るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

ひとりで(MT車)乗れるもん!を振り返る

 いろいろと思い出したことがあって、少し昔の話をしようと思います。以前違うところで書いたことがある話なので、ご存知の方がいらしたら申し訳ないですが、MT車を運転し始めたころの話です。

最初に運転したのは元年式ユーノスロードスター(夫の車)、その後出産を機に一時家族っぽいホンダオデッセイになりますが、その後夫が迷走(運転ではなく車趣味の方向性)し始め、それを見ながら、車の趣味を「歳をとったら楽しいことを」と今を諦めるのではなく、細々でもいいから流れを切らないように、という方針を立てて輸入中古車を乗り継ぐ方向に向かいました。断腸の思いで半年車検を切ることになったり、思い返せばいろいろありましたが、この数年運転や車と真剣に向き合ってみたことで、改めて、結婚と同時に始まった私自身の車とのお付き合いを整理できたというか、よかったこと悪かったこと含めて、いい経験ができたと思っているような気がしています。

ということで、若かりし頃のわたくしめのドタバタを(笑)

 

 

 もう30年以上前、高校を出て、短大に通いながら、地元の自動車学校で免許を取った。

当時は20万円くらいかかった様に記憶している。(今時はパックで45万コースくらいでびっくり。合宿免許の方が安いかな。若い子の給料は大して上がってないのに!)。

その年だったか次の年だったかにAT免許ができた。なので私の免許はMT。

免許を取ったら、遠くに住んでいるばあちゃんが軽自動車を買ってやるという話がいつの間にか出来上がっていて、なんとなく車がきた。2速AT。「ぶーーん」と発進して「がっくん!」と2速にシフトアップした。まあまあ洗車して、ワックスをかけていた。四日市から下道で豊橋まで行ったのが最長。当時は23号線が途中で山道になりセンターラインがない、すれ違いがやっとな部分があった。

 就職してから、同期何人かを名古屋駅のロータリー近くへ、田舎モンが決死の覚悟で迎えに行って、フル乗車だったかな?で流れに乗るために、発進時にエアコンを切った。なんとなく感覚で知っていたのだと思う。そうしたら、スカイラインだったかなあ?を買った(入社2年目。いくらローン組んだんだ?)東京の同期に「スタートダッシュに命をかける」と笑われたのを覚えている。

すんごくいい人たちだったなあ、あの同期の人たち。バブルが弾けて次の年から新入社員が5分の1くらいになった。

今思えば、あの頃の諸々が、バブル景気の社会のなせる技でもあったのかもしれない。父は公務員だったから、バブルでバブリーに身入りが増えていたわけではないが、今思えば諸々が楽観的すぎだった気がする。わたしはなんか変だなと思いながら、そこには交わらず‥というか家庭内不和などもあって人生で一番どん底だった。家を出ることばかり考えて、必死で貯金をして、自活して、しょっちゅうもやし炒めと白飯を夕飯に食べていた。バブル?なにそれおいしいの?

今の若者の現状や我々の将来の不透明さを見るに、日本の立ち位置はどこなのか、一介のオカンには諸説入り乱れてわからん。とにかく心中複雑で、歳をとったら楽しいことをとか言うよりも老後の心配の方が先に立つ。それは多くの同世代は感じていることだろうな。若い子はなおさらだろうと思う。

 

 25歳を前に、結婚することが決まり、相手はロードスター乗り。公団の駐車場に私の相棒の軽のスペースはなく車はロードスターのみ。MT車を乗れなければどこにもいけない。そこで、免許取得から7年近くを経てMT車運転を決意。できたらかっこいいし。

しかし、路上で夫に指導を受けながら運転をする自信がない。うまくいかなくて心が折れるか喧嘩腰になる自分が目に浮かぶ。そこで考えて、地元の自動車学校の受付へ行き、ペーパードライバー講習に申し込む。

私:「全部MT車にしてください」

受付嬢:「え?」

理由を説明して、MT車で5回の路上運転講習を受けた。毎回変わる教官に毎回同じ説明をして「奇特な人だねえ〜」と言われた。

そして、夫が新婚初夜を犠牲にして休暇取得に走り、休暇総動員で出かけた、愛車とめぐる北海道2週間財産リセットの旅(笑)が終わり、満を持して乗った夫のロドスタは、教習車のゆるゆる○ーレルとは全く別物だったのだ!思い返すと笑える。

(ちなみに往路は太平洋フェリーに車と一緒に乗り込んだが、自衛隊さんの移動と重なり、車両の積み込みで出航1時間遅れ。寄港地の仙台に向けて船は全速力。一世一代のスイートルームの風呂の湯も大しけザッパーン。私は船酔い。「仙台で降りる〜」と一晩唸ったのは良い思い出…仙台から苫小牧までは嘘のようにゆるりと船旅を楽しめた。)

 ロドスタ生活が始まった。シフトアップはできてもシフトダウンが苦手だった。タイミングが合わないので、シフトノブを握る手に、ががががっ!と「下手くそ信号」がきて私は「ひええっ‥」という変な悲鳴をあげ、車は空走。エンストすることも。そんな時期があって、夫からダブルクラッチを踏むように教えてもらった。

