るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSとKangooを主婦が皆さんの協力と知恵をいただきながら一生懸命乗っています。

500円玉貯金/違和感

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日本海側は大雪だと言うのに、風は凄いが晴れています。ただ、寒い!

 今年はお年玉というものを用意しませんでした。思えば昨年もかな。世の中うまく出来ているもので、子供たちが学校を出ると、通学の交通費や学費が要らなくなりますが、雇われ人である夫の扶養手当が減り、何かとほかの必要経費が出てきて、結局、今月も、今年も乗り切れてよかった、という事になります。

自分たちが老後に迷惑かけたくないし、なによりも、子供たちがある程度人生の方向性をつけるまでは、もう手は離すけれど備えは要ると思って。

 

そんな中、それとは別でコツコツと500円玉貯金をしています。みみっちく見えるかも知れませんし貯まるペースは遅いですが、入れてしまったら無いものとして生活していると、それなりには貯まるものですね。

でも、500円を貯金箱に入れるのって結構心理的にはキッツイです。貯まった額が3万円超えたらちょっと充実感出てきました。

目標額が貯まったら何に使うのか、まだ決めて無いです。いくつかアイデアはあります。小さい野望(笑)なんとかなった分足してスポーツ走行?車庫?ワクワク。

何かしら車に使いたいです。

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なんでこんな一生懸命に車、なんでしょうね?

ひとつは夫と共通の趣味ってのはあると思います。そうでなければ今頃ホント会話ないと思いますし、私が許さないからできるとかできないとかいう問題ではないのですが、夫の車の趣味を今ほど自分の中で許容できてないと思います。

(独り言的な部分もあって、詳細端折るのでちょっと抽象的になりますけど…後半はなんで車に必死かという真面目な話です)

若い頃の、アイデンテティをかけた自立と結婚、その後の家庭運営も、何度かの引っ越しや2度の自宅建築や二世帯2回目も、車のことも、なんか全部野望の空気あって、事情を話した周囲からは唖然とされたり、(正しいとは思うけど)自分にはやれない、って言われたらしいと後で聞いた、なんてこともありましたね。

そりゃ今疲れてるわけだ(笑)、なんとか生きとってよかった(笑)

まあでも、思い返してみた時に、子供の頃から純粋に自分が楽しい事ってあんまりなくて、置かれた苦境を脱する為だとか、このままの条件だと追い詰められてメンタル的にダメになるから脱出しようとか。結婚は自分の意思だったけど、その後は、人としてはこうするべきで、多分やらなかったら後で後悔するよなとか、そういうことがほとんどでした。

でもそういうことに限って、自分自身が思っていた方向には結果が向かわなかったり、真意を理解してもらえないとか、そういうことの繰り返しですけど。やってる本人が未熟なのである程度はそういうものかと思って笑うしかない。

まあでもみんなそういうものだと思うけれどなあ…人の事は凄く見える、みたいな事だと…まあ特殊と言える事もいくつかあったが…。

まあともかく毎回いっぱいいっぱいでしたが、心意気を汲んでくれる方が現れてなんとかなってきました。

いつだったか随分前です。周りからは褒めてもらうけれども、このままだと自分が潰れるなあ、潰れたら家族が困るなあ、なんでこうなるかなあ?って考えた事があって。

自分自身が純粋に楽しいと思える事を上手に人生に取り入れてないからバランス悪いのかもしれないなあ、ってふと思ったんですね。

昔は、正しいが必死すぎて、善いことしてても辛かったり、思いの強い人の意思に引きずられたり、一般的に間違っていても、その中に真実がありそうに見えて近くまでは行って遠巻きに見ていたりしました。

ある時、直感で欲しいと思ったけれど、2ヶ月くらい迷ってプントアバルトを買いました。

当時は、それまでこんなに頑張ってきたのだから、このくらいは好きなことしていいんじゃないかという「ご褒美」みたいな感じで自分を正当化していたけれど、後になって、ああ、結局それって欲しかったから買った、夫もいいっていってくれたし。でいいんだなと思ったりもしました。その後何年かで車変えて、ユイレーシングスクールに通い詰めて。

 何故速く走ってみたくなったのか…

多分いろんな理由がありますが、単純に、その車の性能いっぱい近いところまで走らせる楽しさの片鱗を直線のどこかで感じ取って、でも方向を間違うと危ないという事も感じた。

