るーさんと駆ける 

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整体ひと段落

 今日、おそらく7年くらい?通った整体院の次の予約を取らなかった。ここのところ調子が良いのでひと段落つけることにした。個人的には感慨深い。

整体院に通い始めた直接の原因は腰痛だった。

干支が1周くらい前、腰痛で整形外科に行ってレントゲンを撮って異常がないからと痛み止めをもらいリハに通えと言われたが、リハビリの待ちが大抵1時間で、その間動けなくて腰痛が悪化して行くのをやめた。その後どこへいっても対応は大体同じ。リハも電気かけるのとプラス何かあるかな?程度で、しばらくするとまた痛くなる繰り返しをしていた。市販薬の痛み止めに頼る様になった。それで何年か過ぎて、どうも納得が行かなくなってきて、ダメ元でいろいろ調べていて、衝撃の事実を目にする。

整形外科で原因が判明する腰痛は、腰痛全体の1割程度…本当なのか⁈

それが実際は何割なのかの数字はハッキリしないが、少ない理由は調べる程に何となく合点が行く。内臓疾患から精神的な理由、原因がはっきりしない腰痛さえ多いとか。そりゃ整形外科だけでは解決しなくても仕方がないのか…それを整形の先生がハッキリ患者に説明は…よっぽど突っ込んで聞いたとして説明してくれる医者がどれだけいるのか…個人的な見解なので詳細は省くがそういう理解に至った。

じゃあどうすれば良いのか…

調べているうちに、整体院に行き当たり、自分が通える範囲の中で選んだのが、通っている整体院だった。

骨盤周りの施術を受け始めて、徐々に痛み止め薬から解放された。

そこで一件落着になるはずだったのに、その時点で、どうも私は人生の疲れが溜まりすぎたらしい。いろいろあって6〜7年苦しむ事になり、その間ずっと身体をほぐしてもらう事が続いたので、そのいろいろを含めてひと段落つけられたのが感慨深い。

 

何に苦しんだのかを改めて出来るだけかいつまんで書いてみるので、ご興味がある方はご一読頂ければ。しかし医師の診断ではない部分や自分調べの内容も含まれる。関わった医師は誰もある意味嘘はついてないし、間違えたのは近所の整形外科の先生だけ。私の初期対応が中途半端だった所も思い当たる。

でも私の右手は悪くすると動かなくなったかもしれないし、途中で諦めたら歩くのがやっとになっていたかも知れない。しかし今、完全に伸ばせない曲がらない指が1本あるものの、傍目にはわからないし支障はほとんどない。小走りもできる。という感じで、諦めないことと、自分で考えることの大切さを痛感した出来事だった。

 

 30歳手前から背負っていた緊張性頭痛や腰痛を散らす為に飲んでいた鎮痛剤や筋肉をほぐす薬、30代からの掌蹠膿疱症の治療で使っていたステロイド剤。その薬がものすごく悪かったからそうなった、という訳ではなくて、薬の影響を考慮しきれなかったのと、安易に薬を出してくれる医師が一部いた事も良くなかった。

30歳手前からホントいろいろあった。書ききれない。自分よくやったと今でも思う。でも頑張りすぎて真面目すぎたとも思う。そういう精神身体の疲労などが重なったのだと思う。その結果ようやくひと段落してきた頃に…

 

2018年秋、積年のステロイドで身体の抵抗力が落ちる&積年の疲労&加齢で体力が落ちる

→(実は水や土にいるような菌が傷口から?住み着いてた)指の途中に赤い点があるのに気がつく。ものすごーくゆっくり増える菌のため、小さな赤い点のまま推移して、ひと月後に指が痛くなる。