クラッチペダルを踏む時にギアをニュートラルにして、一度ペダルから足を離して、踏みなおすときに一緒にシフトノブを次のギアに入れる。昔の車はシンクロがなかったからそうやって運転してたらしいということだった。リズムを覚えればそのうち慣れると。大変だったが、しばらく頑張って、どうにか名古屋市の東側から名古屋市を横断して、金山や夫の実家のある中川区まで行けるようになった。仕事明けの夫を屋根開けて迎えに行った時は夫が嬉しそうだった。

千種の方の東山動物園の近くの山の中(っても結構ええとこの人?の住宅地)の急坂で信号待ちになって、車校以来初めて坂道発進サイドブレーキを使ったドキドキ体験(笑)あそこはいまでも避けたい。踏めば問題ないってわかってるんだけどね。(ちなみに半田市の図書館近くの交差点も苦手意識あります。)

そんな頃に、当時住んでいたところの田舎道で、よくすれ違ったのがアバルトアウトビアンキA112だった。最初は名前もわからず、いつも一人の時なので、誰にも聞けなくて名前がわかったのは随分後になってから。今でもかっこいいなあと思う。

私はあの頃「乗り味」などということを考える余裕はなく、ただ動かせることが全てだったのだけれど、今乗ったらどう思うんだろうなあ?

その頃10万キロを迎えたロドスタは、私のせいで2速が使えなくなって修理したり。

その後スキーに行った帰りにサーモスタットが壊れて機関車になったり。

車屋さんの積車と合流できるまで、峠の下りをできる限りを駆使して夫が運転して下った。途中の田舎の工場に飛び込んで、そこのおじさんに「多分サーモだよ」って言われて外したんだったかな?とにかく私は信じて横に乗っているしかないと思って黙っていた。積車でやってきた車屋さんのお兄さんが、横に乗ってたんですか!っていう顔で私を見たっけ(笑)その後、積車に私の分の座席がなかったので、積車の上のロドスタに2人で乗ってドナドナされました。今時はそういうのNGなのかな。

ロドスタは最後は私が引導を渡したような形で出産を機に降りることになった。

 

今となればあれでよかったと思うけれども、その時はいろいろ思うところがあった。結局私たちは、車の方では世間一般で言われるマイホームパパと良妻賢母の枠では生きられなかったなあと思うけれども、それでよかったかな。

その後子育てや看病や介護が続いてきて、その時の「移動」に車はつきもので、日常の中に「趣味の車」があったことで、好きな車を持っている、運転していることで、どれほど救われたか知れない。

その途中で、10年以上前だけれど、相棒としてフィアットプントアバルトを手に入れることになって、その時までずっとダブルクラッチを踏んでいた。車屋の社長さんに「そこまでしなくても入るよ」て言われて、やってみたらダブルは必要なくなっていた。

プントは楽しかった。イタリア車万歳。今フランス車乗りだけどね(笑)

 

 

 

3ペダル/前の相棒

 先日参加したYRS(ユイレーシングスクール)の途中で、他のグループを眺めながら、ひょっとしたら半分くらいの車が2ペダルなんじゃないだろうかと思った瞬間があった。ふとそう思った、というだけなんだけれども。

自分が乗っているルーテシア3はまだシフトノブがあってクラッチペダルがあるけれども、確か4型からはシフトチェンジはパドルじゃないのかな?

中古車サイトに上がっている4型ルーテシアの車の写真を見ると、シフトノブは存在したが、やはり2ペダルであった。もういまや、サーキットを走っている車もパドルシフトとか+ーでシフトのアップダウンがある意味普通なんだよな。

まあ確かにある意味機械の方が上手いかもしれない(笑)。代車でアルファとかフィアットとか時々乗らせてもらうけれども(いろんな車乗らせてもらえて嬉しい)、最新ではないその車が、試してみると見事にブリッピングしてくるので思わず心の中で拍手(笑)。とにかく壊れなければ‥それも以前より壊れにくいのかなあ。

私は‥2ペダルはATしか所有したことがなく、代車でそういう車(+−の2ペダルクラッチレスMT)を貸してもらうと、恐る恐る、とりあえずは動かせるが、どうもすぐには慣れなさそうな感じがする。

シュミレーター的ゲームもしないので(他の人がしている画面を遠くで見ていて酔ったことがある)、そもそも+−でシフトを管理する感覚は皆無。クラッチペダルを踏んで、シフトチェンジをして、足から伝わってくる感触で確認をしながら繋いでいく。そんな感覚がもう30年近く自分の感覚。 

るーさんの前の相棒はスロットルが電動スロットルではなくワイヤーで繋がっている車だったので更にその辺がもっとリアルというか人臭い?感じだった様に(るーさんに今不満は特にないけれど)乗り換えた当時は思った。

前の相棒は、シングルカムでスロットルワイヤー。味があった。いい車。内装はやれてたが、動くところはしっかりメンテした。

ただ、格好優先のなんちゃってスポーツモデルだったので(クーペがかっこいいとか思ってクーペにした私)、同じ車種のセダンがトレッド前後幅同じであるのに対して、クーペはトレッドが後ろ若干広め、さらにタイヤ幅が前後違う(当然後ろが広い)上に、フロントですらセダンよりタイヤ幅が広かった。タイヤ径も大きい。なのに2リッターで4気筒、セダンと同じ。

パワーがない上にアンダーステア傾向でタイヤが大きく幅が広い。早い遅いというよりもなんだかスタート地点が複雑。旅行に行くのには普通に乗れば問題は無いと思うけれども。

 

幅広タイヤで接地圧が下がるということはユイのスクールで雨の時に知って、トレッドの前後幅で車の性格が変わるらしいという事は、タイヤをセダンと同じ様にインチダウンしてみようとして調べていくうちに知った。パワーがある車を模した非力な車は、フロントの入りがいい(エンジンが小さい分軽いから慣性が小さいということだろうか?)と言ってくれる人はいても、どこに行ってもスペックを知った人は「あとはスーパーチャージャー」「難しいよ」とか。あとは言葉を濁す。そういうことなのか?そうなのか?

