るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

気を抜かず/ない袖(腕)は振れない

 今朝は我が子たちはお仕事です。製造と食品関係。働かせていただくことはありがたいことですが、このご時世緊張することだろうと思います。息子は感染症対策で先日来社食がお休みで弁当販売になって、食いたいものが選べないからという理由で、コンビニでおにぎり買っていくというので、おかずとおしぼりと水筒を持たせているのですが、金曜日に箸を入れ忘れておかずのおあずけ喰らわせてしまいました(笑)最近は暖かくなってきたのと、諸々あって、彼は帰宅したらそのまま風呂に直行しています。

 

昨日タイヤの選択が難しいという事を書きましたが、後になってちょっと書き方がタイヤに対して上から目線だったかしらと反省しました(笑)

まあ、選ぶ、というほどわかってなどいないわけです。

ハイグリップは日常気を使うと思うという話ですが、ハイグリップはずいぶん前に一度代車が履いていて、たまたま雨が降ってきた時に乗ってみて驚きました。よっぽど大丈夫だとは思いましたが、足が硬めとか自分の把握できてない装備の車の挙動の違いは怖いという恐怖感があって、初のハイグリップで雨はまずいな、何かやらかす前に帰ろうと思ってすぐ引き返したんです(笑)

まあ、今考えれば、速度を極力抑えて、全部の操作を間延びさせてそーっと運転すれば良いのだとは思いますが…だって、雨降ったらずっと滑ってるくらいの気持ちになってしまったんですよね。ああいうのって慣れるんだろうか…元々「滑る」事にはすごく恐怖感と嫌悪感があるので、日常とサーキットの割合を考えた時、1セットしか持てない身で高額出して買うメリットが自分にはなかったですね。あくまで自分の場合で、そういうのは人それぞれだと思います。

サーキットやユイ通いをする前に、もうとにかくどこでも、運転が上手くなるために、何か練習できないかと近所を走ってる時に思っていた時期がありましたが、ユイに通って気づきました。それは無理な相談だな、と。

近年、公道には公道の運転として目指す方向というのが自分にはあって、それは私の場合は、クローズドで指導と見守りと一貫した方針があるユイの環境で得た経験がなければ生まれなかったし、それまでの独りでの苦い経験やその後の日々の生活(運転)や考え続けた時間から得たもので、公道で出来ることとやるべきことは、コースやオーバルで目指す(やろうとすればある程度できるはずの)こととは一線を隔するものです。

根底にある理屈は、同じものを動かしているのだから同じなんだと思いますが、目指すところは全く違う。考えてみたら単純なことなのに。

そして、速くなるほどに、操作は繊細で柔らかくて慎重になっていくものだと思い、それが楽しい。

といっても、私自身は別に特別速くもないだろうなと思うし、時々自分が今ゆっくりだからと、すごくテキトーに運転してやいないかとハッとしたりします。

 

前回書いたどんなタイヤでもそれなりに運転すれば良いというのは、自分のできる範囲のことからすれば、おそらく師匠の受け売り状態の言葉になってしまっていると思います。

正確に言えば、お金に関してはない袖は振れない、技術に関しては、腕以上の事は無理してもできない。わかっているとすれば、どこからが自分の未知、理解や経験できてない事なのかの想像がつく、くらいの事です。でもそれが分かるとスッキリして楽しめます。

身の程知ると、頑張って上行くか、程々で行くかとか見極めつけれて気が楽です。