野間灯台付近です。
ささっと行ってささっと帰ってきました。
フジの24時間レースも断続的に観戦。
Happy birthday第2弾も無事手作りでクリア。
シフォンやパウンドは経験ありましたが、
チーズケーキ初めて作りました。
買ってしまった本…
第1弾のチョコケーキも、両方高評価でウレスィー!!
やっぱり餅は餅屋…ケーキ屋さんにはかないませんが。
今日で、床掃除に布団洗いもクリア!
いろいろあったこの数日間です。
速く走りたい時に、心情として、少しでも長く加速状態でありたいのは気持ちの上では、ごく普通のことだとは思う。
ギリギリまでブレーキを我慢して、一気にブレーキペダルを踏み込む。当然後輪は持ち上がる。ステアリングを回せば、車は回り始める。極端に言うとフロントを支点に。どれだけちょうどよくリヤを振り回して、どれだけちょうどよく後輪を路面に落として、アクセルをどかーんと踏み込むか…?
とりあえず侵入で大きなアンダーステアは出なかった(車が行きたい方向には行っている)状態。それはあくまでも私の妄想の中での話で実際どうなるのかはわからない。
自分の前の相棒は非力で幅広タイヤだったから、サーキットでもなかなか回らないよと苦笑いで言われるくらい。そんな車でタイヤに対してオーバースピード&ノープランでコーナーに突っ込むと、回るよりも先にどアンダーになる。それが三年前の自分の走り。
三年前当時、その走り方に限界を感じた。誰かに教わったわけでなく、速く走りたいとおもったらそうなっていって、これが本当に速く走ることなのだったら、面白くないかもしれないし、半年やってみた車の感じで、このまま続けていくと自分の財力で車の維持がきっとできないと、心の何処かで思った。
これでだめなら諦めようかなという思いを心の片隅に抱えて、最後のチャレンジのつもりで、一番正面から運転の基礎を教えてくれそうだと、公開されている教科書を読んで感じたYRS(ユイレーシングスクール)に行って、聞いたことの一部を自分なりの理解で簡単に書くとこうなる。あくまでも一部だ。
車がコーナリングをする時に、どこが一番頑張っているのかといえば、路面と接しているタイヤで、タイヤのグリップ力には上限がある。だから、四輪フルに使ってバランスを保ってコーナリングをするのが、一番旋回に対して強い走り方。
そんなに難しい理屈ではないように思うのだ。
もちろん、YRSでは、四輪バランスが良い理由、その考え方で速く走るにはどうするかなどの方法はもっとちゃんと説明してもらえて、練習方法が確立されている。
これは本当のことなのかどうかわからないけれど、以前テレビで見ていた海外のレース中の解説で、欧米と日本ではプロのレーサーでもブレーキングに関して傾向が違っていると言っていた解説者の人がいた。日本人でも欧米型のブレーキングをする人がいて…とその解説者は欧米型の方を支持していたような話しぶりだった。
YRS仲間がドイツに行く機会があって、その途中でニュルにレース観戦に行ったそうなのだけれど、レーサーたちはYRSで習う走り方だったと感じたと言っていたし、私自身は習う中で一生懸命に自分なりに考えてきて、(便宜的な分け方なのかもしれないけれど)欧米型と日本型が存在するのだとしたら、その解説者の話に沿って言うなら、おそらくYRSは欧米型なのだろうと思うし、車を運転するにあたって、安全で速いことに近いと私は思う。どこまで実現できるか、まだわからないけれど、そのやり方でなら速くなってみたいと思うようになった。
それは盲目的に欧米>日本という考え方なのではなく。自分なりに時間をかけて何度も何度もそのことを考えてきてそう思う。私にとっては車を走らせる、ということをそれまでよりもっと真剣にトータルで、必死で考えてみた3年だった。
結局「型」というのは自分にとってはどっちでもいい話で、たまたまそういうことを言っている人がいたよというだけのこと。たまたまそれが象徴的なだけで本当は、ブレーキングだけを見直せばいいのではない様な気がする。
