るーさんと駆ける 

「カメだって全速力」(mamogame.hatenadiary.com)第2章。Renault LUTECIA3 RS とシュフ。

交通ってなんだ その1

 腱鞘炎が治らないなぁ。

この間の注射は効いたのだけれど、家事再開のタイミングが早すぎたらしくぶり返した。初めてだから、まあ仕方がない。

今週末から子どもたちが冬休み。手伝ってくれると言っている。

それを見計らって再度注射かなあ。今度こそなおそう。

中指が伸ばせないから、ここのところピースサインができない女になっている(笑)

 

師走もあと10日余りとなった。

名古屋市内に住んでいた頃は、この時期は出かけるのに車を使うのが嫌だったなあ。

なんだかいつも以上に殺気立っていて怖かったっけ。

 

ブログというものを発信し始めてから、多分10年以上経つと思う。

その間に、一度やめてみんな消した。1年以上ブログ書かなかった。

ユイレーシングスクールに通い始めて1年経つかどうかくらいのことだった。

別に誰かから何かを言われたわけではない。

運転の師匠からなにか言われたわけでもない

(そもそも「弟子」というほどのこともできないししていない。私が師匠だと思っているだけ)

いい意味で、自分の中で革命がおきた。

正直なことを言えば、最初に師匠と対峙してからしばらくは、参加のための前泊で眠れなかった。でも逃げたくなかった。この先の自分にとって必要な何かが目の前にあるが、すんなり受け止めるには時間がかかると感じたし、全部は見えなかった。

 別に、師匠がなにか私に厳しいことを言ったわけでもない。何かを問い詰めたわけでもない。

指導はいつも的確。的確すぎてぐうの音も出ない(笑)。

だけどいつも楽しげだ。こちらも楽しい。

 

 多分、師匠の物事の考え方だったり、生き方だったり、周囲との関わり方みたいなものを、参加して関わるたびに見てきて、思うところがあったのだと思う。

師匠の周りに集まる人の影響もある。初参加の前日に、本当に偶然にお目にかかれた先生の宿からフジまでの運転が忘れられずにずっと心に残っている。

 

 私自身が、生きてくる中で納得が行かなくて、苦しめられてきた様な事を、今でも残る何かを、師匠は自分なりの方法で解消して生きてきたのじゃないか。それで、人の役に立っているっていうのはすごいことだ。

まったくもって私の勝手な想像だけど。

だからまとわりつこうと思っているわけではない。そもそも誰かにまとわりついていては、あの人のようには生きられない。師匠だけでなく、私がこれまで出会ってきた、尊敬している人はそういう人が多かった。

 

 私自身が運転がうまくなったかどうか、他者からの評価はあんまりわからない。

タイヤは大体前後均等に減るようになった。車と自分の足の裏が連動する感はある。

イメージで曲がり方の手順の組み立てと、途中修正は一応しているっぽい。

失敗するとターンインの瞬間にしまったかなと思う。

だからといって速いわけではないし、集団の中で今すぐ上手に走れるとも思わない。

 

上のことを読んで、思い浮かべる出来具合はきっと人それぞれ(笑)

大体、自分で「これが出来ている」というのは時として幻想であることも多い。

思い込みってやつ。今まで何度もあった。でも、そこは内心素直に喜ぶことにしてるんだ。

自分の進歩を喜びつつ、幻想に惑わされないのは難しいや。

 

タイトルにもした「交通」ということを考えるようになったのは、ほんとうの最初はユイに行く前だった。運転がうまくなりたくて仕方がない時期があった。公道でも今より平均速度は高かったと思う。

ただ、ちょっとだけやってみて、速度を上げるといろんな意味での危険が増えるのがわかったので、どうすれば良いのか困った。正規でなければ、どれだけ頑張っても、運転がうまくてもそれは実を結ばないと思った。それでは虚しい。

それが「交通」を本当に考え始めた最初だったと思う。

そういうのもあってサーキットに行き始めた。

 

 ちゃんと習いたいと本気で思ったのは地元のワインディングで砂を拾って回った時。

今思えば、なんてことない中途半端な速度でノープランでゆるい下りの先の深いコーナーに入った。この先どうしたら良いか迷っていた。直前で、自分はこのままじゃダメだと思って速度を下げたが、それも中途半端だった。

多分少しアンダーステアが出て、駆動輪の後輪が道路脇の砂を拾った。迷わずフルブレーキで対向後続なしだった。スキール音と煙、対向車線の縁石とその向こうの林。順番に通り越していった。助かったと思った時に後ろから車の気配がした。

もう次はないと思った。

 同じところで廃車にした例があると後で聞いた。

 

 そしてユイレーシングスクールに夫のすすめで初参加。夫が90年代に師匠が雑誌に書いた記事を読んで存在を知っていた。アメリカにあるストックカーレースの記事。

アメリカではこんな面白いことをやってるんだと知ったんだそうだ。

後年、ENGINEのスクールの記事を読んで存在を思い出したとのことだった。

公道スピンの前に言われていたのだけど、遠すぎると思って諦めていた。

しかし、ユイの教科書を読んで趣旨に賛同した。

夫にはいろいろ苦労もかけられるけれど、彼はいつも、私の人生の鍵を握る出会いをもたらしてくれる。

 

ユイに通っていく中で、日常でもその効果を試したくなる。

しかし、アウトインアウトの交差点はない(笑)

そもそも、公道は直角コーナーばかりだ。

一時期その中でいかに練習するかを必死に考えて実験してきた時期もあった。

で、結局平均速度が若干高い(飛ばしてはないが曲がり方として違う)時期があった。

思慮が足りなかったなあと思う。

 

その2へ続く。