るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

夢を持つこと

20年以上前、上の子を授かる前に、夫を説得してロードスターを売り払ってオデッセイを買いました。

その後数年間紆余曲折あって、夫が再び2シーターのスポーツカーを買った時、背中を押しました。この人にはファミリーカーは無理かもなあと数年で悟り、諦めたのがほんとだけど、やっぱりスポーツカーが来た時は嬉しかったです。(その後更に紆余曲折あったけどね。くっそー〇〇〇のコンピュータめ)

あの人の物置部屋には近づかない(ホコリで人は死なない)、私自身が自立するのが一番平和で互いの個性を傷つけない、本当に困れば互いに自己を捨てても助け合えるはず、今でもそれは変わらないかな。

出来るだけ生きてることが楽しくありたいわけです。

私が経済的に自立できてたら通い婚だったりして(大笑)、ごめんね〜(笑)

でもワシおらなんだら、あの人衣食に困るがね。

 

 

夢…はないわけではなく、というか、いくつかあります。以前は、なんだかもっと直球で、

かなえたい、という気持ちがあったのですが…

すごく正直なことを書いてしまうと、自身の親の自らの仕事に打ち込む人生の側で生きてきて、その中で起きてきた成功と失敗、外部評価と家庭内のギャップなど、見てきた物事が夢を見ようとする気持ちを抑えてしまう所があります。

何かを追求していった時に、それが周囲の他人や多くの人を巻き込む事であった時に、極端なことを言えば、仕事と家庭のどちらを優先するのか、という問題はどこかで大なり小なり生まれてきます。両方とも大成功する人もいるかもしれませんが、そういう人はおそらくすごく周到に考え、準備をして、周囲の人を上手に巻き込んでうまくまとめる能力に長けた人か、近しい人たちが同じ夢とか、よく理解、共感をしてその人に寄り添っている状態なのではないかなと想像する訳です。

親のせいで夢を見られない、と言いたい様に見えるかと思うのですが、違うんですよね。

だって、夢を叶えたければ、周到にやればいい訳ですよね。実際、以前は、周到に家庭環境を整えて、みんなで幸せになる中でかなえたい夢があったわけで。

ただ、実際は家庭というものを背負うと、全く問題がない、無風ということはないわけです。次から次へと新しい問題が起きて、誠実に立ち向かおうとすればするほど、夢を追う余裕は減っていきました。

私自身の中では、今具体的に夢はない状況になっています。10年前や5年前や3年前に考えていた事ではとてもじゃないが(コロナのせいではなく私の未熟さや体調の変化による)通用しないんだなと思うし。

足元見つめて、体力も貯金も、底辺からちょっとずつやっていけば、また夢が持てる時も来ると思います。

 

見果てぬ夢はやはり若い時に実行に移すべきですね。私は家庭環境を再構築することに若さを使い切ったなあ。でも、結果には満足してて。

そんな頃には子供が成人です。

この話には関係ないけど、ほんとにいらんとこばっかり似てますわ〜…。