先日来寒い。数字よりも体感が寒い。最初少し着込んでみたが、次の日は諦めてヒーターを使った。
そして今日は朝より夜の方が寒いという予報で、ヒーターのタンクに灯油を足した。背後は新緑、そして暖かい時期しか鳴かないカエルが雨の中鳴いている。灯油を足してる作業とそぐわない背景だなあ…違和感を感じつつ冷える足元。
ここの所、どうもココロが落ち着かない割には平常心でもある。どっちやねん(笑)
原因はわかっているが、自分自身が頑張ってもどうなるものでもない事ばかりだし、先の見通しが暗いわけでもない。捉え方次第だと思う。ただ、ここに今書ける類の話ではない。
まあとにかく時間をかけて待つことしかできないことばかりだ。今は自分自身は諸々身動きが取れないか取りづらいな。できるだけ心を揺らさずに待つ。
ただ、その状況を思うに、ワタシも強くなったものだなあと自画自賛している。心のコントロールが上手くなったのかな。こういうのが年季が成せる技なのであろうと思うのだけれど、もう一つ思うのは、運転を学び直した…いやきっと初めて学ぼうとしたのだろう…事が結果的に自己コントロールの方向に働いているのだろうと思う。
運転を学べば誰もが皆自己コントロールができると言いたい訳ではないし、私が人よりコントロールが上手いと思っている訳ではない。
ただ、頭で考えるより、言葉で言うより、実際やってみると難しい。いかに自分が、人が自分の都合でものを見ているかを感じる時がある。それがわかるだけでも心持や考え方が変わるモンだなと。
やってみて身に沁みた事がある。真剣に考えたからこそ感じた事がある。
運転は車との対話
運転は物理との対話
私の実力なら対話というより、常に物理にお伺いを立てている位のことであろう。どっちにせよ逆らいようがないのだ。
私の方がしめしめ上手く行ったと思っているのは一部分勘違いかも知れないし、上手くいかなくて腹が立つんだとしたら、私が自分に腹が立っているのであって、車と物理の方は困った顔をして見ているのであろう。
交通はそういうものが更に交錯するカオスだ。絶対に思い通りになどなるわけがない。唯一そのタガを締めているのがルールだ。
人生だってカオスだ。周囲で起きることの大半は自分の力だけで変わる事ではないし自分の責任でないことにあまりにも振り回されていては損をする。そう言いつつも巻き込まれるものだけど、自分の人生は自分でできる限りコントロールするしかない。
余計な感情移入は程々に、冷静に積み上げて行けば見えてくるものがあるだろう。
できるかもしれないことをやろうとしないことは20代の頃から嫌いだ。だけど、仕分けが上手ではなかった様にも思う。
年齢的にも肉体的にも人生の疲れが出てきてる。焦っても頑張りすぎてもダメだよね。
反省と安堵と不安、喜怒哀楽、悲喜交々。
さあ今日も、日々を淡々と生きる。走りたいとか直したいとか、落ち着いたら行きたいとことか、いろいろなちーさな野望を胸に。