YRSで走っていく中で、自分自身は今の所、タイムという数字から言えば、大きい変動はない。習うことの多くを実行できるなら、もっと速くはなると思うし、実際同じくらいから通い続けている仲間は1年以上前から、経験のあるサーキットでタイムアップしていると聞く。
自分は、タイムアップはしていないが、車をポテンシャルダウン(タイヤ&ブレーキパッド)させていって、タイムは一度落ちて、じわじわと受講前と同じ水準に戻っていった。
何よりも安全になって、走ることが苦しくなくなった。消耗品の減りが少なくなり、タイヤの減り方が穏やかになっていった。走行感が軽くなり、ストレスフリーになった。
一言で言うならポテンシャルダウンして楽に走ってタイム変わらず。
そして、スポーツ走行で集団で走るときのルールがちゃんと決まっていて、それを皆で共有していて、それを見守る人がいる、という環境の中で、秩序の大切さも、教えられ、考えもしてきた。YRS以外でもどこで走ったときも、コース上での自分の走行を振り返る。自分の立場と相手の立場の両方。画像が残っているわけではないけれど、一生懸命考えて、反省して自分の中に蓄積する。難しすぎることではない。意識するかしないかの問題。
そして今の相棒のルーテシア3RSを買った。
この車でサーキットを走ったのはまだ実質2回。その2回でわかったことは、コーナリングで必要以上のことをしないことが、どれだけその後のストレート加速に影響するか、という実感の様なものだった。加速が良いはずのルーテシア3RSに乗っても、タイトコーナーで走行抵抗強いなーくらいまでやってしまうと、ストレートの加速が渋い!
車のメリットが感じられない。
例えばスパ西浦でRX-8に最終コーナー手前で大回りで譲って、最終コーナーではすぐさま後ろについて、2コーナーまでは離れなかったときのほうが加速が伸びやかだった。
タイトコーナーで無理して稼いだ?かもしれない分に期待するよりも、抑えてストレートで加速した方がタイムが伸びる、と思った。無理した分より、車の性能を引き出したほうが、タイトコーナーよりストレート加速のほうがメリットがあるのは、理屈ではもっと前から考えていたけれど、実感が伴ったときは驚いてしまった。
自分は四輪でコーナリングする方法やそれが速さと安全に結びつく理由をYRSで知ることができたのだけれど、それを、詳しくここに書こうとしないのは、それを教えることで仕事をしている人がいる、その人のここまでの人生が込められていると思うこと、参加者が参加費を払っている、ということもある。
でも一番の理由は、その走り方が、実行できればほんとにその車の限界を引き出せるものだと信じるから。それを本質的な理解や練習なしに、理解と実践の途上にある私自身の言葉だけで見て、実行したり失敗するかもしれない、ということの責任が、自分には取れない、と思うから。
YRSで公開されているものは、文章で読んでも、根本の理屈とか理由が書かれているので理解すれば読むだけでも価値があると思うけれど、なんとか参加して、自分の目と耳と体で経験する方向に頑張ってみたほうが、きっと得るものが大きいと思う。
私自身が、初受講までは無理かもと思っていたけれど、なんとかしようと思えば、なんとかなった。
YRSで習うコーナリングやサーキットの走り方は、どこを速くすることで平均速度を上げるか、という観点でもあると思っている。それは、時に心情とは違うことが必要になるのだけど、言われてみれば、物理で考えれば、どうして今まで気が付かなかったのだろうと思う事が多い。YRSが特別なことをしていると言うよりは、なぜ、日本でYRS以外でこういうことを教えていないということなのかが、私にはちょっと謎。
ここまで来て、自分がこの先どれだけスポーツ走行を続けられるのか、どういう形で続けていけるのか、ということを自分は常に考えないといけないんだな、と少々後ろ向きともとれる事を思う日々となっている。
後ろ向きではないのだけど、思い切り走りまくれる環境にはおそらく10年経ってもならない様な気がする。体力や気力や金銭力の問題だけではなく、書ききれない伝えきれない何かが、ハードルになっている。
詳しく書こうとするときっと誤解を生むと思う。
