るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

明日は我が身

今、迷っていることがある。

いや、本当は迷っていることだらけだ。

本音は人生に迷っている。

でも、今、この多様化の時代に人生に微塵も迷いがない人の方が珍しいとも思っている。

 

 

 

割と込み入っていない方な事を書くならば、一つ目は親の車にペダルの踏み間違い防止装置を今のうちにつけるかどうかを迷っている。以前テレビで見たのだが、大手カー用品量販店で扱っているらしい。

 


父は高齢者だけれど、日常的に運転をこなし、ライフワークを持ち、母の主介護者であり、事故を起こしている場合では無い意思は持っている。

問題が起きれば解決しようと知恵を絞るタイプ(絞りすぎて方針が目まぐるしく変わる事もあり、驚く…。

再び一緒に暮らし始めて10年近くなるけれど、非常に元気な高齢者だと思う。本人とも先日話したが、踏み間違いはMTなら起きにくいんだろうなと本人が言っていた。

私は、世間的に話題になっている事故をいくつか見て、料金所や後退時の目視確認のために上半身が動いて、軸がずれてペダルを踏み間違うことは年齢に関係なく大いにありうると感じている。

 


随分前だけれど、自分がサーキットを走っていて、なぜかシフトミスをする、もしくは入らない場所があって、後になってわかったのは、上半身が微妙に傾いた状態でシフト操作をしていたのに気がついていなかったからだった。

そういう所からそう思った。

(自分のそれはドライビングポジションを見直すことと意識を変えることで解決できると思う。)

 


しかし…

料金所や信号待ちで、自分が運転操作以外の事をする時はATならニュートラルに入れてサイドブレーキを軽く引くだとかすれば、そういう踏み間違いは大方防げる事だと思うのだけれど。

前進も後退も、出だしの車の小さな挙動を確認してから追加の加速をすれば防げると思う。(CVTヴイッツはそれがやりづらいが…)

 

料金所だと、後ろが並んでいるから早くしなきゃと思う心理は確かにある。

だけど、事前にチケットを取りやすい位置にあるのを確認しておくだとか、料金を予測して小銭用意しておくだとか、混雑する大きな駐車場だと事前精算の機械もある所にはある。考えてみれば、ニュートラル&サイドのシフト操作を端折るよりも効率が良くなる行動ってあると思う。

 年取れば、手元が不器用になってチケットがうまく入らない事も出てくる。私だって財布からお金出すのが遅くなってきてる。でも、それを待てない社会も寂しい。

落ち着いてゆっくりやってもらって、問題が起きない方がずっといいよ。

 


考えてみたら、日本で一般人が車を持つようになってどれだけ経ったのか。

今高齢者と呼ばれる人たちは運転免許や車を持っている事が特別な事で自慢だった時代の人も多いから、手放したく無い人が多いのも頷ける。

私の父も、今思い返せば私が幼稚園までは50ccのスーパーカブだった。

カメラが壊れて、数年写真がない、とまだ平穏だった頃の家族のアルバムに書いてあった。そんな時代だった。

車社会の高齢化が初体験なんだなと思った時に、なんとなく父の車に対策をしておくべきかもと感じた。

意識と意欲で運転が変わるのは事実だと思うけど、それが衰えるのが加齢であって、意識を高く持っていることは結構大変だと思う。年配の人からしたら、今の車ですら、操作系で思考停止に陥る場合もあると思う。

自分だって着いていけない流れがいっぱいある。

 


現代的な装備が無い我が家の車たち。思わず替え歌。

自動ねえ、ナビもねえ、ドラレコなんてとんでもねえ、買い換える気にもならねえし、税金だけはてんこ盛り、

オラこんな車好きだーっ

ってある意味思うけど…笑

(油圧系アシストとETCはある!)

 


後付けのものがどういうものなのかをもう一度調べてから考えないといかんし、そもそも装着できるのか。つけるにしても年中忙しくしている父親をどう説得するのか、悩みどころはいっぱいある。

費用を今すぐ出せる余裕がないから、費用も含めて説得になる。

 


以前、亡くなった夫の父から車の鍵を没収した時も、反論はされなかったけれど、切なかった。でもあれしかなかったと思う。

小さな事故が続き、それに対して対応や反省がなくなってきていた。

あの時は、病気だったとはいえばあちゃんが存命でじいちゃんが逆らえない存在であった。

今度そういう時がくる時は、私の父だから、自分が説得するしか無いんだろうと思う。

手放させるということは、その分の足を自分が労力で賄うことも当然出てくる。

 


というか、人のこと言えないなと思う。近年自分自身が運転しながら反省することが増えたし、その分回り道(手間)を惜しまず安全策取ることが増えた。