るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

車好き…というよりそれしかなかった…でももう車好きだな。

 今でも、スーパーセブンは乗りたい。おそらく実現はしないし、どうして実現しないかもわかっているけれども。今でも、自分が回したステアリングに呼応してタイヤの向きが変わり、車の向きが変わっていくのを視界におさめて実感したいと思うのがその理由。(別にタイヤを凝視しようとは思ってないw。カバーあるし。前見てればその視界になんとなく感じるのではないか、と)

ただまあ、あれだけ低いし、路面近いし、他車との距離感とか、操作系の重さとか諸々想像するにオソロシイ。そして車本体のお値段も。

 

そして、次に夢見ていることは、アシストのないごく普通の車を日常の足として乗り回したいっちゅうこと。きっともっともっと「運転している」感が味わえるだろう。

これはセブンに比べればまだ現実的?でも旧車限定だなあ。

どちらもエアコンないなあ。カーポートやなくて小屋とサブ車いるなあ…溜息。

 

そんな自分はルーテシア3rsに巡り合って、どうやったら楽しめるか、どうやったら長く付き合えるかと、同時進行で、本当にこれで良かったのか、このままでいられるかを考えながら日々を過ごしている。

車に不満はない。私の腕には勿体ない車だ。

同時に見方を変えればごく普通の大衆車だけど、やっぱり中身を考えれば珍しいのかな。

(エンジンが直噴やら排気量減でターボ付きやら、そのうち水素も?動力がハイブリッドやら電気やら、いろいろになってきたのもあるけれど、自分の車(ガソリンNA2段カム)の性能をどう解釈していいのやら。そう思った5月のオーバルスクール。走り方によっても、コースの大小などでも、すごく車の表現が変わってしまう気がするのだけど。まあ、他車と比べるよりも自分の腕を磨かねばそれも何も見えないから、精進か。)

 

近頃、以前よりは時間には中途半端な余裕があるので、時々ふと今までのことを振り返る瞬間がある。

 

なんかこう、ほんとに好きでやって来た事ってなんだったんだろうか?改めて考えてしまって、なんか堂々巡りになりそうで止める、これを繰り返している。

50代に入って、焦りはないんだけど、これから先は寄り道迷い道をする余裕も少ない。これから先に一生懸命になるべき事ってなんだろう?本気で好きな事って何だろう。

そもそも好きなことやっていて大丈夫だろうか。そういう迷いを感じることがあるのだろうな。

やりたいかどうか、で言えばスクールだってもっと参加したいし、車種だってチャレンジしてみたい。だけど、そこに生産性はそんなにない。そこに時に躊躇する。

しかしだ。そもそも、趣味に直接生産性がある場合はそんなに多くないだろう。

生産性よりも、趣味を持つことで生まれる高揚とか、物事に共通する考え方の成長とか、そういうのが趣味の結果となる。

 この辺でやめとこう。そうやってぐるぐるする時があるというだけのこと。

なんかこう、何にも揺るがない情熱やパッションの様なものや、人様と語り尽くす様な知識や積み重ねとか…ない。

ただ、もう25年以上車好きの人と人生を共にして、家族の事情を背負い続け、とにかく忙しくて、夫婦共通であることと、車の移動がまだ1番自分らしくある時間だったことで、私は今やある種の車好きになったのだ。そして手芸やお菓子作りよりもお金がかかる事が多いなか、大して大きなお金をかけない我が家にやってきた車たちに、少しの後ろめたさと、(新車ではないので)これまでの彼ら(車たち)の道のりに少しの敬意を抱いて、日々に励もう。

 

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