がその時は赤い点の原因がわからず。

掌蹠膿疱症の定期通院で皮膚科受診の際みてもらう

→皮膚感染なのかはっきりしないので、整形外科医の意見も聞く様にという指示

整形受診

→腱鞘炎としてステロイド&麻酔の注射2回

ステロイドは抵抗力を下げる為感染悪化。指から手首まで痛い。

別の整形受診でセカンドオピニオン

「申し訳ない、思い当たる所があるので紹介するから大きい病院へいってください。その方が診断が早い」

大きい病院受診で即手術予定決定。

1週間ほど後に手術。

右手の指から手首までの筋膜に何かしらの菌が巣食っているということで、切開して滑膜除去。

その後取った菌を培養し特定しつつ、滑膜取っちゃったので手の腱がくっついたら指が動かなくなるので傷口が多少開こうがリハビリ。

ゆっくり増える菌の為特定するまで増えるのにひと月かかり、抗酸菌の一種と判明。

残った菌を投薬で滅する必要がある。

皮膚感染の例がほとんどなく、治療に決まった型がない。感染症担当の医師が調べて「これが効いたらしい」という投薬をひと月。イレギュラーな投薬方法のために、毎回薬剤師に医師が一筆書く。(3日飲んで1週間効く抗生剤を、ひと月毎日飲み続けた。)

診断名は出なかったが、ひと月経つ頃には横紋筋融解的な症状がで始めて、感染を示す炎症反応が出なくなったこともあって慌てて投薬を終了。

心筋の検査、腎臓の検査などひととおり行い、治療の必要があるほどの異常が出なかったので、治療終了。

 

医者、リハの手が離れてひと月くらいで、下肢が酷く浮腫んで膝が腫れ上がって曲げられなくなり、筋肉もすぐに固まったり疲労がひどくなり、歩くのが大変になった。スーパーに買い物に行って、駐車場から店内に入るだけで息切れや筋肉が固まったり。腰痛も多かった。

横紋筋融解も通院時に医師から言われたのではなく、この時に調べた。通院時は症状が軽かったため、関係する箇所を検査して異常がなかったので、診断名もつかなかった、ということなのだろうと、その時に解釈した。

横紋筋融解というのの原因のひとつに薬があるのだけれど、抗生剤や痛み止めの薬の名前にいくつか聞き覚えがあった。過去の積み重ねがどのくらい関係するのかわからないのだけれど。

諸々の状況から、改めて医者にかかったとしても、要するに「日にちぐすり」という状況なのだろうと判断。今思えば医者に行けば利尿剤くらいは出してもらえて、浮腫の解消が早かったのかも?とも思うが…うーん…なんかさあ、珍しい疾患らしくてどこ行ってもみんなが困ってる感があってね…。そういうのにも疲れていた気がする。その病院遠かったし、どこへいっても説明できない。書類の診断名がない。

結局自力で対処する事に。

 

 

それからおおよそ6年、 ずっと整体に通って、足腰をほぐしたり動かしてもらってきた。近年、全身が筋膜で繋がっている、っていうフレーズはそこここで聞く様になったけれど、ほんまやなと思う。体の伸ばし方も勉強になった。

この2年くらいは庭仕事をしたり、30〜40分かけて歩いたり、小走りも出来る。クルマのスクールも行けた。

掌蹠膿疱症ステロイドも、手術を境にもうやめた。皮膚科通いもやめた。手が全部治った訳じゃないけれど、そもそも掌蹠膿疱症10年治療して寛解一歩手前でステロイドも最少量だったのもあって、脱ステロイドしてみようと思い、自力で付き合う方法を見つける事にした。 程度の弱い塗り薬なら市販薬で手に入る。それで何とかなってる。

 

書いてみたけれど、やっぱり理解してもらえる自信はない。でも自分で考えて、調べて、頼るところは医者や整体院に頼って、自分の行動を見直して変えることと、必要な家事は何とかやろうとする、運転のスクールも諦めない、という姿勢でいたことが今に繋がったと思う。万全ではないけど、必要なことは十分出来ている。

そんなこんなで、整体の次の予約をとらなかった帰り道は、何だか晴れやかだった。