るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

周り賑やか、自らは休憩、現状維持

4月も後半になりました。

我が家周辺は賑やかです。

近所のお子さんが小学1年生になったり、ツバメ的一等地の隣家の軒先では例年通り家主さんとツバメの戦いが繰り広げられています(家主さんは完成する前に落とす主義)。ツバメも最初は再チャレンジするのですが、毎年家主さんの根気で勝利されてます(あの場所は作られると辛いよなあ)。

 我が家の古巣は巡回には来ているものの、まだ入居には至っていません。今年は入居があるだろうか?

f:id:mamogame:20220420131409j:image

そして今朝、すっとんきょうな鳴き声が響き渡りました。キジも鳴かずば撃たれまい、のキジのおっちゃん、今年も健在です。

f:id:mamogame:20220420131210j:image

 

f:id:mamogame:20220420131218j:image

本当に、鳴かなければ、草にまぎれてわからないのになあ。

 

こんな感じで、自然や生き物たちの方は春を謳歌していて、眺めているだけで和みますね。

一方振り返ると人間たちは。

うーん、もう個別にあれこれ言う気が今はありません。入ってくる情報を黙々と消化したり聞き流したりしつつ、できる範囲で「考える、知る」この繰り返しです。

五十路を迎えて、本来ならば10年先20年先のイメージを持ちたいのですが、正直、今はイメージが作れません。先日も、ひと世代前の父親がちょっと無謀というか、あと世代のことを考えてないことを言い始めて、気持ちは想像がつくので申し訳ないが大反論させていただいたばかりです。

聞いてはくれるので、まだ良いのですが、世代間ギャップにめまいがする思い。具体的なことは申し訳ないが避けますが、

あなたは「俺の気持ちをわかってくれ」であと世代の「現実的負担」(我々と言うよりも孫世代が大変になる話)を増やす様な事を言っているのだという話を必死にしました。これねえ、いろんな分野で日本中あちこちで今ある話の様な気がします。

そもそも私のわかって欲しい40年越しの気持ちを封印してるのだが。それが滲んでしまったのが自分の反省点だ。

 

まあ正直五十路の自己実現や将来設計はまだまだ出来なさそうです(笑)。かえって15年くらい前の方が将来やりたいと思っていたことがあった気がしますが、なんか、考えが甘かったという部分もあるのですが、同時に当時思っていたことを今の世の中でやるのはなんか違うなと思える変化が世の中に起きてる気もしています。あとは、なんか不透明感半端ない。

 後ろ向きに聞こえるかもしれませんね。実のところそうでもないんです。見えないわからない、というよりも、何に対して頑張ったら良いのか、今判断せん方が良くない?って思っているだけで。

そもそも、特別に何か才能があるわけでもなく、自分の自立の出発点は住宅手当なし手取り11万で家賃5万円光熱費2ー3万生活なので、最低ライン食えて寝れれば良い人間です。

生まれ故郷や土地に対するこだわりも郷愁も若い頃にいろいろあり捨てましたし、物や人様からの評価にもあまり執着がありません。仙人ではないし悟りも開いてないので、好みはありますしものを選ぶ気持ちもありますが(選ばないとかえって損をすることもあると近年知った)、執着はありません。この20年ほどの人生と、看病介護子育て地域の仕事の結構辛い経験、運転の練習と思考回路整理で一層そういう傾向が強まりました。他の家族がそうかどうかはわかりませんので、一概に私が家族の行末を決める気もありませんし、自分が家事を引き受けて選択権を持たないことが今は家族各々の効率につながっているという自負があります。

本当にあれでよかったのかといまだに思い悩む出来事も幾つかありました。この先できることなら他の家族が日々の良いことも辛いことも納得して生活してくれたら良いなあと思っています。

まあ、まだ人生先があるという思いと、いつ死んでもおかしくないという思いとの両立がこの先の人生なのでしょうね。

まあ、世の中狂想曲状態なので、参加して踊るのもこの歳じゃ疲れるしそもそもそういうの苦手。参加しても何にも役に立てないし。何かと身軽になりたいが、何を動かすにも好機ではなく、待つが得策っていう時ありますよね。(そう思いながら好機を逃す人間もいるとも思いもするただの凡人、凡庸人)

 

しかし。なんもかんも値上がりでびっくりですが、前述の通り食って寝れれば良いなら何とかなる性質ってのはありがたいね。とにかく現状維持に専心します。