るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

イメージがない事は実現できないのか

 最近、現在進行形のアニメや、ちょっと前のテレビドラマを通しで(過去作一挙放送など)見た中で、魔法使いの話があった。

割とメジャーな作品らしいので、知っている人も多いかと思うが、葬送の…である。登場人物は、寿命が半永久とも言われるエルフ(ヨーロッパでは半神的な存在として実際に存在する言葉?概念?らしい)という人種と、人間、ドワーフ、魔族、魔物がいる。魔族魔物は悪者で倒すべき存在。

主人公は人間の勇者や僧侶、ドワーフと一緒に旅をして魔族の魔王を倒したエルフの魔法使い。エルフは半永久の寿命だけど、人間は寿命をまっとうし、死んでいなくなっていく。 そのエルフのその後を描いたという作品。原作はもっと先まで話が行っているのだが、原作に手を出すか迷っていて、アニメ化された分より先の話は知らない。

家族が推してくるし、何となく家事の合間に見ていた。

先日アニメの今期の終盤を一挙放送で見てみて、改めてちょっと面白いなと思った所があった。

魔法を学ぶ理由や動機、冒険の旅をする理由や動機。

それぞれのキャラクター毎ににいろいろあってその対比や生き方の熱さなんかの対比が面白い。寿命がエルフ、魔族、ドワーフ、人間で違うことで生まれてくる違いもある。

あの、魔法はほどほどに好き…っていうスタンスの描き方になんか共感する。私も程々に運転が好きだ。周囲から見たら程々?なのかも知れないが、ほどほど、なんだよな。

 

もうひとつは、魔法を極めていく者の間で、本人にイメージがない魔法は実現できない、という話が随所で交わされていく所。

その話の流れを見ながら、内心頷いている自分がいた。

運転は魔法ではないけれど…

運転の練習をしている時に、自分の頭でイメージ出来ている以上のことというのは、それが正しかったとしても実行するのが難しい。

理屈として運転を理解しようとするのは、ものすごく役に立つ事だと思う。

うんうんと物理を考えて行くと、「こうすればこうなる筈である」という予測が立てられる。そうするとある意味少しイメージを持った状態で運転をしていることになる。いわゆる「想定の範囲内」というやつになる。

しかし、日常の走行では普通ない速度から、コーナーに車を持っていくというのは、やってみると、問題はなく回れていて、何ならまだ上でも大丈夫だと、誰に言われるでもなく自分自身が思っているのに、何故大丈夫なのか?と思っている自分もどっかに居る様な感覚だ。(実際は、長年やってきたコーナリング前の姿勢づくりと、操作のタイミングが概ね悪くないのと、車の性能のおかげで、車や指導者側から見れば想定の範囲内な状況なのだろうが)

走行感、タイヤの感触、全てが今までのイメージと違う。理屈としては想定の範囲内でも個人的イメージでは範囲外。だからイメージにない事を実現するのは難しいなと思う。

お手本同乗で体験した事はあった。思わず「別世界だ…」と呟いた事もある。

ただ、そこで本気で別世界にしてしまっては、魔法で言われていた「イメージのないものは実現できない」そのままだ。(作品中では主人公がイメージのないものを何とかしていく場面もあった)

同乗お手本は自分の車に乗ってもらって行われていたのだから、自分次第でできなくはない筈だ、自分とお手本は何が違うのかを紐解いて実行できれば近づける筈なのだ。そう思えたら、可能性が出てくる。

車が動くのが物理なら、日常だろうが非日常だろうが、根本の理屈は同じだと思う。

しかし状況を構成する要素(速度など)の規模が違うから、結果の規模も違う。そこが自分のイメージを越えている、という時が難しい。

 


結局、その時紐解く事は一応それなりにはできた。引っかかっていた事は結構単純な事だった。何かができない時ってそういうのは多い。後になって、何でそんなことに気づかなかったのか?って思う様な事。

具体的に言えば、コーナーの手前で、自分の想定の範囲内で手順を構成するのを諦めたのだ。お手本は自分のイメージを越えているが、実行できている。という事は自分の想定の範囲を越えなければできないのだ。

今までのトレーニングを信じて言われた所で目一杯加速、あとは身体の反応に任せる。

 


自分のイメージを越えるイメージを信じて自分の既存のイメージを捨てた。

何だかよくわからない説明かもしれない。

過去の数年間の練習や思考は「師匠と自分を信じる」為の時間だったのだろう。悲しいことに、これをサッサとやってしまってどんどん先にいく人も、過去にいっぱいみていた気もする。

時間がかかる理由も、自分ではわかる気もする。まあなんか焦ったいけど。

 


次同じことができるかどうかは確信はない。あんなこと日常で練習できないし、ミニサーキット行ってもあの規模のコーナーは知らない。

またユイレーシングスクールには参加しようと思う。あれを日本で、あの体制でずっと続けていることに、参加当初から驚きと尊敬を持っている。