接地圧が低い、には公道で思い当たることがあった。だからインチダウン幅ダウンした。接地面で前後幅を揃えるようにできないか必死で考えて、なんとかなって、取り回しが良くなった気がしたけれど、なんだか、そこで悶々とした。そもそも私にとっては机上の空論みたいなもので、運転すら大して上手くないのにそんなことを考えている自分がなんか変な感じだった。

そもそも、あの車を選ぶとき、車に乗って遠くに行けたらいいな、という思いと、運転が上手くなりたいという思いが内心両方あったのだけれど‥上手く周囲にそれを伝える言葉を知らなかったなと今にして思う。特に、運転がうまくなるということがどういうことかのイメージが私自身にはっきりなかった。

結果、ドライブに行く、格好のいい、ちょい古めのエンジンの車、という方向で我が家にやってきた相棒だった。

しようとしている、したいこととずれてる、明らかに自分が判断を誤ったなと思った。これはゆくゆく引きずるかもしれない。車が悪いわけじゃない。私の考えが足りなかった。

そして、その時、何と無く、その先10年で車を買う最後のチャンスだなという予感があった(その後予感的中)。

興味はあるけれど見にいくのを避けていたるーさんは、まだ世話になっている車屋さんにいた。

資金の算段を家族に相談し、試乗即決。一期一会。

提示価格は予算プラスα。プラスαはエンジンマウント、トルクロッド純正で交換済みな個体なことと、ニュータイヤつき。悪くない。エンジンはかっちりして元気一杯だった。

(あれから4年くらい経つけれど、知るほどに好きになる車。知るほどにある種のプレッシャーを感じる車。日常もサーキットも楽しい車。)

 

前の相棒は引き取ってくださる人が現れて、その方が車にはよかった気がする。ひと通り直して、10年は動くことには問題がなさそうだった。行った先で役に立っていてほしい。でも、車はものだから、手放した後はどうなろうと気にはしないことにしている。気にするなら手放さなければ良いのであって、それができないのだから考えても仕方がない。

運転を見直す前に車を変えたこと等はある種の罪悪感としてずっと心の中に残っている。今後も残りつづけるし、今の車で苦労するのも、予想通りだ。

新たな相棒に自分の実力より結構格上の車を選んだのは、好みというよりそれが結果的に悩みが少なくストレートに走ることに集中できそう(問題は自分の腕)だから。サーキットも走ることを前提に作られてる車だから。そしてホットハッチが好きなんだと前の相棒に乗ってみてわかったから。

前の相棒のような味のエンジンには、私はもう巡り会えないかもしれない。その分までるーさんと走らないと、余計にいっぱちくん(前の相棒)申し訳ないんだなぁ。頑張らないと。

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諸々夏モード

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娘がトマトを植えたいと言うので、苗を買ってきて育てている。彼女は仕事があるので、実質世話は私がしているが、まあ週末に自分で1週間分の自分の夕飯用の具沢山スープを作っている緩ダイエットの足しになってくれれば。いろいろやって今のうちに失敗もして、そのうち巣立ってくれ。できる間は精一杯遠巻きに見守る。徐々に距離を置いていこうと思っている。

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あじさいの色の不思議。

 

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腹ぱんぱんの蛙さん

 

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蚊取り線香始めました。

 

近所の田植えが終わったらしい。

ツバメが頻繁に古巣を覗きにくる。

 

諸々夏モード。

 

おばさんは雑草と戦う(笑)

 

 

 

 

遅れたけど結婚記念日を/おじさまたちにはかなわない

 先日は夫と海辺でピザをいただきながら、それだけでもないんだけど、結局車の話をしていました。写真よりは実際は天気は良かったかな。暑くなくて良かったです。

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夫もユイのスクールは参加したことがあるので、先日のスクールのことも話して、私の思いつかない観点からの意見が聞けたのでよかったです。面白いですね。本当に着眼点とか、考える道筋って人それぞれあるんですね〜。

何故苦労してるのか、何故できなかったのかがまた一つわかりました。わたしの方がずっとずっと参加回数は多いのですが、「さすが卒業生」って思わず言って、笑われました(笑)。ユイでは1回でも参加した人は卒業生です。

わかったからすぐできるというものではないし、心の壁とか恐怖心の境界線って人それぞれですし、運転に対する考え方のアップデートも、結局本人が理解して、やってみるとか変えてみる気にならないと、どうにもならんわけですよ。誤解があるといけないのですが、やみくもに無茶をしろとか、精神論で限界を攻めろとかそういう話ではないし、理論的にやってみればできるはずな事です。

夫の方も、別に自分が言っていることが全部自分ができるわけではない事は分かっています。それがなかなかできないんだよ、うんうん、という会話です。

参加回数は少ないですし、できてない事がたくさんあるのはわかるそうですが、非常に有益だったそうです。まずやってはいけない事がわかるしね。

でも私はそういう時に、特に自分達より上の世代の、若い頃から車好き運転好きの人たちにはホント敵わないよなと思います。車がそう大して言うことを聞いてくれなかった時代の人たちは車から「それ無理」って拒否されて教えてもらってある程度運転が覚えられた世代です。今の車とはその辺がちょっと違う様な…。

