るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

2種類の怖さ

 日頃そこそこのペースでブログを綴っているなと思います。ヒマなのかといえば忙しいです。では忙しいかといえば、コマ切れの時間はあります。

 日々いろんなことが起きていて、クスクス笑うようなことから、悩むようなことまでいろいろですが、意外と書けないことが多い。

夫のことは本人があまり書いて欲しくなさそうだし、子供たちのことも、もう彼らが大人になりつつあるので、書きづらいんですよねー。

私の日々の生活ってそういう事がほとんどなのに、それが書きづらいっていうのもなんだかなあ。

そういうのもあって書くのは車の話が多いですね。

そういうわけで、このブログから得る私のイメージは、本人とは少々違うにちがいない、と自分で思うんですよね…。そう思いつつ、また今日も書きます車ネタ。

  今シーズンは、JSPORTSのオンデマンド導入で、ルマンも富士の24時間もなんとなく状況は把握しようとしてます。iPhone6splusで視聴…日常業務をこなしながら、ほぼ「聴いてる」状態に近いですが…(笑)だから解説頼みです。

車のこともレースのこともよく知らないから、解説を聴いているといろんな言葉を知ることができるし、一つのことに対してもいろんな意見があるんだなってこともわかるし。

ルマンでフォードとポルシェが意地の張り合いしてる状況の解説なんて面白かったですね。見てる方は面白いかもしれないけどおれは好きじゃないね…もっと他の方法があるでしょう?(意訳・そのまま転記ではないです)っていうベテランの意見とか。

トヨタ優勝!良かったですね。

次の日朝のニュースになってるの見ながら、こんだけしか報道しないんだ、苦労が伝わらないじゃないか…とか思ったりして(笑)

 

っていうか、近年、日本はまだ自動車レースにたいする関心がすごく局所的なんだっていうことをはじめて感じました。

自分がサーキット走る、というと大抵驚かれます。この数年、モータースポーツというものに初めて興味を持った自分も、以前はそういう感じでした。

昔にいろいろあったのかもしれないけれど、レースをさせなければ何も起きないって、車がすきじゃない人が考えた結果が今になっていろいろあるんじゃないの?って思っちゃいますね。だから、ああなんだよ、こうなんだよ…誰か一人が悪いわけじゃないけど、みんな一生懸命に生きてるけど、っていうことが日本に多すぎんだよ。ここ独り言でスルーしてね。

 今になって、というか、昨年あたりから思っていることなのですが、サーキット走る=危ないことをする、というイメージがどこかついて回るのかなあ…と思っています。

実際やっている人の間でも、タイムを削るためには危険を冒す必要がある、という意識がある人がいるような気がして、それでは困るからと車で走るのは好きだけど、時々高速飛ばして、サーキットはやらない、という人もいるように思います。

秩序を知って、実行して、そういう人が集まれば、はじめての人が来てもサーキットは楽しい。YRSではそれがはじめての人にも高次元でも実行されている気がします。

 

 

良いタイムを出すために、速く走るためには危険を冒す必要は本当にあるのか?

自分にとっては、スポーツ走行始めてから、心中にいろんな疑問を抱えてきてたので、とても大事な問題でした。

 

YRSでイーブンスロットルを使った4輪のコーナリングを練習してきて、私は危険と速さは同居しないと思っています。レーサーがプッシュする っていう言葉を使いますが、あれは危険を冒しているのかといえば、そういう人もいるかも知れませんし、結果的にそうなっちゃったという場合もあるかもしれませんが、それが「かっこいいのか」はすごく疑問だと思います。

彼らは運転を仕事にしていて、そのために走りまくって練習して、体もトレーニングして、頭も使って勉強して、今の若いレーサーは特に、子供の頃からカートやって、人生の大半を運転に費やしています。素人がそういう人と同じことができるはずもないし、車にメカ的安全性配慮ができる範囲も少ないし、そもそも、車の反応、感度、ドライバーの感度、実力、習熟度がどれだけ違うか。その人達のプッシュやゾーンを素人が再現できるわけがない。

我々のその言葉自体の理解も正しいかどうかなんてわからないと思います。

自分なり、車なりということをもっと考えないと…!

