るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

ジーノさんその後/試行錯誤して作る思考回路

 最近ネタに乏しく当ブログの更新も滞りがちなのだけれど、まあとにかく日々忙しく。なんか忙しい…。

苦労していた、軽のミラジーノの運転は、なかなか楽しくはなってきた。

国産車とはいえ20年選手。曲がっていかない!なんかおかしいのか?でもなあ…?に始まった昨年の秋。半年経ったが特に大きな問題は起きない。曲がっていかないと感じるのはステアリングのリンクのギア比の違いということで良いのだろうと。

内装は夫が手を入れ、えいようクリームは私が塗った。たまたま夫の職場の後輩がネット売却しようとした誤購入品のナビが取付可で、入手し夫が取り付け。娘は時々用事で乗っているが、そもそも運転そのものは今はあまり興味がなさそうで。とにかく慎重。行って帰って来れて本人がホッとする感じ。今は運転よりも他のことで一歩一歩。試行錯誤。

私の運転の方は、高さの割に車幅が狭いことを考えると、曲がり始めはゆる〜い曲がり方で無いと危ないのだろうし…ということで、致し方ないということで、操作でどこまでカバーできるか、面白がっていろいろやっている。軽なんだから、どうせ曲がんないんだからという走り方ではつまらないので、工夫して何か変わるんなら面白いし。考えることがスポーツ走行の時にもつながると思う。速度域が下がっても根本は同じ。

ステアリングの回し始めが早めなのはもうデフォルトで、るーさんに乗る時に早すぎると曲がりすぎてえらい事になるので逆にそっちに気をつける感じになってきた(笑)

ジーノさんで90度コーナー。車速は下げて、わざと少々前荷重かけて、鼻先が入ったらじわじわ動力をかけ(スロットル開)ながら車を進め荷重を戻しつつ行くとまあ思ったラインには乗ってくる様にはなってきた。が、その後試行錯誤を重ねる中で、結局、ラインには乗ってるけど…なコーナリング作業の時は、あと少しのところを車に要求しすぎているという事なんだろうと思う様になった。思ったラインには乗っているけれども一番荷重がかかっている時に足回りから音が出るし、出口がちょっと苦しい。

 ジーノさんは普通の小型車に比べて車内に対する足回りの防音がされてない(ほかの軽を駐車場で眺めても同様なのでみんなそんな感じかと)ので、いろんな音が聞こえる。

アブソーバ自体は割と新しいのだけど車自体が20年選手だし、どこかへたっているせいなのか、わたしが要求しすぎなのか。

とは言え入手後半年たつけれど悪化もしないしリフレッシュしないと危ないと思う様な問題も今のところ起きない。あまり深追いせずに妥協するのが今は得策と感じて観察あるのみ。

まああんまり負荷をかけないでくれと車の方から言われている様な気もするので、できる限り優しく音が出ない範囲でとは思っている。まあ、どっかへたっててもおかしくはない車齢なので、とにかく素人判断もあかんし心配しすぎもあかんのだろうなと。ムズイ。

総じて、足回り以外も諸々リフレッシュには想像よりは猶予がありそうだ。ありがたい。


冬の最中の田舎道で、車も歩行者も皆無状態の90度コーナーで、ジーノさんで一生懸命丁寧にコーナリングをしてみたことがある。

それまでも丁寧に作業はしていたつもりだったけれど、いつもよりいいコーナリングだったと感じた。るーさんで同じところを走るよりは敢えて若干前荷重気味ではあるが、失速なし、足回りから音は出ず。そのまま思い切りアクセルペダルを踏み込みたかったが我慢した(笑)

後で思い返してそれまでと何が違ったかなと考えたけど、多分ブレーキングの開始が早めで、コーナリング開始速度が若干低めだった。

なのに、自分のその時の感触としては、明らかに気持ちよく速い。そのまま加速したらきっと気持ちよく加速するだろうなあ…そんな立ち上がりだった。コーナリングしながら「これだぁ〜」と思っていたから、後で作業を振り返りたくなるのだろう。

ツッコミ重視、出口重視、という言葉も聞くけど、そういうことでなくて、車的にそのターンインにちょうど良い速度を超える要求をしていくと、仮に曲がれても速くないし車やタイヤに負担、それが行きすぎると危険ということなんだと思うのだけど、じゃあ公道だしとにかくゆっくり…では据え切りに近づいていく気がする。

 

あと少しだけ姿勢変化に時間をかけて、コーナリング開始速度を落とすだけで音が出ない荷重のかけ方で曲がっていけるのかも知れない(かつスムーズでセンター荷重に戻るのも早い)という事なのかな、と思った。

 

別に公道で飛ばしている訳ではない。

何よりもあまり公道で運転技術の向上を目指して事故など起こしてはあかんので、それはいつも自分に確認する様にしてる。考えるのは後で、車が動いていない時。判断以外の思考は作業を遅らせる要因になる。自分は思考に陥りやすい性質なので注意が要る。

なので、疑問や課題をなんとなく頭の片隅にぶら下げておいて、ひと月後くらいにふと「あ。」と思い出したように腑に落ちた、みたいな進み方をしている。ちなみに今でも足回りの音は時々出してしまっていて、会心コーナリングは公道ではそんないつもいつもできるもんじゃないなあと思う。交通事情に合わせるのがまず大事で交差点をイーブンスロットルでというのは意図しない方が良いように思う。

 


もう6年も7年も経つけど、ユイレーシングスクールの門を叩いて、しばらく通ってみて、座学やスクールのコンテンツを読み進めて、考えてきて、走って。

ある意味スクールの、師匠の思考回路を見せてもらっているんだとずっと思っている。

実際のスクールの現場では座学もあって何を目指すかの説明もあるしその時々のハウツー的な指導ももちろんあるんだけど、個人的な感想だけどそれとは別でその気になれば思考回路が学べる気がするのだ。なぜそうなるのか、どういう方向を目指すのか。受講生が試行錯誤することを止めずに見守っているけれど、必要と判断される場合は真剣に指摘してくれた。

試行錯誤することこそが、学ぶ事の大切さと醍醐味ではあるが、本人は大変だし自己責任。でも実はそれは見守る側にも難しく忍耐の必要な事だと思うのだ。試行錯誤しながら間違うこともあるだろうし、ひょっとしたら自分が想像し得ない疑問を投げかけてくるかも知れない。

親をやっていて思う。決まったレールの上からはみ出させず、何事も起きない状況を作って教えた感じにしている方が楽だ。そこから踏み出して試行錯誤することは意外に難しい。良かれと思ってする助言は果たして必要なのか過保護なのか。今も日々迷い、過去を振り返っても本当の子育てができていたのか、完璧はないとは思っていても自分の弱さや不甲斐なさを感じている。

 

自身が試行錯誤して自分の思考回路を作ることができればスクールの時以外でもその場に合わせて自分でその場のハウツーを導き出せる。最終的にはその方が役にたつ。

 自分自身の思考回路が師匠とすごく同じかどうかは私にはわからない。足りないところや未知なところがいっぱいあるんだと思う。わかっていてもできないこともたくさんある。

でも、それはそれで面白い。