車も自分でいじれた時代ですから、夫だって昔公団の駐車場で仲間と2人でヒイヒイ言いながら?ロードスターの足回り交換してましたし、あの頃はアフターパーツもなくて、仲間の誰かが考案してその人の名前がついた〇〇バーっていうのがあった記憶があります。

そういう人がひとたびユイで説明を受けると、わたしの10倍は早くアップデートしてステップアップしていきます。私はその後ろ姿を見ています。そこを私が埋めるには、日常を捨てるくらいに頑張らないといけなくなるのかも知れなくて、そうもいかないのでマイペースを守っています。

 私はサーキット走ってみたいって思った時に、簡単には周りの男性たちと同じ時間に自分が出て来れない(子育て介護手伝いありの主婦)し、そもそも皆が話してる言葉が全くわかりませんでした。異国語状態。

ひとつふたつならまだしも、もしわからないことを全部質問したら、「それなあに?」「それどうして?」周囲の会話を全部止めてしまう3歳児状態です。

だから母体が自動車メーカーな所で「座学あり」とある、ユイとは別のスクールに行きましたが、座学はほとんど皆無でした。

何度か参加して、その場は何事もないし大して指摘も受けないけれど、自分でサーキットに行くとうまくいかない。

 それを聞いて夫が、雑誌のENGINEのドライビングスクールをユイレーシングスクールが行っていると知っていて、「俺は行ったことがないけど、スクールやっている人の書いた記事を、昔いくつか読んだ事があるのを思い出した。そんなに運転を知りたいなら行ってみたら?」

そう言われたのがきっかけでした。

でも別に子供じゃないから手取り足取りお膳立てをしてもらえるわけでもなく、諸々決心するのに半年かかりました。

スクールのサイトのMedia infoの中にあるYRS(Yui Racing School)の教科書を読んで、おそらく自分の知りたいことを教えてくれるのはここだと思ったのが決め手になりました。

実際師匠の運転を助手席で経験しましたし、外から何度も見ましたが、いつか、ロガーの情報を3Dで映像化して外からの走行動画に乗せて、運動エネルギーもその中に可視化して、師匠のオーバル走行を見られないものかと思っています。誰か考えてくれないかな、全くわからないから他力本願だけど。(もしできたとして映像としてどうなるかは分かってない私…色別で可視化?)

オーバルの立ち上がりで、アウト側に逃げかけたエネルギーが、車の方に引き戻される様なイメージを、何度も持ったことがあるので。あくまでもイメージなので、実際がそうかどうかはわかりませんが、とにかく作ったエネルギーは逃さない、そんな気がします。タイヤをスライドさせたり失速したエネルギーは車には戻ってこないので、そうならずに常に運動エネルギーが手中にあるというイメージです。

それを、再現しようと練習している人たちがそこにはいます。

 

大きくベースで立ち遅れていて、参加資金にも乏しい自分には、YRS の教科書以外にもたくさんユイの読み物で勉強しました。共通語を持たないと質問すらできません。

最初はさっぱりわからなかったけれど、わからないと困る何かが、そこには書いてあるはずです。知らない言葉は本やネットで調べて行きました。全ては理解できない事も多いですがやらないよりは。

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ハウツーはその場で有効です。でも根本理解が有ればハウツーを現場に合わせて応用できます。

だけど、今回トラクションでつまづいたみたいに、抜けていたり考えすぎたりもやはり出てきます。まあそんなもんです。できてないことも認識して、でも少しでも自分を褒めようと思っています。だって人生は他の人に褒めてもらえないことの方が多いんです。自分に厳しくある一方で密かに自分を誉めてあげてもいい。

 

まあ、私は恐怖心と自分のたがを外すことから始めないと。

幸田のバックストレートエンドを思い出せ!あの時はブレーキホース詰まりかけで左右のブレーキの立ち上がりが不安定で、実はバネだっておそらくあの時より前に折れてた(3rsのスンバラシイDASSの玉に瑕)。おかしいなあ、運転のせいかなあとか思いながら、それを工夫して丁寧に抑え込んでたんだ(逆に知ってたらできなかったと思うけれどね)。車ってある意味丈夫いなあ。車屋さん後日直してくれてありがとう!

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(ちなみに折れたバネは純正品で交換、折れてても結構走れちゃうのでかなりわかりづらかったです。うちの玄関にまだあります・笑)

 

時間がかかっても。とにかく自助努力以外ありません。科学、物理は主婦業の料理や掃除にも役立ちます。

おじさまたちにはかなわないけれども、別にいいんです。牛歩ですが、誰に恥じる事もない。

Moooo!

