そういえば最近気づいたけれど、先日来ちょっと話題にしたペダル操作の時のかかとは、自分の周りでは両ペダル共に元々かかとが付いている人が多いこと。最後に確認したのは父。(聞いたのは最初に聞いたんだが返事がなかった。笑)
お前に言われたからどうだったかと思って見たけど、ついとったわ。とのこと。
つかないのって怖くないか?とも。
ひとまず安心しました。
私は昔どうだったか覚えてないのだけど、きっちりとはついていなかったし、かかとの位置も動いていました。
今もヴイッツはちょっと要検討。
足の大きさも関係あると思います。
ほかの操作系との距離感もありますね。ついてるけど全ての局面において支点にできてるか…
写真はルーテシアです。
息子には足先を傾けることを疑いを込めて「疲れない?」って言われました。
ちっとも疲れませんよ。
ひとまずそこで引き下がりましたが、
かかとが支点になってるのって本当楽。踏み換えないから反応速度だって早くないですか?
空走距離減るよ。
彼はきっと前後がちょっと前過ぎるんだな。
そのうちもう一回説得しましょう。
出かける家族を見送る時に「気をつけて」という言葉はいくらでもかけられるけれど、どう気をつけているのかはわからない。それを支配することはできない。だけどせめて、そう言いたいと思って昔から家族には声をかけます。近年声に本気度が増しました。
さて、動かない体をどうしてくれようかと思いながら、でも特に腐ることも悲観することも無く忙しい。
ルーテシアを運転して、よし、とりあえず車は動かせるぞと思うのです。
骨盤矯正で腰痛治療に痛み止めの薬が要らなくなり。
抗酸菌感染と手の手術以来、掌蹠膿疱症で始まったステロイド投薬は止めたまま。治ったわけでは無いが、なんとか生活できている。抗酸菌やっつけるために飲んで足腰の筋肉を弱めてしまった薬はもう飲まなくて良くなって三ヶ月。
なのに今までで一番体が動かないという変な状況。
だけど、どうしてそうなのかも大体理解はできている。
長い目で見たら、薬とほぼおさらばできて、掌蹠膿疱症とも自力と工夫で戦えているのだから、相対的に見れば、将来的な薬への不安がなくなり喜ぶべき状況です。
何事も壊すはたやすく、治すのは忍耐。
そんな中日々よぎる思いは、いい意味で「この数年、たのしかったなあ」という思いです。
多分恐る恐る買ったプントが最初の「相棒」だったのだと思います。本当に車屋さんに感謝しています。フィアットプントスポルディングアバルト。中身は1.2Lの普通のMT車だったけど、イタリア大衆車おそるべし(笑)いろんな意味でよー走る車でした。
プントの写真を見たら2008年とあります。
車好きの沼につま先を入れてから(笑)そろそろ10年経ちます。数年じゃなくて10年だ。たのしかったなあ。もう膝くらいまでは沼に浸かっているんだろうか。そう大した浸かり具合でない気がする。
知らんことばっかりです。
夫の車好き人生に伴走を始めて25年近く。
まさかこうなるとは。
近年の方の数年は、とにかく師匠運転の助手席に座って水を得た魚のようにスラロームを走り抜ける相棒を知った。スタッフさんの運転でも驚いたし、とにかくそういうのに近づきたくて、車と仲良くなりたかった日々。
結局何をやってもいつもここ(家)に戻ってきて、家族のメシ活な自分で、人の役に立つところがそこなんかな、とも思います。
ただ、趣味を持つことは大事なことだと、人生で初めて実感したのはこの10年でした。
本業にも良い影響がありましたが、本業きつかったんだと体壊れて気がつきました。趣味で体調が良くなった時もあったけれど間に合わなかった。
趣味持ったからこの年まで体が持った気もします。
夫が悪いみたいに誤解されたら嫌やから書きますが、夫と子供以外の事情が多すぎました。
夫婦で頑張ったなと思います。
まだこれからかあ。
しかし切る、止める、のは本業より趣味が先になっちゃうね。
人生難しい。
後悔ないのはきっと精一杯やって区切りがつけれてるから。心残りはないわけじゃないけど。
ぼちぼち行こまいか。