 

 

2種類の怖さについて。 

自分がサーキットを走っていて、自分の運転に関して感じる「怖さ」というのが、今の所2つあります。

一つは、アンダーステアオーバーステア、それにつながる、要するに車のバランスが崩れたときの怖さです。

コーナリング中に2輪、3輪バランスでも最速は望めません。絶対に出口が苦しくなります。

アンダーは失速することで回避するか、車とその状況によってはバランスが崩れかかっていてもスロットルを開けなければいけなくなります。

どちらにせよ、4輪コーナリングの上限を練習によって把握した人間が、確信を持って速い速度でのターンインを決められた時、そのバランスを保てたときは、回避の操作は不要ですし、車が安定しているから速やかにステアリングを戻せて、そのままフル加速に移れます。

 前荷重をめいっぱいかけてリヤを振り回す走り方だと、必ずどこかでアンダーやオーバー回避の操作が入ります。それをどれだけ上手にするか、という勝負にでるということになります。(昔はそれが速い時代もあったそうです。今のタイヤは高性能になった代わりに、限界がいきなりやってくる。車自体も高性能。限界超えは死につながる。不安定さは昔より即危険につながる。)

その走り方はかならず、どこかで前に進む力をロスして、失速している瞬間があります。自分がやってしまうとコーナーに突っ込んでいった先の頂点で「溜め」のように感じる一瞬の間(失速)がおきるか、立ち上がりでスロットルを開けたぶんの加速が来ない失速がおきるか、だいたいその2つになります。

私はターンインを失敗したときは、そこを潔く失速することで、仕切り直します。

そこで欲張ると乱れて、派手なカウンター当てることになるかも。カウンター慣れてないからその方が危ないし、カウンター失敗しなくても、カウンターによる失速はロスの上塗りになると考えていますオーバルで4輪コーナリングを練習していると、そういう小さな失敗の段階で気づけます。だからYRSのサーキット走行はいつもみんなコースアウトやクラッシュがないんだと、私は思っています。)

YRS受講前に、私は公道で回ったことがあります。飛ばしていたというよりは、雨をなめていた、砂を拾った、というあまりにもおそまつな顛末。

以前はサーキットでもどアンダー出してましたので、そういうトラウマがあって、バランスを崩すことは、小さなことでも「怖い」「嫌悪感」あります。

もうむりーっていう怖さ。

 

そしてもう一つの怖さ。

4輪のバランスを保ったコーナリングは、コーナリングで受けることになる、車を行きたい方向に進ませない力(遠心力など)にタイヤが4輪のすべてを使って対抗するわけで、2輪や3輪バランスより高い速度で入れるというのは理屈として正しいと思います。

より高い速度でターンインする方法を練習していくと、その効果たるや驚く。

えー?こんなとこからターンイン準備ぃ?

うわー!こんな速度でターンインできるの?!

それはちょっぴり背筋がそわっとするターンイン速度。

なのに圧倒的に楽ちんコーナリング

今までドッカンブレーキがっつり前荷重、ハンドルは気持ちよく思い切り回せ!っていうやりかただったとしたら、とても回りきれるとは思えない速度でのターンイン。

これは多くの人から同じ様な感想を聞いたし、「前はこう思っていたのに、こういうふうでいいんだ」というところで参加者間の連帯感が生まれることだってしょっちゅうある。

 

そのターンインから生まれる2つ目の怖さは、四輪コーナリングなら車がまだ余裕が残っているのに、自分が未経験な速度でのターンインと脱出に挑む、という怖さ。

車は危険に陥っていない。怖いと思っているのは自分の気持ち。だから自分次第で超えられる。

 

この2つの「怖さ」というのは全然質が違うものだと思う。

自分は速くない。バカにされたら甘んじて受ける。説得力がないのに書いていることは恥ずかしい。でも、焦ることが一番自分にとって不利益だということもはっきりしているし、速いことだけが車の楽しみではないとも思う。運転を知ればきっと車に維持にも役立つ。

 

 

私は今2つ目の方の怖さに引っかかっている。車が速くなったから、もっと速い速度でターンインできるはずなんだけど、シフトダウン作業が、緊張でおかしくなって失速、仕方がないからゆっくり回る、の繰り返し。

そういえば、随分前に前の相棒で師匠の運転に乗った時(YRSストリートⅠ)に、スリップアングルで、両方の怖さが相まって、感心しながら心拍数が上がった(笑)この怖さ、奥が深かった(笑)