 

そうそう。

この歳になって、夫を口説く事になるとはね。「また一緒に走りませんか?」(大笑・そっち?)とはっきりは言ってないですが…言ってるか(笑)

本人も嫌じゃないんですが、いろいろあって簡単じゃないんですよね。自分だって気持ちだけじゃ行けないし。いつも可能不可能は50:50みたいなものです。諦めずに機会を伺います。

やっとはけた靴、シートに置いてたパッドの使いかたその後

 先日のスクール参加の少し前に、4年前体調を崩す前にセール品を買ったのに、履いてみたら当たる場所があって痛かったりして、そのまましまっていた靴を出してきました。

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プーマの917FUNというものらしいです。

モータースポーツからインスピレーションを…とかいうモデルらしいです。随分前に夫が買ってくれた

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これの足首ないのがが欲しいなあと思って探したのが黒い方です。

歩きやすいし、(製品ページを探すとロープロファイルモデルと書いてあります)靴底も厚くなくて割と感触が伝わりやすくて良しです。今は中古しかないっぽいですね。

917はポルシェ917と関係があるのかな?調べてみると私が生まれた頃の車なので、その頃のレーシングシューズはこういう様なな感じだったのか?考えてみたものの、ポルシェ917がポルシェにとって歴史的な車らしいということしかわからなかったです。

 

今履いてみると、買った当時と変わらず紐を通す穴の金具がちょうど当たる様で歩くと痛いんですよね。

で、靴屋さんがお客さんのフィッティングの時に教える技で、当たって痛いところは紐を通さずスキップするということを聞いた(靴屋さんがTVで話してたのは1番最初の穴をスキップする方法だったので見栄えには影響がなかった…)

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やってみました。場所が場所なので、見た目は今ひとつですが、履けないよりいいだろうということです。

で、これ履いてスクールの日1日過ごしました。足腰弱ってしまってからしばらく、ランニングシューズとか靴底にクッション性のある靴を選んで履いていたので、こういう靴履いて1日大丈夫だったのは嬉しいですね。

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近年はお約束の右踵の汚れ。場所を踏みかえる時はありますが、基本踵をつけます。

プーマというとドライビングシューズ、スピードキャットとかあるけど2-3万コース、パトリックも人気だけれどわたしにはお高いのと足幅ギリ合わず。このモデルは定価でもそんなに高くない(っても私には高い)のが更に安かったので買いました。もう買えなさそうなので大事に履きましょう。

 

そして以前からフィット調整に敷いてた

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この中高反発系?(笑)スポンジシート。普段走ってる分には自分には必要かなと思っていて、試しにユイのスクールの時も敷いていましたが…

長い方のオーバルを走り始めたら、ETCの機械の角に膝が当たってしまい

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1セッションずっと、毎コーナーの間中「イタイイタイイタイ…」ってなりました(笑)

敷いてあるシート外せばその分腰が下がるから当たらないのでは?と思ってシートを取ってみたら、手前のコンソールに当たる様になって大丈夫。

そしてシートなしでも大丈夫です。やはりGかかってくるとオリジナルのあの腰の部分の深さが要るのかなあ、ということで、敷いてたシートは日常用となりそうです。

(ふつう、サーキット行くぞ!バケット入れるぞってなる話の方が多いのにねww)

私にとっては日常とか高速巡航はあった方が腰が楽です。深さが減りますが素材のせいでお尻が滑っていく事もないので、楽になった気がします。(あくまで個人的な意見です)もうしばらく様子見です。

日常とスポーツ走行使い分ければ良いのでないかなと思います。

スポーツ走行の方は走り慣れて来れば体が自然と予測変換的に動きを先取りしていくと思うので、オリジナルで困ることはなさそうな気がします。

主婦の休暇はサーキット(の駐車場のオーバル)で〜その3〜

 

今日の夕方るーさんに乗っていて、一瞬だけスロットルペダルをクッと踏み込んだ方がいいなという場面があって、一瞬だけ高回転側になったのですが、ふふふ。スポーツして来たもんね、るーさん。‥‥へなちょこオーナーだけど許してくれ。

 

さて。久しぶりにユイに参加したら、感じたことがいっぱいあって、その3まで来てしまいました。予告通り、トラクションの話です。

 

ラクションとはなんぞや。

改めて調べてみると、牽引力とか駆動力といった言葉が出てきます。

2000年越えたあたりからトラクションコントロールのついた車も出てきてたように思います。お助けデバイスですよね。

私は耳にはするものの、今ひとつ理解ができていなくて、あまり考えたことがなかったのですが、今回オーバルスクールで師匠の口からその言葉が出た時に「思い出した」的感覚でした。トラクションはグリップの仲間‥いや違うなあ‥ごにょごにょ‥とにかくトラクションかかると曲がるらしい的な理解でした。

 

 

ユイのオーバルスクールで、オーバルロングコースを走るときに、ルーテシア3rsの場合、2速だけでも3速だけでもとりあえず走れてしまいます。発進からで、2速7000回転まで回すと80km/hとか普通にいけちゃうし。もちろん、コーナリングを2でストレートを3で、という走り方もあります。さて、どうしましょう?

(結果私は3パターン全部をヒイコラ言いながら1日かけて試しましたとさ)

自分で撮った動画で見てみましたが、午後に走ったオーバルロングのコースでもすごくざっくり数えて立ち上がりからターンインまでが大体4〜5秒でした。速い車だともっと短いことになる。

その間に加速、減速、姿勢づくり、変速する場合はそのどこかで変速作業です。そしてそのままトレイルブレーキをしなければなりません。いっそがし〜い。

車によると思うのですが、3rsの場合は2速だけでもかなり速いので迷えます。同じ車に乗ってきてた人が2速で走っていた時も、私より全然速い。

(コースの大きさとかそういうものは今回の話的にはなくても良いと思いますし、私が書いて良いことかどうかと思うので書きません。興味がある方はお調べいただければ判明するかと思います。)

