るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

競争の中での押し引き

 子供の頃から競争が好きではなかった。理由は、楽しい競争をした経験がないからだろうなと思う。自分が不器用なせいもあると思うけれど…。

あとは、昔から人混みが苦手で、20代の頃はクラクラしていた時もあった気がする。

 10年以上前だけど、日曜の夕方の東名高速で、子供2人を乗せて自分が運転していた時に、両車線皆が狭めの等間隔の車間で90km/hくらいで繋がっていて、ここで誰かに何かあったら玉突き必至状態になっていた時は心拍数が上がって、逃げ出したかった。

とにかく何とかこなしては来るが、競争とか密とか、他にも、その場にいるみんながイライラしている状態の時も、そういう時もあると頭では理解していても、非常に心が揺すられ不安になる。

子育てや介護などをしてきた事で強くなったのか、加齢により感覚が鈍化してきたのか、経験値によって対処法が身についてきたのか、なんかよくわからないが、昔より人の多さに圧倒されなくはなりつつある様な気もする。

悩んだ所で、自分はダメでもないがそう大した人間でもないし、人は自分が思うほど自分のことを気にしていない、といういい意味での開き直りが身についてきたのかもしれない。

誰でもそういう部分が多少はあるとは思うけれども、自身は少しそれが強いのではないだろうかと考えているので、近年はとみに、物事を物理的に捉えるといえばいいのか、感情(自他両方)を抜いて捉えると言った方が正しいかもしれないが、そういう事で処理できる不安もあると思うようになった。

運転するときで言うなら、表現として少々大袈裟なんだけれども、周囲の人の機嫌を取るために運転しているわけではなく、交通状況と交通ルールに沿って運転をするのだという確認を自分自身にする感じ。

とはいえ、公共交通は基本カオスなので、例外だらけで、その場の判断が必要な時はいくらでもあって、結果何事もなかったけれど正解でもなかったかな、と思うことは時々ある。何事も経験だと捉える様にして引きずらずに蓄積する努力。

自分でも面倒臭い思考回路だなと思うし、なんだか変に消耗する時がある。ある意味燃費が悪い生き方かもしれないが、だったらもっと痩せててもおかしくない気もするな(笑)。

 

先日、テレビでスーパーGTのレースを見ていたら、大きなクラッシュがあった。しばらく現場が凍りついたがドライバーは歩いて下車して検査のため救急車で運ばれて、現場を修復し、長い中断の後でセーフティカーランで再開して、そのまま時間いっぱいでレース終了となった。

ドライバーに怪我はなかったらしい。

今の車はすごいな。クラッシャブルゾーンとコアの部分の区別がすごい。壊れていいところは粉々になって衝撃を吸収する。他にも当たり方や壊れ方で幸運があったのかもしれない。

 

以前スズカの最終コーナーのあたりのスタンドで、ストレートエンドで跳ね馬が1台煙の様に消えた(最終コーナーだと遠すぎてそんなふうに見えた)感じでクラッシュしたレース現場に居合わせた時のことを思い出した。

あの時はそのままレースが中止になった。ドライバーが重傷を負ったらしいと知ったのは随分後のこと。

あの時の現場の空気感は、なんとなく覚えている。遠巻きでも空気が重かった。

 

今回のクラッシュの諸々の現場の対応は早くてTV観戦者としては間違いはなかった様な印象を受けたが、セーフティカーランで終了したのにホッとした。

その日は赤旗が計2回出るし、フルコースイエロー開始のタイミングで何かトラブルがあった車両が減速が遅れて、接触をスピンで避ける事態になったり、とにかく荒れたレースで、2回目の赤旗の原因になった車の後続では混乱が起きていた様に見える。当該車両以外の車も無傷でない、かすり傷とは言えない車が何台もあった。

おそらくレースコントロール側も相当頭を悩ませた事だろうと想像するし、乗っているドライバーたちからはレース後に「正直乗りたくはなかった」という声が上がったし、その気持ちは想像がつく。メンタルもそうだけれど、タイヤ含めイレギュラーで予測がつかない事が多すぎる状況だろうと思うと素人考えでも怖い。自分が少々脚の硬い車に乗る様になって想像がつくのだけど、レーシングカーはとんでもなくピーキーな車たち。なので、中止にはせず、セーフティカーランで時間切れでハーフポイント扱いで終了したのはホッとしたし、選択肢として個人的には賛同。

何故事故があったのかはその場でも大筋話題になったし、メインストレートなので皆が見てるし、今はSNSで各所から正直なコメントが発信されているので経緯は明らか。なんかこう幾つもの要因が良くない方に重なりクラッシュが起こり、接触を避けた単独クラッシュで結果乗員が無事だったことで皆の心が救われている感じ。

ただ、これを変えれば今後こういう事故が起きない、という100点満点な全体的決定打は難しいのではないかな、とも思った。

レースで飯を食っている人たちは負けられない。勝つために365日を生きてる。今回の当該車両にもそれぞれの事情があってあの位置関係になった。報道等でもよくわかった。

 引く、抑える、堪える、というのは競争の中では難しい事だと思う。

あまりに安全パイに走りすぎて競争を放棄するのは、周回路なサーキットではレース全体を混乱させる要因となることもある。戦術でジャンプアップを狙って、その後のペースが持たないのに譲らない、というのも限度があると思う。

競争って高度になるほどに難しいよなあと思う。当事者はみんないろんなものを背負って大変だと思う。

精一杯できることをするのと勝機を手繰り寄せる、というところの線引きを悩み続けるのかもしれない。

多分、次戦が始まるまで、当事者たちはモヤモヤするんだと思うし、それが気の毒だけど、良いレースをしてくれるのが解決策だと、当事者がみんな言っている気がするし私もそう思う。

 

競争なんてするから事故が起きるのだという考え方は賛成はできない。裏返せば、競争しなければ交通事故は起きないのか?サーキットの事故率と、公道の事故率を比べたらどうなるんだろうか。

ルールを決めてそれをしっかり守って無事故で成立しているレースの方が多い気がする。むしろ競争していないフリー状態の走行の方が目的がバラバラである意味怖い。だからこそ縦横無尽にそれぞれの目的が絡み合う一般道では信号があり制限速度がある。それを裏返せば、制限速度を無視するというのを皆どう捉えているのだろう。

私が唯一参加した経験があるレースはユイレーシングスクールのレース(フジショートコース)だけれど、みんながそのコースの走り方を教わってきているし、スクールに何度も参加して、危険な走行にはある程度予兆があるらしいことがなんとなくわかってきて、多くの場合事が起きる以前にそれが指摘されているという信頼を感じている。運転そのものに対して共有しているものに確信が持てたので出てみようと思えたし、落ち着いて、無理をせず精一杯走れた気もする。車の性能にも違いがあるので、遅いなら遅いなりに、失敗のない様に出来るだけ乱れない様に完走できるように。

レースが進むにつれ、コーナーで周囲の車のタイヤの音が変わっていった事を良く覚えている。130分でトップから10ラップ遅れた最下位なので各車に10回ずつ位追い抜かれている。後半ほどキュッキュが増えていった。(前の相棒車で130分を2人で半分ずつ走りました)

 

そして、公共交通の中で競争をするのは良い事がない。ロクなことがない。たまになんか絡みたそうな車に遭ったことがあるけれど。最近そういう機会がなくなった気がするのは自分がどこにもいってないからか、私自身の運転が変わったからなんだろうか。