るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

詰んでからがおもしろい

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雪の少ない土地ですが、今朝は伊勢湾を渡った雪雲から時折雪が。

この時はちょうど小学生の登校時期で、歓声が聞こえました。子供の時は雪が嬉しいよね。

あースキーしたいなあ。

そこまで体力戻そうと思うとちゃんとトレーニングしないとダメだろうなあ…。できるかなあ?(ただ今接骨院で腹部EMS再開中…でもスポーツジム行くような金はない!)

 

ひとつ前の所で、最後に、家族という仕事には終わりがない…と書きました。

そろそろ更年期のおばちゃんが、辛気臭い事言いたい様に見えるかなあと思ってよっぽど書くのやめようかとも思いましたが(笑)

でも多分、同世代とかもっと上の方には同じ思いをされている方もいっぱいいて、普通のことだと思うわけで…。

私は家族という仕事が嫌なわけではないのです。ただ、法定労働時間とか、休暇とか退職とかそういう概念が当てはめづらい現場であるし、ある意味第三者が最も入りづらい、理解し難いコミュニティであるし、素晴らしくもあり、鬱陶しくもあり、時として人の根幹に一生拭い去れないダメージを与えることもあるのが家族であると考えています。

(「家族という病」という本を、存在は知っていますが読んだ事はありません。そういえば「毒親」って言葉もありますが詳しくは知りません。)

 


自分の家族や親族についてここで多くを書くことはしませんが、ともかく、

「人生ちょっと詰んでからが勝負やし、おもしろい」

私自身はどこかでそんな考え方をしているかもしれないなと思っています。

私の人生は、6歳のときに一度ちょっと詰んでます。ある日実の母親が出て行ったらしく、結局帰ってきませんでした。詳しい状況は随分と後になって父から聞きましたが、まあそれも父からだけの話ですから。

その後の流れを思うに、最初の「詰んだ」がそこ。

それ以降は以下省略。

 


ただ、その当時はそれでものすごく影響があったとは思ってないし、子供には子供の強さと思いと大人を観察する眼があります。本気で信頼できる相手やできない人、本気で関わってくれる人や視野の広い人…それが親かではなく、そういう人たちとの出会いの積み重ねと受け止めで人は育つと思います。

最終的には自分自身がどう受け止めてどう生きるかです。人のせいにするのは楽だけど、それでは何も変わらないし、人生がつまらない事になります。

いくつくらいかな、30代前半ですね、はっきりとそう認識したのは。

自身が母親になったこと、昭和一桁の夫の両親と同居したことも影響大。当時究極に人生を左右される選べない選択肢「戦争」な世代からはいろんな意味で学ぶことがたくさんありました。

 


すごくいろんなことがあったし、私の生き方が正しいかどうかは常に迷いも悩みもありますが、わりとおもしろい人生やと思います。夫ともどうにか夫婦をやってもらっていますし、看取りも今のところ重なることなく1人ずつ順番にきてます。ただ、体が持ち堪えてない感が出てきたので、今までと同じようには生きられないので、今ちょっと先がはっきりは見えないですね。

家族という仕事は本当に終わりがないです。それが時々すごく重く感じるのは事実です。

幸せのカタチはひとつでないです。家族を持たない、精一杯悩んで、考えた結果家族を捨てる幸せも世の中にはあると思います。私はたまたま家族を仕事にしただけで、そこに縛られているつもりもありません。家族というものへのこだわりも33歳くらいかな、捨てました。上の子が3歳の時です。子供達には負の連鎖は繋げない。それは形ではなくて親世代も心の部分で幸せに生きることも大切だと思います。

物量、環境は精一杯やってまず現状を喜ぶ。向上心も片隅に置いておく。

 


私自身が今楽しく生きておれるのは、人間的に足りない部分も切実に感じることも多々あり、自分が嫌いになったり、常に自分が悪いのではないかと心配になる心癖も実はありますが、常に今の中に楽しさとか根底の自己肯定感を失わないからだろうなと思います。

今もいろいろ心配事は尽きませんが、人生はちょっと詰んでからがおもしろいと考えたい。

詰んでも心は堕ちるな。