女性だからじゃない。女性はたくさん走っている。昨日からのフジの24時間レースでも女性チームのラブドライブが完走した。
オンボード画像をピットに飛ばして、リアルタイムで井原慶子氏のアドバイスを受けながら走っていたそうだ。
スポーツ走行が自分のささやかな趣味になり得るのか、なってほしいと思いつつ、ひとつずつ少しずつ、取り組んでいる。
昨日は午前は洗車、午後は娘の誕生日の準備にがんばりました。
今朝は掃除に庭仕事。まだまだ昼食から夕飯にばあちゃんのお守り。
いろいろ工夫はして時間は作るんですが、1日分を一度に食してもらうわけにも行かないしね。三度の食事は本当に重い。
外食すると自分の首が締まる。家飯は健康に繋げられる。仕方がない!頑張るぞ。
気分転換には洗車と庭仕事は楽しいですね。
前回の洗車時に、掃除機。今回はゴムプラ系の栄養補給を仕上げ(ここだけ細かいからやり残してた)
フロントのラジエータ前のアミアミと、フォグランプ周りのプラパーツです。綿棒と、ゴム手の上に綿手袋重ねた指で塗ります。
写真は塗ってから数日後。
雨が降ると、塗った後の一回は黒っぽい筋がつきますが、白ボケていくよりいい。
無垢は手入れが可能で良いです。
致命的になる前から定期的にお手入れしていけばと思い。
出入りのお店(http://kenworks.ciao.jp)で教えてもらいました。
同じシリーズのバンパーケアを以前は使っていましたが、これだと、プラ、ゴムの両方行けるので、内外装共に使えて便利。
車来た時に、内装のプラパーツ部分に全て塗り込みました。いい感じです。
20万キロヴイッツの内装にも使ってます。
ただ、容器が大きいので
ドレッシングボトルに少量ずつ詰め替えてます。前使ってたバンパーケアのボトルがなんでしたしね…フタがすぐもげる。
理想はマヨネーズチューブなんですが(笑)廃材利用は洗ったにしてもちょっと抵抗があるし、身近にはそういう容器は売ってなかったので(笑)
化粧品のトラベル用の容器に詰め替える手もあるかな。
いつかはガレージ、その前に屋根!
だけどその前にきっと足回り、アーム…
どれが先?電装系は?
まあ、新車買えなかったんだから仕方がないですね。
勉強になることもあるしね。
そして洗車の方は相変わらずの純正メンテナンスクリーナー。これで梅雨明けまで水洗車で済んでくれれば…
何度かやって感じるのは、作業行程が昔よくやっていたガラスのコーティングと似てるな、ということです。
汚れを落として、湿らせたスポンジに溶液をつけて塗り、乾いて来たら水で流して拭き上げます。
市販で出ているものも各種ある様ですね。
調べてみたら、施工車には全般に定期的に上塗りして、下地のコーティングを長持ちさせる的な事が書いてありました。
最初のオーナーさんに感謝しつつ、当面はこんな風でお手入れしていこうと思います。
他にも幾つかやれて来ているところがあるのですが、一度には無理ですね。そこは夫の協力も必要なので、焦らず機会を待ちましょう。
ともかく今年は昨年にも増して、6月が大変です。
娘の誕生日ケーキです。ベースは彼女の大好物のチョコレートケーキです。
数年前に本の基本のシフォンケーキのレシピを試行錯誤でいじって、チョコシフォンを作っていたのですが、シフォンケーキとスポンジケーキの違いは卵白の量(卵黄と卵白を別立てで泡だて、最後にメレンゲを卵黄の生地に加えてふくらませるのがシフォンで、スポンジも基本そこは同じ)なようなので、卵黄5個分卵白7個分、のところを両方を5個分にして膨らみを抑えて作ってみました。
ふつーの板チョコを溶かしたものも入れているので、チョコリッチなしっとりスポンジです。
生クリームのデコレーションは、どうも過去に上手く行かなかったので、クリームはラフに塗って、フルーツでごまかしました。
娘がとっても喜んでくれたので良かった〜。
100均で買ったハッピーバースデーの旗を立てて。フルーツも入れたら1000円くらいの材料費(笑)
この家に引っ越してきたときは小学生だったのに、18歳です。
10代の成長は、本当に著しい。
さて、第2段は息子の大好きなチーズケーキに挑戦しまーす。試作の評判は上々でしたが、どうなるでしょうか??
