先日、亡くなった夫の母の着物を改めて整理しました。この15年ほど、ずっと家族の誰かが闘病中で、私自身も着物を着る(といっても自分では着られない)機会も作れず、長男の小学校の卒業式に自分のを着たのが最後。
体型が違ったりして着られない着物も、行くあてなく持っていたのですが、どこかで使ってもらえるものはないかと思って買取業者さんに連絡をしてみました。
全く着物の価値がわからないので、とにかく出せるものを出して待機。
結局まともに価値がつくものがなく、買取は諦めました。
需給バランスが崩れているので、値段をつけられる条件はかなり厳しい様です。
結局、先方も迷ったら売らない方がいい、とおっしゃるので、着物の保管の仕方を御指南頂いただけになってしまいました。
ほかの出張先も似たり寄ったりだそうです。
お金にしたいというよりは、どこかで使ってもらえないかという思いの方が強かったのですが、結局、着物も洋服も、商売として流通できるものは名前がつくもので保存状態が良いものということで、そうでないものは行き場がないんだなあ…と思いました。
詳しくは言えませんが、夫婦で話し合って、生前お姑さんが着物に関して一切説明もせず、言い残した事もなかった理由が思い当たり、改めてその人生の大変さを感じました。
残された着物を2日くらい眺めて、なんだか辛いけどもう一度分別して、生地として利用するものと処分するもの、そのまま取っておく物に分けました。
着物をアロハにするとか耳にしますが、そういう高度なことは自分でやっても上手にはできないので、とりあえず保管して、じっくり考えようと思います。
綺麗な柄のものを糸を解いて額に入れるだけでも良いかも知れません。
普段着であったかなと思われるものなど、生地によっては簡単な袋とか手提げくらいならとりあえず作れそうかなあ。
夢に亡くなった夫の両親が出てきました。
私の気持ちの中にあった、着物を処分する申し訳なさが現れた夢でした。
私にとっては、つきあいは短かったけれど、実の親より影響力があった人たちです。昭和一桁の生き様をそのまま肯定はできないけれど、とにかく頭が下がる。
間近で見送った人間は、何年たっても、あの見送り方で良かったのか、とつい考えてしまいます。
当時精一杯頑張ったけど、若かった…あの頃我々ではわからなかった2人の気持ちがあったのではと、時々ふと考えてしまうことがあります。
近頃終活という言葉があるけど、自分は身の回りをコンパクトにしていくのが理想やなあと思っています。
前にもどこかで書いたけど、真ん中に小さな住まいがあって、住まいの両側に夫婦の車が1台ずつ入るガレージがくっついてる家を建てたいなあ。
夢ですね。
きっとずっと家族の心配して生きてるような気がしますなあ。