ただ、操作がまとまって迷いがなくなると、カクカクシカジカコケコッコーで実にスムーズに周回を重ね、それを維持する操作をできれば重ねるごとに速くなっていく走りができるような気がします。モメンタムレースってそういうことなんじゃないかな、全然できてないけどさ。そういう目で見ると、nascarとかってすごいよなあ。

だから、先日の私は速くなりようがないわけで、でも諦めた走りが一番良くないので、乱れちゃいかんがあがきは止めるなということに自然として行ったのだと思います。一人でドタバタしていただけですけどね。

今朝になって当日よりも、昨日よりも、さらにパズルのピースが繋がり、理解が深まりました。それを速さにつなげるには、おそらくまずあのロールに気持ちが勝てないとダメですなあ‥。

 

まず、なんとなく、自分の自然な感覚で、2速で走り、立ち上がったら3速、次のコーナーに入る時にはシフトダウン、で走り始めました。一応ヒール&トゥはできるので、とりあえずは走れたのですが、どうもターンインの姿勢がうまく作れてない、後手に回ってるなということで、とりあえず2速だけで走ってみようと。そこから迷いが生じました。(今思えば、あのまま2−3速で走り続けたとしても、今よりも脳内整理できてないので、どこかで行き詰まったであろうと思われるので、やはり迷った甲斐があったと思います。)

 

困っていると大体走りに現れる様で、スタッフさんから声がかかります。

そこで1度3速だけで走ってみようということになりました。全部2速だとある意味勢いを削ぐと。シフトダウンに困るというなら、3速ならどうなるか、3速でどこまで行けるかやってみたらと。

オーバルロングより小さいオーバルで、午前中に3速で走ってみていたので、それより大きいオーバルロングで走れない(回転数が足りなくなるとかね)、ということはないなと思い快諾。

しかし予想通りこれがまた修行なわけで(笑)。わかる方にはわかるかと思いますが、地に足がつかない感が出てきます。ただ、3速だとターンインの姿勢作りができてないとより辛いので、そういう意味では練習になると思いヒイコラヒイコラ。

それをおそらく師匠が見ておられたのでしょうね、お昼休みに声がかかります。そこで出た言葉がトラクションでした。

しかし私はそこでトラクションの説明を求めることを思いつかなかった。

それが結論出すのに1日かかってしまった理由でしょうね。

結局午後からも私は感覚的な確証が持てずに、自分のターンインが悪いのか、選んだギアが悪いのかをしばらく感覚で追い求めて疲れていくことになります。

それが悪かったとは思いません。あそこまでやったら忘れません。でもまあ、五十路ならもうちょっと省力化できてもよかったんじゃないかと。

 

スタッフさんに3速走行を勧められた時にも一応、2速だけだと勢いを削ぐということの意味は感覚的に理解はしていたのですが、トラクションという捉え方をしていませんでした。

ラクションかかるとよく曲がるっていう話を聞いたことがあります。ユイに参加するより前に、サーキット走ってる人が「トラクションだって、トラクション!」って大きな声で話してるのを聞いたことがあります。

なんとなく、なんかその特別なときだけ出てくるようなイメージを持っていたんですが、改めて考えれば、トラクションは走っているときは常にかかっていて、駆動力なんだけど、同時に走行抵抗にもなっているんだなと。

 

散々走って疲れきったところに師匠が見かねて助け舟。

「お〜い、なんでコースアウトしたの?(理由がわかっているかどうかを聞かれている分かっているなら次はできるよなということ)〜中略〜 考えすぎなんだよ。」

3速で走って出口で耐えきれず自主コースアウトしてました。

今朝ふと思ったんですが、もうまさに「助さん角さんもういいでしょう」という黄門様の印ろう状態ですね。これ思いついた時に大笑いしてしまいました。8時45分でしたっけ。4分の3。

私自身も、本音は2と3両方が良くて、どちらか片方で走る理由を否定する材料を探すくらいの心情だったので、

「どのパターンがいい?」

「本音は2と3で走りたいです」

「よしわかった」

という会話の後に師匠運転のるーさんが走り始めました。

今でも忘れませんが、初参加のワークショップで初参加特典のデモラン同乗走行でスラロームの同乗走行をさせていただいたあと、そのままのイメージでスラロームを走った時に、とにかくイメージを再現したら、今までになくスムーズに車が走ったので、同乗をお願いするときは理屈を忘れてイメージで吸収するようにしています。

ただ、とにかく疲労がピークだったので一回自主休憩。

次の回で2〜3速でやってみたら、Oh my home town 状態でした(笑)

体もこっちの方が楽です。

帰ってきたよ、修行してきたよ〜(泣)

思わず事の顛末を同じ3rs乗りの人に目をキラキラさせて話して聞かせてしまいました(笑)

 

そのあとの走行は自由自在。

ただ、そもそも車の速さに操作が追いついてない

るーさんの可能な荷重の具合に自分の大丈夫感がついていけてない

シフトアップ忘れなどミス連発

で結局ずっと同じグループの人にごぼう抜きにされることになります(笑)

ただ、後半は、インベタでも2〜3速走行も苦もなくやってましたし、お相手によってはアウト側から抜かれるまでに2コーナー目まで粘ったりはできるようになりました。向こうだって1日走りこんでるんだから、もうそれで精一杯です。

2の時に書いた通り、とにかく最後は楽しかった。

 

 