で、全然関係ないんですが…
随分慣れましたが、イカの視線はこわいです(笑)
処理する前にいつもちょっとたじろぐ。
特に速く走りたいわけではない公道走行で、ブレーキングから旋回を丁寧に、ひとつずつ、余裕を持ってやっていくだけでも、意識しないよりも運転は変わっていくとは思う。
焦ったり、見通しが甘くて判断が遅れると、慌てて、2つ以上の操作が重なって、ブレーキを踏み込んだ状態でステアリングを切ったり、ステアリングがまだセンターまで戻ってないのにたくさんアクセルを踏み込んだりしてしまう結果になって、バランスが崩れる。雨の日なんて、意外と普通の速度でも条件が揃えば車は簡単に回ってしまう。
以前友人に普通の運転のコツを尋ねられて、できるだけ簡潔にと考えて、「操作を2つ一緒にやらないこと」と答えた。それが正しい答えかどうかは定かではないけれど、私はそう思っている。危険と安全はつながっていて、常にその境目にいつもいるものだと思う。それと同時に、こうなるだろうなと思っていることがその通りになる、目論見と結果が一致する、っていうのは面白いし楽しい。そういう意味の運転の楽しさは、日常のどこにでも転がっている。
今までサーキットを走っていて、自分はベストタイムが出るタイミングが最初と最後が多かったような気がする。それをよく考えてみると可笑しくて自分で笑ってしまうのだ。
過去の、走っているときの心境はこんなふう。
コースインする。1〜3週様子を見ながら慎重に走る。そこから徐々に上げていこう、と、思ってはいた。
ところが、あとで結果を見ると、インラップの次とかその次とか、ともかく序盤くらいにベストタイムが出ることが多い。その次に多いのが終盤。
何故かと言うと、結局、丁寧に走った時に良いタイムが出ているということなのだ。
序盤は、さてどうしようかと確認をしながら丁寧に走る。
終盤は、今日の走行の総仕上げで、タイムよりも丁寧に走ろうとする。
じゃあ、序盤と終盤の間の一番一生懸命な時間は何だったんだ(笑)
そう思うと、いつも終了後またこのパターンかと笑ってしまうのだ。
特に序盤にベストタイムが出たということは、その後の走行では、タイムアップという意味では進歩がなかったということになる。
その訳は、だんだんわかってきて、先日の走りでほぼ結論が出たようなきがする。あくまで、自分の場合だけどね。
「よし、速く走ろう」
「上手く行けばタイムアップ」
そういう思いが、以前の自分はギリギリまで加速するとか、ブレーキングを遅らせる、ということに費やされていたんだと思う。
ずいぶんマシにはなって、安全にはなったけれど、速くなる方法はもうちょっと別なところにあるのだなと分かった。
YRSでは、内容はケースバイケースだけれど、速く走ろうとする人はコーナーにむやみに突っ込んでも速くはならない、ということを教えられる事が多い。
それでも、わかっていても、気持ちが入ってくると、無意識にそういう事が起きてくる。昔に比べれば、雲泥の差なんだけど。
オーバルを走っているとそれが出口の加速の悪さ、不安定さ、車の向きになって現れてくる。追いつきたい相手がいた場合など、相手が冷静だと、クリップを過ぎたあたりから追いつけなくなる。
自分の昨年までくらいの走りは、サーキットのフリー走行で周囲のタイムなどを見ていても、走り方にかかわらず、ゆっくり走らなければ(速く走ろうと思っていれば)、普通の車でなんとか出るタイムの上限に近いのかもしれない。前々から、そういうことは自分で感じていた。
それをギリギリ感とともに出すのか、余裕を持っているのかで、意味としてはまったく違うから、その結果自体は自分で評価はするけれど、特別速くはない。
