唐突ですが。夢って、見る夢と持つ夢とありますよね。
見る夢の方は私は近年追い詰められる夢が多いのですが、先日久々に起きてから笑える夢をみました。俳優の大泉洋が演じているドラマ(人情系)を夢の中で自分が傍観者として見てました。自分は夢の中なのに、その出来事には参加してなくて、傍観者。なんじゃこりゃ。
今度は持つ方の夢の話ですが。
私は15年くらい前はハッキリと将来の夢があったんですけどね。
今はどうなのかな。嫌なもので、歳を取るほどに、いろんな立場とか責任とか考えあわせてしまいます。でも夢って、そこをあまり考えすぎてしまうと一歩踏み出せなくなると思ってもいます。
自分1人があれしたいこれしたい、自己完結型の夢なら良いんだけど…ね。
誰の為に、なのか。
人生がまだ、なのか、もう、なのか50年近くなり、何度も何度も「何のために」「誰のために」を悩む機会がありました。親子、出会い、別れ、結婚、出産、看取り、子育て、地域。自分の好きでやっている事ではなくても、「これって自分が大変なことが気持ちよくなってるだけなんじゃないのか」って自問自答したことも何度もありました。
答えを出しきれずに失敗したり、後悔が残ったりしたことも。
人様のために、は聞こえは良いですが、その中に自分の楽しみも多少入ってないと、きっと苦しくなります。自分が喜べない(もしくはあまり理解できない)ことについて人に提供し続ける事もなかなか難しいことになるような気がします。
かといって自分の正義や気持ち優先で人を引きずり回してしまうのも良いことでなく。
失敗を恐れてばかりでは何もできないけれど、失敗する余力が作れないのに手を出してしまうのは無謀…
いつしか夢を夢と呼べなくなり、夢を人に語りづらくなり。
それでも、心秘かに幾つもの夢を温めています。小さな目標から大きな夢まで。
でも、家族という仕事には終わりがないですね。本当に。