そして、帰宅後気がつきました。

なんとなくこの2〜3速問題で感じてたデジャヴュ感。

デジャヴュじゃなく、4年くらい前にるーさんで初めて参加したオーバルスクールで同じことで迷ってました。ふと思い出しました。はっはー。

デジャヴュではなく、反芻(はんすう)ですな。

ただ、前回同じことで迷った時はこういう視点ではなかったと思います。きっかけはレブ当てだったかな。

「もっと軽く走ればいいんだよ」

師匠からそう言われて、軽く走ることの意味をその後一生懸命考えた覚えがあります。なので今回の同乗しながらの説明はすっと入ってきました。

今の所、操作の手順としては2種類思いつきます。片方は想像だけなのでやって見ないとわかりませんが、両方有効なら使い分けもできると思います。オーバルロングとオーバルロンガーではストレートの長さが違うので変わってくるかなという予感もあります

力がかかっている方向が昔のどアンダーとは違うっていうのは、走っていても、特に2〜3速でトラクションうまくかかった時にはっきり感じました。今までのスピードだとトレイルブレーキなしでも曲がります。余裕が生まれているのがはっきりわかりました。だけどユイで習ったターンインが不完全だとやはり苦しくなりました。。

その時のことを考えていて思い出したのが、前の相棒の時にスタッフさんが教えてくれた縦方向のタイヤの食わせ方。2〜3両方づかいが一番トラクションがかかる気がする理由はそれと共通する縦Gかもしれません。踏んでいかないとできないけど、踏んで行くには強い心とターンインの下準備が不可欠。

あー怖い。でもやってみないとなあ(泣)

 

今回ではっきり認識しましたが、ユイに行く前に一人でサーキット行ってどアンダー出してた頃のトラウマで、限界を見に行く方向に嫌悪感があります。車に、タイヤに無理をさせている罪悪感も。

しかし今回参加の途中でもそうですし、帰宅後改めてタイヤを見てもそうなんですが、大丈夫なんです、全然。タイヤが「屁でもねーよ」って感じにしか減ってないです。荒れてもいない。攻めきれてないという部分はもちろんありますが、今回だけが特別遅かったわけでなく前から遅いので(なんだかなーw)まだまだ足りないにしても、練習して考えてきた結果はこういうところに出てくるんだろうかと。

 

 

長くなりまして、長文にお付き合いいただいた皆様ありがとうございました。とりあえずこの辺りで。

 

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足回り交換して3年。リヤの車高がちょっと馴染んだ感出てきた気がするのは気のせいかなあ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主婦の休暇はサーキット(の駐車場のオーバル)で〜その2 〜

 その1からのつづきです。

二度寝する意味が感じられず、コソコソと家を出たのが午前2時半。我ながらアホだな(褒め言葉)と自嘲しつつ。草木も眠る丑三つ時とは言い得て妙、本当に何もかもが眠っているかの様な中を走っていく。全く車がいないわけではないが、日曜のこの時間はこんなに空いているものなのか?

西知多産業道路(自動車専用道路)から、東海インターより伊勢湾岸道に入り、豊田JCTから新東名へ。

大体1時間毎を目安にスプラッシュ的な休憩を挟みながら東へ。私自身は、1時間毎にただ車からおりて姿勢変化をするだけで腰痛になりにくいという事は何度か試して実感していたので。

途中の休憩時に予防的にコルセットを着用。(結局終日つけたままだった。)

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午前4時に近づくと、空が少し明るめになってきて、浜松PAに入った頃には空が白み始め、

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あっという間に明るくなった。

人も車も増える。

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その後ここまで来れば目処がつくと思っている駿河湾沼津SAで朝食。

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この時の牛乳が実はシフトレバーのブーツに少しこぼれていたことにスクールの最中に気づく(笑)

そしてこのPAは海の景色が見えて好きなのだ。

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そしてPAを出て御殿場インターをおりて、いつもの道で富士スピードウェイを目指す。途中にいくつもレースチームのロゴを掲げた建物がある。トムス、DStation、カーガイ。ちょっとワクワクするな。

(国内レース見初めて数年。最近はWECやDTMフォーミュラEWRC、エクストリームE、WTCR、IMSA、インディシリーズ…存在は知っていて、見られる時は眺める程度だけれど見ている。家事があるので理解が追いつかないのが実情。DTMのゴッツさんが、きっとメガネ男子なんだなと思っていたりする。見るたびにメガネが違う。)

 

フジに着くとちょっとゲート前が賑やか。

インタープロトのレースがあるらしい。

いつものP2に到着。

 

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曇り。終日富士山は拝めず。前日は朝まで滝雨だったのだというのはレーダーで見て知っていた。

 

さあ、主婦の休暇、ユイレーシングスクール オーバルスクールな1日が始まる。時刻となり、座学が始まる。ビークルダイナミクス。車はいかにして動いているのか、どういう動きを目指すのが良いのか。基本は何度も聞いてきた話だけれど、来るたびに新しい話が間に挟まっていて勉強になる。そもそも、ふんふんと聞いていても、自分がそれをどれだけ本当に理解できているのか、そして聞くは易し行うは難し。

 

最初は小さなオーバルを走行する。

実は私は小さなオーバルが苦手。苦手なんだけど、大体そういうところに自分の弱点が隠れてる様な気もする。なんか苦手意識があるけれど、それは横に置いてとにかく走る。

うーん自分視線が近い。不安なんだな。(直近の操作に不安があると近くを見がちだと私は思ってる)