だから、特に速くなったとは思えないと、言ったり書いたりしていた。走り方次第ではもうすこし速くなるという考えがあるから。
もうそろそろもう一段階上に行けないと申し訳ないような気もしている。少しずつだけどその世界が見え始めた。
自分自身が今まで自分で「良かった」と思った速さは、各種サーキット、スクールの走行全40回ほどの中で鈴鹿が1回、ユイのトライオーバル1回、YRS幸田サーキット1回、の3回。
トライオーバルはオーバルレースに出たことがないので、タイムを測ったことがない。だから数字で結果は出ていない。
あとの2回は体感とタイムが一致した。タイムを見ながら走ったわけではないけれど、走り終わって不思議な満足感があった。タイムを見たらそれまでのベストだった。
限界まで頑張った感とは違う。3回に共通なのは、基本に忠実にあろうとして、それを貫けた感があったこと。とにかくコーナリングの丁寧さを優先して走ったこと。
特別速いタイムではなかったけれど、車の能力はまだ上があるけれど、自分のその時できることのベストだったのだろうなと思う。もっと頑張った感があった走行も、もっと疲れた走行も他にあったけれど、一番充実していて、結果(タイム)が良かったのはその3回。幸田の1分切りは内心嬉しかった。西浦なら1分10秒とか一桁に相当するのかな??
走り方とタイムの相関関係みたいなものは、最近なんとなく考え方ができてきた感じがする。3回のよっしゃ、は加速中やコーナリング中の走行抵抗、ロールの仕方、アンダーレス、イーブンスロットル感…コーナーの出口でいつからフル加速かと伺える車の向き…かな。
YRSでは、基本の先にはスリップアングルがつく侵入と脱出を目指すように教えてもらう。スリップアングルがどういうもので、スリップとスライドの違い、ドリフトというものが本来どういうものなのかは、YRSで走るようになってから、自主的にポールフレールさん著の「新ハイスピードドライビング」を読み直して整理し、YRSの指導と照らし合わせてみたりしていた時期がある。
無心で走り方を追いかけていって、まだそれをいつでもどこでも発揮できるほどは自分の中に定着はしていないと、走るたびに痛感するけれど、完全でなくても一度でもその世界の入り口を覗く経験をすると、それで自分が得をするとわかると、自然とそうなろうとする。
運転を根本から変えられてしまうような印象を受けるかもしれない。長年積み上げてきたものがある人ほど、それは大きなことに見えるかもしれない。
だけど、なってみて思うけれども、変わったのは自分の考え方。物理的現象は変わるはずがない。同じことが起きた時に、それをどう考えるか、どう対処するかが変わるだけだ。
今までの経験や知識の活かし方が変わるだけで、損はしない。得をすると私は思っている。経験の長い人、深い人が一度考え方を変えると、あっという間に経験の浅い私は置いていかれてしまう。ボーゼンと背中を見送る。
ユイレーシングスクールのオーバルトレーニングで、タイムとは切り離された練習の中で、自分にとっての「速さ」というものの考え方が以前とは変わっていった。
数字としてのタイムという速さ、一緒に走っている人がいる場合の相手との相対的な速さ、自分自身が感じる自車の速さ。いろんな速さがある。 今思っている、自分にとっての速い、ってどういうことなのか、言葉にするのがちょっと難しい。理屈としては、平均速度の速さとして教えられているのだけど、それを感覚としてどう捉えているのかはその人によると思う。
数字としての速さは、とにかく数字が出ればよしで、それがものすごく危険な綱渡りでたまたま出たタイムでも、車を痛めつけて引きずり回したタイムでも、数字では速い。
