るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

もうすぐ10年 、これからの10年 (前編)

  絶賛梅雨入り中です。6月は父親の仕事が1年で一番忙しい時です。

仕事の性質上、どうしても一時期に業務が集中してしまうので、父をみていてハラハラします。どう見てもちょうどいいペースで仕事ができているとは思えませんが、努力してもそうなってしまう事情も想像できる。では私に何ができるのかといえば、後方支援だけです。同居前は実家で父がひとりで家事仕事介護全部やっていましたので、今もあのままだったらと考えると…。

あの歳で、仕事を持っていて、人から頼っていただける立場にあることは、ほんとにありがたいことだと思うし、本人にとっても生きがいです。父がそういう仕事と仲間を持てたことは、父の努力と周りに恵まれたんだと思っています。ただ、家庭の中から見ていると、がむしゃらに走り続けていく父しか、私の記憶にはありません。母は大変だったと思います。

それでも、今もそうやって人から頼っていただけるということは、そうしなければならない何かがあったのかな、そうなんだろうな。

しかし、数年前から特に、体力的にもそろそろ父の肩の荷を少しずつ下ろす(無理をしない)ことも必要だと感じていて、それは逆に家族にしか言えないことなんじゃないかとも考えて、話し合いは時々しています。いろいろ話を聞いて、逆に父の仕事の内情もわかってきて、最近はまあまあ現実的にうまく話し合えてるかなとは思います。

父には仕事を助けてくれる仲間はいても、生活を助ける人は今自分しかいないのだ、というのが同居して改めて感じたことです。

 

 知多半島に来てもうすぐ10年。12年前、実家の母の4度目の脳梗塞が起き半身不随に。我々夫婦が一人っ子同士なことと、それ以前に順に夫の両親を見送ったこともあり、諸々判断してできる限りお互いがwinwinになる方法を、短期間で探しましたっけ…28年前の断絶(父は生き別れ覚悟で私を嫁に出しました。)からの逆転劇。事情を知る人からは良かったとも言われましたがよく許せたねと呆れられもしました。それもある種誤解を含んでいるのですが説明するには一晩かけても足りないかも(苦笑)

窮状を知った以上、過去に縛られて距離をおいていて良いとは思えなかったです。

腹割ってお互いが現実的に困ったことを話し合って、お互いの、それと次世代の子どもたちの人生をいい方向にと、10年ちかくやってきました。

我が夫が、ここに至るまで、ほんとにいろいろ理解を示してくれたことが、ありがたいです。

10年前みんなで知多半島に集まって暮らし始め、得られたものもいっぱいありました。いろんないみで自転車操業ですが…溜息。

子どもたちは、実家の昔のことは知らないけれど、彼らがこっちに来てからの方が楽しそうに日々を送っているように映るし、本人たちもそう言ってくれたことも何度かあって、それがなにより大人が皆喜んでいること。

小学生だった娘が社会人に、息子も来年から働きます。

娘は勉強よりもなにか作業するほうが好き。絵も工作も好きでしたが、自分はオリジナリティがないという様なことで、高校も本人が就職に有利と商業高校を選びました。本当にそれでいいのかどうか、専門学校も考えましたが、自分がどうしてもそれになりたいとは思えなかった様で就職しました。

就職先は食品系で調理や盛り付けのある仕事です。なんだか納得。宿題に追い回されていた学生時代より前向きに頑張っている気がします。

 

今度は嫁入りや嫁取り(息子には今から俺結婚しないかもっていわれてますが^^;)のことも考えておかないといけないですね。

すみません、いろんなもん入り混じってますが、こういうのが私の今の身の回りで起きていることで、日常のごくいち部分です。大事なときにはいつも、いろんな人に助けてもらってきました。ありがたいことです。結局ありがたいと思うばかりで大した恩返しができなくて、それがいつも心残り。家族ならなにかできるのに…って思ったことが何度もあります。

結婚前、実家と断絶してほんとにひとりぼっちになった時期があって、時々その時のことを思い出します。

手取り12万くらいで5万家賃払って一人暮らししてました。光熱費払うと残りが月に3万くらいでした。あの時の経済感覚を大事にしておけばなんとかなりますね(笑)お金はなかったけど、どこかで諦めたり腐ったりしなくてよかった。

 

先日来、この先どうしようかといろいろ考えていました。

夫の定年まではまだ10年以上あるかと思われます(年々雇用体制とか状況が少しずつ変わっていくので予測不能)。老後に2000万とかで物議を醸していますが、現在親と一緒に住んでいて、年金と介護保険医療保険のありがたさは感じるところがあります。それだけで万事大丈夫とは元々思っていませんが、どうなんでしょうね?

今回の騒ぎも、その話が出てきたらいきなり言葉尻捕まえて大騒ぎになって、結局知りたいことが耳にも目にも入ってこないから良いも悪いも考えられない様に思うのは、半分は自分の勉強不足なのかもしれませんが…。調べたら指針の内容って今でも出てくるものでしょうか?

それはまた家庭内で話し合うとして、車のことも考えていました。

ありがたいことにるーさんという相棒(車)を手にすることができました。

そこに踏み切った理由の三分の一は、

せっかく速く走ることができる運転方法を習っているのだから、走ることに直球な車に乗りたいと思ったこと。

もう一つは軽い車、小さい車、しっかりした車に乗りたいという思いがあったのと…

さいごの三分の一はわがままかな、とも思っています。いろんな情報で、いい車だろうなとは予測はついていて、乗る以上、ほしいと思ったら買う気で諸々整えて試乗しましたが、決めてからも「買ってもいいのかなあ…」っていう思いは消えなかったです。わがままを言わせてくれるきっかけをくれた夫に感謝です。

3つの理由にしましたが、もっといろいろ考えた結果ではあります。

 

ただ、これから先の10年を考えるときに、自分が車と何がしたいのか、何ができるのかとなると、最初に考えていたこととは変わってきた部分もあります。運転を真剣に考えて習ってきたことで変わっていきました。

 

後編に続く…