るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

ルール遵守

 昨日から読んでいる本。「四輪の…」だけれど、興味深く読み進めています。

とは言うものの、早朝からいろいろこなして、仕事してから…って読み始めると、ひとつめの交通ルールの項を読み終えて、次のブレーキの項の途中に、

テレビCMにある「むずかしいことを考えるとなんだか眠くなってくる〜♪」っていう感じになって、寝落ちしてしまいました。

興味があって、知りたくて、よーし、と思って読んでいるのに。なんだかなあ…。

 

でも、まず交通ルールの話が非常に頷けました。

自分が行っていたスクールで走っていく中で、同じようなことを納得していった記憶があります。

 

スクールでサーキットやオーバルを走るときに、都度オーバーテイクのルールはこう、というのがあるのだけれど、説明段階でがウンウンと聞いているものの、いざ現場(オーバーテイクされる側)になると瞬間パニックになってできてない、という事が、最初の頃は特にありました。最悪の選択をして叱られて、走行後、迷惑かけたと自分で直後にいた人に頭を下げに行った事もあります。

 できてないのは事実なので言い訳するのは嫌だけど、速く走ろうと走行中という状況の中では結構大変な場面もあって、やってみて、失敗して、ようやく少し腑に落ちたというのが正直なところ。表面的な理解しかできてなくて、ルールの重要性が分かっていなかったんだろうと思います。

 その後、クラス分けの関係もあって大勢で走る機会が少なかったので今も、いろんな場面で自分がしっかり立ち回れるかどうかの自信はないです。

ただ、日々家での仕事をする主婦としては、外での失敗とか、経験、スクールで時々受ける指摘は、非常に大事に思っていて、都度一生懸命受け止めて考える様にはしています。

 

 

 

随分前ですが、ルールのイメージがスッと腑に落ちたことがありました。

交通ルールというのは、みんなが守るから意味があるのだ。みんながルールに身を委ねるから生まれる自由がある。あーそうだ、と。

言葉にすると当たり前なことなんだけれど、

守らなくて良いと思っていた訳ではないのだけど、

「ルールはこうだけど、みんなやってないし」

「ここは例外でしょう」

っていう場面を、いろんなところで見てきた様な気がするんです。自分もやったことがあるような。

それは大丈夫?ホントにそう?

 

誰かがルールを守らないとか間違えることで、例外因子が発生すると、そこに関わってまた例外因子が発生して…例外が連鎖してどんどんくちゃくちゃになって行くイメージを持つと、そう思います。

自分のちーさな例外行動でその周囲に広がる余波…というシュミレーション動画のような…

 

無茶な運転をする人を避けたら自分が事故を起こしてしまって免停…っていう話も聞いたことあります。

 

極端な例で行くと、先日やっていたインディ500のクラッシュとかもそういうイメージです。

 

新東名開通前の日曜夕方の東名高速も例外因子が許されない速度と車間でした。逃げ場なし。

そういう意味では名古屋市内の幹線道路もそういうとこありました。

渋滞中の道路も。

っていうか道路を走るということは本来そういう事なんだと。

 

それを思い浮かべて、今は例外とか、この位いいじゃない?っていうことをもう一回考え直してみようと思ったのです。

 

 

ルールをみんなが守りきれて、実力を出しきれたら全体が最速に近づくのではないか。

レースの中でのルールのことを納得したくて考えた時にそういう考えに至ったというのもあります(個人的な考えですが)。

もしそうなら自分も頑張ってその仲間に連なってみたい、最後尾でも構わないから…オーバルレース参加志望の動機です。(なのにその考えが日常で徹底しきれなくて、そういうところが自分で心配で)

 

実際の路上での状況は、ホントに様々で、じゃあ、極端なこといえば、ルールに照らしたら自分以外が全部例外因子だったらどうすれば良いのか、その都度判断していくしかない訳で、日々検証と反省の繰り返しです。

運転中ずっと気が張っていそうな疲れそうなことを書いているような気がしますが、自分の意思でそうしていれば意外と面白いもんだし、気が抜けてたらあかん訳で。

ただ、人生の秋を迎えかけているのか、夏の終わりなのか。運転中に考え事しそうになります。というか、体力ないなあ…がんばろ。

 

 

 

 

追記

自分の主婦という仕事を軽視、蔑視するつもりはないけれど、人から評価される事は少ないと思うし、むしろ外部評価されないので、それではダレると自分で自己評価を下してモチベーションを一生懸命作って日々を過ごしている様な気がして、時々基準点がわからなくなったりして整理がつかなくなる時があります。家で気が休まらないのも事実です。

絶対、暇ではないのだけれど、全く世の中に貢献していない訳ではないのだけど、でも、働いてない、自分が目に見える収入を生み出してない、外に出ていないという類の負い目を感じてもいます。

自分が目にしてきた子育てしながら働いているお母さんたちは、ホントに殺人的な毎日を送っていたというのもあります。

私も15年ちょっと前に週4-5で昼休憩ないシフトで10:00〜14:30の仕事を1年だけしたことがありますが、洗濯は前夜のうちに済ませて、子供保育園に送ったら昼抜きで仕事、仕事が終わったら即子供のお迎えで、そのまま夕方、夜へ…ホッとする時間がなかったです。もっと大変な人もいました。

息子たちが小学生だった頃は、確かに義母たちの看病とかしてましたが、自分の気持ち的に働きに出てない負い目もあって地域やPTAの事もやったけれど、過渡期で、従来の考え方と今時の考え方が交錯して、何を頑張るのが周囲への貢献になるのか、ホントにカオスな現場でしたが、誰のせいでもない気がしてね…。

 どんな立場にせよ、日常から離れて、何かの趣味に一生懸命に取り組む時間は、すごくリフレッシュになるとこの数年で知りました。自分の子供達が、自分が助けてもらえる人がいなくて苦しかった年齢や状況になった時に、彼らの家庭を助けてやることなら私の経験値で出来るかも知れないと思っています。

(主婦の定義づけをしたい訳でなく、あくまで自分が日々葛藤しているだけのことです。)