相対的な速さは主に、追いついたか、追い抜いたか、追い抜かれたか、というたぐいのものだと思う。
自車の速さは、それとはまた違うような気がするのだ。数字とか、追いつくつかないにごまかされてしまいそうになる事がある。
「車の性能以上には速くは走れない」
「追いつきたいときは、前に追いつくよりも、自分の車を一番はやく走らせる事が大事」と教わる。
最後に、上記のこととは関係がないけれど面白かったので四輪ドリフトの画像のリンクを貼り付けてみる。
YRSでは四輪ドリフトをせよと教えられたことはない。今どきのタイヤは能力が高いから滑らせなくても速い、とは聞いたことがある。
ただ、そういう言葉を他愛ない話の中で耳にしたことはあって、ふと調べたら出てきた。書いてある文章がすべて正しいかどうかは自分ではわからない。
単純に動きとして新鮮だったような、どこかでこれにちかいものを見たことがあるような、とにかく「すげー」の一言。D-1のようなドリフトとはまったく目的が違うようにも感じる。
久しぶり〜(≧∀≦)
ソロピッツァナポレターナ(大名古屋ビルヂング内です)http://www.solopizza.jp
クァトロフォルマッジォ&マルゲリータ
食後のお楽しみ。ピッツァKIMBO
ちょい苦エスプレッソ&チョコ&ナッツが最高です。
旦那様、ご馳走になりました!(笑)
娘と息子の誕生日が迫っています。
2日違いなんですよね^^;
娘が予定よりえらい早く出てきちゃったものですから(笑)
子供たちの誕生日にはいくつか思い出があります。
娘の3歳の誕生日のときに、健在だった夫の母が、ケーキ屋さんでバースデーケーキを買ってきてくれたのですが、ケーキ屋さんから自転車で持ってきたので、箱が傾いちゃったんですね。三分の一近くがひしゃげたケーキに、一番動揺していたのはおばあちゃん。娘は「おいちー」ってなーんも気にしてなかったのに(笑)
その次か次ぐらいのときに、お金が無くって、2日違いの誕生日を、真ん中の日に一度にやろうとして、すごーくシラけたこともありました。前々から説明もして、せいいっぱい豪華にしたのですが、どっちもが「自分の誕生日じゃない」とどこかで思っていた空気が漂い、びみょーな空気に。
あれは親として非常に反省した次第でありました。
それ以来、一日おいてまたすぐ、にはなりますが、必ずケーキは二回用意しています。
自身の育った家庭には問題がいろいろあったので、家庭では、厳しくもしましたが、あなたを認めていますよ、という気持ちだけは常に伝える努力をしようと考えてきました。よそとはある意味違ったかもしれないし、甘かったかもしれない。子育ては永遠のテーマかもしれない。結果はきっと、彼らが親になった時に…恐ろしい仕事です。(一般的と言われる家庭の状況でなくても、誰かが自分を認めてくれているという状況さえあれば人の愛情のタンクは満ちます。自分はいろんなかたちを経験したかもしれないので、そう思います。
私たちは夫の両親は早くになくなったし、子供たちが小さな頃は自分の親とは訳あって断絶だったので、子供たちには事情は告げずに、祖父母と親の両方を演じようとした時期もありました。いつか話せるかなあ。
人の人生もなんどもやり直しやリスタートができる。これから先は世の中がカオスかもしれないけれど、人の生き方の選択に寛容な世の中になってほしい。なってきてると思うんです。)
近年は、もうプレゼントしたくても、喜ぶものがわからないとか、欲しいものがえー…それを親からですか?みたいなものだったりして、なんだかこれでよかったのか的な気持ちが残ってしまったことも。事情があったり学校で禁止でバイトができない二人には、現金なときもあります。