心を落ち着けて遠くを見る。楽になる。でもやっぱり下手だなあ。そもそも、普段ロールしない感じで走っているので(るーさんがしっかりロールするほどのことは、日常ではない気がする、その必要もない。させちゃいかん。)そのロール感に自分が反射的に戸惑ってる。4年ぶり&るーさんではまだ2回目なんだよなあ。

そもそも、今考えると思うけれど、生来の感覚からするとあり得ない状況(車をあんなにロールさせて走る)に自分は飛び込んできてる。それがそう大したことでない、全然まだ大丈夫(実際問題はないのだと、車を後で確認すると分かる気がする)な人からすれば「できるはずのことをなぜしない?」となるのかもしれない。

私自身も車の力を発揮させたいと思って通っているのだけれど‥超えるのに時間がかかって自分でもじれてくる。

 

その後オーバルが大きくなる。(オーバルが3種類あって、オーバルオーバルロング、オーバルロンガー、の順にストレートが長くなる。オーバルスクールではオーバルオーバルロングを走る。)

 

最初は余裕がある人数でグループ分けをして追い越し禁止、のちに追い越しのルールや手順、サイドバイサイドの走行が安全にできるコース設定であることの説明や、ローリング走行練習で感覚をつかみ、あとはラジオでアドバイスを受けながら走り込む。常に講師やスタッフの見守りがあって、同乗走行も申し出ればしてもらえる。行き詰まりを相談すれば一緒に考えてくださることもある。とにかく引き出しが多くて懐が深い。よく「怒られる」という話を聞いて来る人がいるらしいのだが‥わからなくもないが(笑)

言葉というのは難しいなあ。私はいたるところに「優しさ」を感じるのだが。きっと、指導する側の「熱量」のなせる技なのじゃないだろうかと思う。

こちらは教わりに来ているのだし、お金を払っている。それに対して指導という形で大きな熱量を返してくれる。すごい熱量だといつも思う。

きっと「怒られる」と言いつつ人に勧める人は同じようにその熱量を感じて、その熱量を覚悟して受けとめよということなのかもしれないな。そもそも、私は諸々のあの体勢が、どれだけの覚悟のもとに敷かれているかをいつも考えてしまう。

指導に応えたい、でも自分にできることはすごく小さい。それでも走りたいなあと思うのは、やはり走ることが好きなのだろうし、基本進歩したい人間なのだろうと思う。

 

今回、実は「速く走れる」とは内心思っていなかった。そんな簡単なことではないから。

ただ、速くなりたくないわけではないし、走り出したらやはり速く走りたいと思っている自分がいる。ただ、今回自分の課題はまずは1日体力を持たせることと、「混走」を落ち着いてこなせることだと考えていた。これはルーテシア3rsという車を入手するときに覚悟したことの一つ。前の相棒の時は、私自身の経験の少なさや速さというところが大きいと思うが、車のスペックでもグループ分けの時点で混走とは言えない、追い抜かれる場面が少ない環境で練習させてもらっていたと思う。

以前の参加の時に私が混走が苦手であることが一目瞭然になった出来事もあった。追い抜きの手順で混乱して全体を止めてしまったことがある。そこから脱しないと次の進歩がない。

本来なら車を変える前に自分の運転を考えるべきことだけれども、私は順番を確信犯でひっくり返したのだから、そんなに簡単に速くなれるとは思えない。ただ、違うところにルーテシア3rs購入を決断した理由があった。車自体の速さよりも、ストレートに「走る」ことに向き合った車の方を取りたかった。前の相棒は旅行の方が合っている。そもそもそういうつもりだったのだ。ストレートに走りに向かうには複雑な車だと知った。

正しくはないかもしれないが後悔はしていない。

だから今回ちっとも速くなくて、悔しくないというわけではないのだけれども、ずっと、こういうものだよなと心の片隅で思っていた。諦めているわけではない。ちょっとでも速くなってやろうとは思っている。ただ、一緒に走っている人にできるだけ迷惑をかけないようにと考えてはいた。ここで我に走るのは何かが違う。だけどゆっくり走るのも違う。

 

今回混走を続けていく中で、もちろんミラー等目視もしているのだけれども、気配で後ろからそろそろくるぞというのがわかる瞬間があることに気がついた。実際その感覚でミラーを見ると本当に後ろから来ている。

まあ、そういうことに慣れていないと、確認に時間と意識を取られるから操作がおろそかになる。ましてや手順や何速で走るかというところの実験をしている状況だったのだから、オーバル走行ということを考えても操作が後手に回って速くなれる訳がないのだから、あれでいいのだ。

最後は踏めるところは精一杯と思ったけれども、あまりそれにこだわるとターンインのお膳立てが後手に回り、踏み込みたくても踏み込めなくなるジレンマ。状況的に遅くて当然なのだから、もっとそこの覚悟を決めれば逆にもう少しは速くなったのじゃないかなと思う。

 

ただ、最後の4分の1が楽しくて仕方がなかった。速かろうが遅かろうが、疑問に結論が出て、それが一番軽く走れることがはっきりした。4分の3苦しんだことは自分の糧になる。車も自分も軽くて楽しくて、インベタ専門でも苦にならない。ごぼう抜きにされても苦にならない。楽しかった。腰が痛かったのが吹き飛んだ。

 

 

少し長くなってしまったので「その3」を作ることにします。

次回はトラクションを感じた話を。同じコースを3パターンの走り方でした。