。

同乗者はステアリングを握っていないし、運転者がどのタイミングでどういう操作をするかを深くは予測しないし、腰で乗ってくれるわけでもない。

 曲がり角を「コーナー」と称して速そうに曲がろうと思っても、曲がり角は曲がり角で、アウトインアウトもできない。ターンイン速度が高ければ車が不安定になって失速して、速くもなくスムーズでもない。

 それに心底納得がいった。むやみに急ぐと、心がざわざわするようになった。

サーキットでも、速く走るにはコーナーでどれだけ奥までブレーキを我慢するかが勇気の証ではなかった。どこでスロットルペダルを踏み込み、どこを我慢するかは、急ぐ気持ちとは関係なかった。

 サーキットでする走りも、公道も基本は同じ。

流れるような走りを日常に落とし込んだら、きっと周りから遅いと思われることも時にはあるかなと思う。

まあ、日々反省の繰り返し。

 

子供が車を運転することは心底怖い。

日本の自動車学校のシステムは、ある意味ありがたいと思う。

だけど、教習のテキストを部分的に見てみたけれど、運転においてすごく大事なことに対して、説明不足だと感じたことがあった。

確かに、自分はこの3〜4年、必死に考えたり、本を読んだりしているけれど、特別難しいことを知っているつもりはない。聞く心があって教える心があれば、大多数の人がイメージを持てることを、日本では教えようとしていないのではないか、という疑問を持った。ユイレーシングスクールでその事実を知って、すごく驚いた。

自分がわかっていなかったことは、日本では教えてくれるところが限られると、今は思っている。

 

 いろんな人がAI時代の到来を話題にしているけれど、まともに感じる話として、AIに人間の立場が搾取されるのを憂うなら、自分を深めろとか、AIがしてくれることを利用してもっと自分のやりたいこと、できることを進めろと言う話を見聞きすることがある。それは、なにも万人が難しいことを理解しなければならないとは限らないと思うんだよ。

 AIとか自動運転が実用化に向かっている今、自らの運転に大きな関心をもつ必要がないと感じる人もいるかも知れないけれど、ああいうものが本当に自分の周囲を覆っていくのは、もっともっと先だと思うし、それまではカオス、大きな社会実験に巻き込まれていくと私は思ってる。自分がしっかりしないと乗り切れない。

(そもそも、自動運転の未来の報道を見る度に疑問を感じるポイントがたくさんあるのだけれど、本当に安全に実現するのだろうか?私程度の脳みそではよくわからない。イメージ的には人がものすごく気を使う構図が浮かぶ。特に日本人は効率より情を優先する民族なように思うから、機械に対して遠慮したり憤ったり。将来AIが自動運転をどう結論付けるのか楽しみだ。

ちなみに賛成かどうかは抜きにして、私のひとつの意見は、自動にするなら、その区域全体の移動を徒歩も含め全部自動以外はダメとするほうが良いのでは?でもそうすると、人間がジョギングするスペースが公園内に設けられるようになり、そこで「交通」に慣れてないない人間同士がぶつかるような気がする)

車で言うなら、サーボや各種アシスト、AT、クラッチレス、CVT、ABS、危険回避…もうすでに機械の方の都合で運転はある程度左右されて、NHKの番組のチコちゃんじゃないけれど、ぼーっと生きてると、どうしてアシストされたのかもわからずに車に乗せられている。私だって半分そんなところがあるように思う。

昔は車がシンプルで頑固だったから、車から運転を教わる(下手こくと走らない曲がらない)ことができたけど、その昔を知らない若い人は、車が動くことを理屈で勉強して自分の方から車の運転に興味を持っていかなくては車を知ることができないだろうと思う。

「まあ難しいことは抜きでとにかく走ってみましょう。やればわかりますから」

それだけではではこの先はある意味無理があるような気がするのだ。

大まかでいいから理屈も知っていたほうがいいと思う。

ともかく、昔になりつつある名残が残るMTの教習車を子供が経験しておいてくれるのはありがたいと思った。

おばさんは、今の交通システムをありがたく味わっていこうと思う。

あとは、若い世代の子どもたちにもいろいろ教えてもらって、一緒に頑張ろうと思う。