るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

交通ってなんだ その2

その1 の続き。

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ちょうどその頃、冬にフジのショートコースで、ユイレーシングスクールのスクールレースがあった。

そこでその頃意気投合した、同じ愛知県から通うひとまわりも年が違う人とチームを組んで、私の車で出た。彼のしていることは本当に勉強になった。

 私の車のポテンシャルは周りよりも低かった。当然、最終コーナーからストレートに入るところで追い越されるポイントがある。

www.fsw.tv

最終コーナーは低速の深めコーナー。アウトインアウト的に回って立ち上がりアウト側に出る方法と鋭角に回って立ち上がりにイン側に出るラインが想定される。

後ろから速い車が来ていることはわかっているので、速度を落として最終コーナーを回っていった。出たのはイン側。鋭角ラインはとってない。どちらかといえば、アウトーインーイン。

交代でピットにいると、師匠がイン側に出て譲るなと真剣な顔をして言う。

進路変更して譲ると危険だという。

その意味は、師匠と何度かそのやり取りをしていく中でわかってきた。

師匠も考える時間をくれた。

その時は台数に余裕があったが、2台3台と後ろから迫りくる混戦の中での進路を変えてまでの「ゆずる」は危険なのだ。

走行前のミーティングでオーバーテイクの方法は確認はされていた。遅い方がレコードライン、速い方が進路変更をして、イン側からオーバーテイク

徹底できていなかった。

 

自分なりに考えた。速い車は遅い車の進路を予測して追い越しをかける。タイミングを伺ってシフトダウンするかもしれない。遅い車を追い越す時に、反対側で一緒に追い越している他の車を出し抜くことを考えているかもしれない。

意味はわかったが、「進路を変えない」ことを徹底できないまま、その日は終わったような気がする。そもそも、その日はプラクティスに始まり、朝から同じメンバーで何度もコースを走っている。このクルマはここをこう走るという想定が少なからず周囲のドライバーにもあったはずで、それを大きく覆すこともある意味危険だったと思う。

ラクティスからレースは始まっていると知った。

私みたいなのに、真剣にそこを教えてくれる師匠に感謝した。レースに出ているということはそういうことなんだ。

(通常レースにしろフリー走行にしろ、基本のルールは決まっていて、必ずしもイン側が速い方とは限らない。)

 

 

後日、ずっとそれが気になっていた。

師匠から言われるから、叱られるからだけで考えていると、一人で判断しなくてはいけない場面で自分の判断ができないとか、同じ失敗を繰り返す可能性がある。

悪気がなくても、後ろから迫られると、無意識に退いてしまう心理ってある。

ちゃんと自分なりにそこに筋道つけないといけないと思った。

 

元々、サーキットのフリー走行でも私が遅いことで周囲に迷惑をかける、自分は走っていて良いのかという思いがずっとあった。それが進路変更して譲ることに繋がる。

遅いことはすぐには変わらない。自分はどうやって走ったら良いのだろう。

 

速い方、遅い方の両方の立場にたって考えた。

その瞬間だけでなく、そのレースは耐久だったので、ひとレース単位で考えてみた。

思えば結構単純なことだった。

 

速い方の立場からすれば、遅い車が最大限速く走った方が、追いつく回数が減る。

遅い方からすると、その場合遅いなりの最大の速さが得られる。

速い車は、遅い車の進路を変えさせて失速させて追い越すと、結果追いつく回数が増える。失速からのリカバリーは難しい。遅い車は追い越されるたびにどんどん遅くなっていく。

遅速両者が概ね悪くないコーナリングをすると仮定すると、コーナリング中の速度よりも直線の速度のほうが遅速の差は大きい。大体は速い車のほうがパワー、コーナリング性能ともに上だから、多少コーナリングスピードが遅くなったとしても、その分はコーナリング明けの直線で取り返せる。クロスラインをとったり、あえてコーナリング中は待つこともロスは最小限になるんじゃない?

 

あくまでも私自身の考え。それ以降レースには出ていないので正解はわからない。

 

しかしそういう考え方で行くと、遅い車がレコードライン、速い車が進路変更をして追い抜く、という原則に頷ける。

それを崩す「進路変えますお先にどうぞ」は危険という意味で避けなきゃいけないし、そんなことよりも、安定して最大限速く走ることが、周囲に対する礼儀ということになる。

(走り方を知っている人は、ちゃんと良いところでインを目指してきてくれる。お互いに失速無しでパスしてもらった。)

 

 

でも、それは、走っている人たちががそこに暗黙の了解をしていることが条件になる。

その周知徹底というのは思っているより大変なことなんだとその前後の出来事や、自分が守れなかったことで思うようになった。

 

 

その事があってから、公道での走り方が更に変わった。変えようと努力をし始めた。

レースはみんなが同じ目的に向かって走るけれど、公道はそうじゃない。

公道はある意味走りにくいのだと思って走る。二重三重の想定がいる。

時々聞く。譲り合う心ばかりで交通渋滞。

車線規制の時の合流がカオス。

なんて非合理的なんだろうということがわかるようになってきた。非合理的になってしまう心理も、自分がそうだったから理解できる…なんとかできないかなあ…。

周りが思い通りにならない、というのは普通のことだからイライラしない。

しても仕方がない。日本で合理的な走り方が教えられていたら、登坂車線に遅い車が進路変更、にしなかったと思う。

 

交通ルールは基本守る。それがちょっと合理的じゃなくても。

今まで思っていたほど理不尽でもない。

合理的かと言われると首を傾げることもあるけど、私自身わからないことだらけだし。

守っといて、私って大人〜♪って思っとくことにするんだ(笑)

ルールは守られて意味を持つ。

ルールが悪いなら破るのでなくルールを変える方が本当は正規なんだろうなと思う。

日常の中で臨機応変に状況判断するのって難しい〜。