るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

改めて相棒ルーテシア3RSを見つめる/皆さまに感謝です

前回にも書きましたが、るーさんが我が家に来て3年が過ぎました。

入手時が9万キロ弱、現在10万7千キロ台です。入手当初は買った事で精一杯だったのと、ブレーキの不具合修理と足回りの不具合が急に来たので、とにかく消耗を避けようと、乗ることすら最小限に控えていた時期も長かったので、最初の2年が大変でした。それは車が悪いのではなくて、購入価格的に私がちょっと背伸びをしたから大変だったんですけどね。ブレーキも足回りも、諸先輩方から伺った情報と、お店の方の知恵と経験など夫や周囲の方々の協力もあって無事に、割とリーズナブルにできたので本当に感謝感謝です。ありがとうございました。

脚の選択時にはオーナーさんのご厚意で、同型機のビルシュタイン脚を試乗させていただけると連絡を受けて大いに喜び遠征。

特に高級モデルではなくて、安い方だしこれ良いよ、という感じのお話だったと記憶していますが、衝撃吸収の速さが凄く印象的。

突き上げは強いのですが、衝撃の頂点のところはきちんと受け止められていて、運転者が衝撃をモロに喰らう様な感触がありません。

短時間で衝撃吸収を済ませてしまう分鋭いけれど、角は立たない。という印象でした。

私は直巻のバネは他は知りませんが、こういう事なのか?経験値薄くてすみません。

アッパーアームとの適合や他の形状も前後期の切り替え時期が社外品各社で時期が違ったり情報が錯綜していたり、自宅周辺の道路事情など諸事情あり装着には至りませんでしたが、貴重な経験でした。改めて感謝です。

資金など他の都合で、スプリングは純正でショックはコニを選択することにしましたが、純正でさまざまな選択肢があるフル純正も興味はありました。

私は9万キロ近くでショックが結構へたっていてもおかしくない状態を入手しているので純正のショックの元の状態を知りませんが、逆にへたった状態からスタートした立場で、ショックがへたっているという確信を持つのに時間がかかりました。距離だけで劣化を決められる問題でもないし、あくまでも憶測ですが、本体がしっかりしているのも要因のひとつだと想像しています。

この車は自分が知っている他の車より、ショックがへたっていても、走る曲がる止まるに影響が少ないんじゃ無いかなと思い至り、そこでようやく、やっぱりこれは脚がきてるわ、かえなきゃ、という確信が持てました。それはあくまでも素人の憶測ですが、スプリングの不具合も出たのでとにかくかえなきゃ、となりました。

 

 


2年の間に足回りとブレーキとベルト系のリフレッシュ完了して落ち着いたのと、この春から家族が各々他の車を通勤に使っていたりする事もあり、私自身はるーさんに乗る事が格段に増えて、相棒との時間が増えました。近距離移動が多いのがちょっと車には申し訳ないのですが(ストップ&ゴーが多い町のチョイノリが多いのは実は車には負担らしいと見聞きした)、時々若干距離を伸ばしたり、あえて高速に乗って無理ない範囲で回転数をあげたりする努力は時折。

 


今年に入ってからのそういう時間の中で、改めて相棒車と向き合って来て、車を丁寧に柔らかく運転する大切さと難しさと楽しさを実感しています。

シャープな車こそ、丁寧に運転することで自分が試されている気がするし、雑(急)な運転をすると、ゆっくりな公道でも必ず車と息が合わなくなります。(繊細さはきっと速くなるほどに必要になっていく事だと考えます。)

 先日久しぶりにカングーのぐーさんをを運転したのですが、るーさんとの運転のリズムの違いを改めて。同じ角を曲がるにも、るーさんはステアリングを少しずつ切っていくだけでラクラク曲がっていくのでブレーキ開始のタイミングや強弱、リリースポイント、ステアリングの切り始めや切り過ぎない配慮。

るーさんよりも足回りがやわらかくタイヤもぽよん(扁平率高め)なぐーさんの場合は少々の積極的な荷重移動や操作と車の動きとの時間差、揺れ戻し(お釣り?w)への配慮。を意識した方が良いのかな?まだまだ足りない。普段るーさんで楽してるかな(笑)

 


時折、一体あなたが一生懸命追いかけている車や運転というのは一体何なのか?的な疑問を持って頂く事もあります。

正直言葉で説明するのは難しく、限界を感じますが、運転が上達すれば、行動範囲が広がり、安全性が高まり、結果として日常が向上する可能性が大いにあると感じます。

でも、興味がなければ上達は難しいし、現代の車は技術の進歩で、興味が薄くても最低限動きます。それが人々の生活の向上と、車の所有者増加につながって、自動車会社が大きくなって労働者の生活の糧になってきたのも事実だと思いますが事故も増えているという事なのかな。

(昔みたいに車が「その操作無理!」って教えてくれなくなってるのも事実で、それが潜在的な危険に繋がってるとも思うのです)

数年間運転に必死になってみました。運転にはいろんな理屈や方法、ハウツーもあるけれど、物理、科学が得意でなくても、必死で向き合った分何かしら自分のものになるもんなんじゃないかな、と思いました。それが周囲と比べてより上手いのか、速いか遅いかは二次的な事で、運転技術の向上と共に、安全性とか周囲の状況の把握が以前より進む結果につながっているのだとすれば、それが一番の宝物と成果だと思っています。

あまりに個人的過ぎて抽象的すぎるかもしれませんが…

 


私の人生は行動範囲も狭く人付き合いも下手で狭く、対面で人に思いを伝える事も下手くそで、人様から誤解を受ける事も昔から多く、こうやってブログを書いている状態が、ある種不器用で、小さな箱庭のような人生ではありますが、狭い中で周囲の方々の理解と優しさに助けてもらった事多数。今まで頑張って生きてきて、生活してこられて良かったなあと、時々何だかしみじみ思うのです。

 


このブログにも、決して多くはありませんが、日頃から一定数のアクセスをいただいて、日々ありがたく思っています。

感謝です。