その頃に思い出したのが、子供の頃にお祭りの日の夜の街で見た当時全盛の暴走族。それと40代になってから、ごく普通の同世代ちょい上の男性で普通に大学行って就職して社会人やってる人が、若い時昔峠に走りに行って、山下りてきたら、パトカーが待っててサーチライトで照らされた事があるという話を思い出話をする様にしてくれた事。特に深い話をしたわけでもないのに、私がサーキット走ると言ったらそういう話になりました。峠を攻める、という言葉が世の中に広く存在感を持っていたのでは?という違和感ありました。

昔を批判するとか否定する、批評する程のものは持ち合わせていませんが、ただ、自分の中で公道でどう走るか、捕まるからではなく納得したかったのです。ビクビクして走ったって自分にとっては意味はない。

 

そしてそれ以前に単純に自分の運転能力、知識、判断力の足りなさが、運転の疲れや危険を招いている事は自覚があったし、能力を上げれば自分の意思で安全に行きたいところに行けて、人生の楽しみが広がると思ったのです。

運転の判断基準が確立すれば、危険察知も上手くなるんじゃないかと思いました。いきなりサーキットに足を踏み入れた訳ではなく、もっと運転教室的なところにも最初に行ったけれど、それっぽい練習が特に問題もなく終わっただけで、運転の基礎は教えていなかったのです。

 結果、2年ほどかかってサーキット通いはオーバル通いに変わって、更に2年強続き、ルーテシアを買うに至りました。ひょっとしたら、周囲は私がルーテシアを駆ってサーキットやオーバルを駆け回ろうと考えているように受け止めて下さったかもしれないし、私自身もそうできたらどんなに楽しいかと思います。

でも、ルーテシアを買った当時、先々、それまでのように参加し続けるだけの資金はそれまで程見込みがありませんでした。そこまでに連続して参加し続けた事が、人生における最大に近い野望でした。

細々と参加を続けながら、車を初期化して行って、子供たちが巣立ったら資金を整えられないかと思っていましたし、今も思ってはいます。

他のスクールも興味はあるけれど、他のとか言ってる場合でもないですね…。どうせなら今までのものをもっと同じところで高めたい気がしています。

 

オーバルを何回走ったかな。フジの駐車場に何度通ったかな。面白いんですよ。

人それぞれ走る面白さは違うと思います。

別に他を否定する根拠も権利もありませんし、私は師匠の走りの考え方の全てを理解はできてないだろうなと思うし、ましてや実行もできてませんが、単純に、4輪の最大限使い切ったら最速だろうと思うし、簡単ではないけれど、それが難しくてすぐにたどり着けなくても、そこに向かっているなら、向かおうとする事で十分意味が出てくると思っています。

 人の気持ちって、物理現象とは別物で、自分自身の気持ちが空しく空を切ってしまって。通い始めた時、速くというより正しく走ろうと思っていたはずなのですが、速くもないし正しくもなかった。

ユイのオーバルって、大方のサーキットのコーナーよりも大きくて深くて、入り口と出口で曲率が同じなので入口を間違ったら絶対出口で辻褄が合わなくなるんです。私の場合は直してうまく行ったと思っても若干アンダーが出てました。そうするとフル加速ができなくて気持ち悪い。それで考えてわかったこともあります。

(その答え合わせをきっちりできるようになったかどうか確信がないんですよね。公道ではまあまあ答え出てる気がするんですが、コースだとどうだろう?もうちょっと確信が欲しいなあ。速さは相変わらずないだろうなと思います。だからおかしい。どのくらいかわからないけれど最低でももうちょっと速くないとできてないんじゃないかと)

とにかく、同じことできるのに人よりも時間かかってる気がします。もっとみんな早いような気がする…苦笑

素直に物理に従おうとした時に現れる、得も言われぬ感覚や他のいろんなことがあって、後で考え直して、車のことや上に書いたような違和感への答え、いろんなものの答えというか見解が、オーバルでの経験と、興味を持って見聞きして行ったことの中で自身で考えた事の中から生まれてきました。それはまだホントは具体的に人に語れる程のものではないだろうなと思いますが、個人レベルでは車の運転にも他のことにも役に立ってますね。公道で走っていても、考えるより先に「違和感」を覚えて危険な運転に気がつく事が増えつつあります。自分にも周囲にも。

感情は大事な物ですが、一方で感情と切り離した物理、化学的な物の考え方も凄く大切だと思います。私は知らない事が多くて損してるなと思います。

ただ、自分自身の楽しみや老い先(って自分で言うのはちと早いが)よりも子供たちの人生の充実を願う気持ちが強くて、ああしろこうしろは数年で段階的に殆どないくらい減らしたのですが、今凄く大事な時だと思うので、ものすごく辛いけど、口出しはしないで(一応大人やから決めるのは本人)家にいて、ひたすら時が来るのを待っています。