電車乗っての病院通いは続きます。こういう大きな病院に通うのは、10年以上前にムルティプラに乗っていた頃以来。順番に夫の両親の看病でした。当時駐車場のおじさん(当時は有人ゲートでしたが今はどうかなあ)に覚えられていました。左ハンドルのへんな車に乗った子連れの奥さん…ってとこだったのかな(笑)
手の一件では皆さんにご心配をおかけしています。
読むことで心配をかけたり、痛い想像をさせたりするかも知れないので、内緒にした方が良いのかなと思ったりもするのですが、腱鞘炎だと思っていたとこから書いちゃったので、行きがかり上というのもあります。
一応書かなくて良いこと(取りようによってはグロい、痛い)は書かないようにしています。まあ当事者になれば受け入れられるもんです。大変だけど、どうなるんだろう?という興味も半分。
うーん…無理して元気にしてるわけでもなく、あれができないこれができない、というよりも、現状の最適と最善を考えています。
現段階では中指がどこまで戻るか見えないし、リハの先生はそんなこと言うわけないし、誰にもわかりません。
今は箸や包丁がうまく使えないから瞬間は悲しい。戻りきらないと不便は不便だと思います。
ただ、自分の現状を納得できればそれで良いかな。怖がってる時間がもったいない。
その間にできることがいっぱいあります。
マジで。
以前いろいろあって、その時にじっくり考えてみて思ったのですが…
なにかができないとか足りないことは確かに残念です。
でも無い物ねだりの心(時として向上心とごっちゃになりやすい)に囚われるよりも、人と比べるよりも、自分のできる範囲のことの中身をもっと奥深くできればいいんじゃないかなと思うようになったんです。
それが結果として勝つこともあるだろうし負けることもあるだろうし。
残念とか悔しいとかあっても、得られるものはそれとは別だよなあって思えました。
不自由なことを持った方とも何人か出会いがありますが、そういう時にいつも思うには私にとってのその人の真の魅力は「なにができるか」ではないということでした。
そういう感覚に近いものは、ユイレーシングスクールhttp://www.avoc.com/に通う中でも芽生えました。言葉で伝えるのは難しいけれど、師匠の言葉を借りれば(文言通りではないかも)
*どんなに人が力んで頑張っても、車と自分の能力以上に速く走ることはできない。
*速く走るためには、前の車に追いつくことが大事なのではなく、自分の車をいかに速く走らせるかが大事。
言葉で見てる分には、なるほど道理だと思うのですが、想像していたよりも奥が深い言葉で、自分なりにその言葉が腑に落ちた時に、タイムっていうものが結構二次的なものになりました。その世界は車にとっても自分にとっても良い感じ。
YRS内で他の人と比べたら速くないけど、自分の中では過去最速になって、昔はこれ以上怖いと思ってた所からまだ上を見られる。
走りたくなってきた(笑)
もうちょっと辛抱だなぁ。
まあ、身体のことも運転も、わからないことも多いので、全部がうまく行ってるわけでも無いでしょうけどね…(笑)
多分誰にも言ってなかったけれども、昨年から割と良いことが多かったから、そろそろ何か起きるんじゃないか、もしかしたら病気で死んじゃうかもなあー…縁起でもないけれども、何故かそんな気がすることが時々あって、逆にこの程度で済むかな…とホッとしている気持ちがあって。
変かもしれないですが。
昨日は抜糸しました。
また新しい経験したわー(笑)なかなかでございますわよ。
ワシ頑張ったー
とりあえず、今いっちゃんやったらあかんことは、こわーいおにいさんの前で右手でガッツポーズすることですわー