お小遣いも、以前は低額で必要なときその分支給だったのですが、昨年から小遣いを金額アップして、自分で運用を考えて、それでも足りないときは交渉、という形を取り始めました。渡すときはこっちが財布が寂しいけど、お互い気が楽になった。
今年は、彼らが気に入ってたデコレーション(ガトーショコラとチーズケーキのデコ)がいつものケーキ屋さんのラインナップから消えて、デコレーションではどこも見つからないので、自作することにしました。大変ですが安上がり(笑)節約中にはちょうどいいかな。
今日はチーズケーキの方を半量で試作です。本番は型を使います。ちょっとひび割れました(笑)
ケーキ屋さんのほうが美味しいに決まっているし、正直毎日だるいんですが、頑張らないとね。仕事行けないし、子供達は多分読まないけど、ブログ書けてケーキ焼けないでは子供達に申し訳ないので。
とうとう、来月には息子が成人です。
先日、進路のことで、慎重に考えていることを聞いてみました。
ほんとに、家では学校のことも言わないし、好きなことしてるか寝てるか。
夜更かしやらナニやら覚えましたし…。
クソババアだけはまだ言われてません(もし言ったらどうなるか、わかってるからだと思う。ふっふっふ…)
あまり大口もたたかず、背伸びもせず、かなり現実的な言葉が返ってきました。
いいような悪いような(笑)
ちゃんと学費のスポンサーには折々に説明せよと言うしかないです。
いろいろあって、多分、成人したから、就職したからもう安心、とはならないと、覚悟を決めています。それでも、最初の事思えば、彼らなりに、マイペースではあるけれど、ずいぶん進歩しました。
親なりにかなり葛藤がありました。ともかく、多様性がもっともっとナチュラルに受け入れられる、しなやかな世の中になってほしいし、かれらにも、しなやかに、いろんなものを受け止めて対応していける人間になっていってほしい。
彼らが一人一人で戦っていくのか、家族で戦っていくのか、まだまだ先はわかりません。
生涯収入とか社会的成功とか、あれば苦労はないけれど、そういうことよりも、自分の人生をたのしめる、自分を、いいところも悪いところも認められる人間になってほしいと思います。それができてない〇〇な大人を最近よくメデイアで見ますね。
今の学生たちの世界は、ものすごく自分で適正な自己評価をするのが難しいのではないか…我が子達の背中の向こうはたくさんは見えませんが、時折そんな気がしたことがあります。もう、我々のものさしなど、測れるものがどんどん減っています。
寄り添わなきゃ、我々が勉強しないといけないのでは…なかなか厳しい。
彼らの人生もそうですが、我々夫婦も、10年後20年後はどう生きたいのか、考え始めたほうがいいのかな…親の寿命、子供の動向…自分たちで決められない要素ばかりだけど…^^;でも自分自身の人生だからねえ。もうアラフィフだし、明日突然血管が詰まってもおかしくない。
だから毎日を一生懸命生きようとしています。
子どもたちには、小さいうちは精一杯大きな存在を演じましたが、中学へ上がったくらいからでしょうか…?なんとなく、親だけが正しいとは限らないということをわかってほしいと思っています。正しくあろうとはしていますが、ただ、一生懸命考えて生きてるだけなんです。
自分もそうだったけど、子供って親のいいところや悪いところをわりと冷静に見ている反面、親は絶対的存在でもあります。子供なりにすごく葛藤があったのを、自身は覚えているので、子育てはものすごく心を削られます。
一番見られているのは「親は本気かどうか」かもしれないなと、時々背筋が伸びます。