るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

走馬灯

 おっきな台風が近づいて来てるので、今朝の様な涼しさもひとときのことですかねえ。なかなかスッキリする日が少ないですね。

 

 昨年、一昨年はコロナ騒動要因、それ以外もいろいろあったのですが、とりあえず大方ひと段落して、忙しいのはまあまあ忙しいけれども時間には余裕を持って取り組める、そんな日々です。日々の家事が若干丁寧になったり、整頓、レイアウト見直し、大掃除的な願望は出てきてるのですが、体がついていかなくて先延ばしに。ちょっと焦ったい。整理整頓だけでも結構筋肉負荷かかるんですよねえ。膝とか腰とか。体の状況を見極めて取り掛かろうと思います。

 

昨年の誕生日で50歳となり、これからの人生とこれまでの人生を想う時間が時折あります。

あまりロマンチックなことではないですね。わりと自身の粗探しをしてしまう(他者には良いところ探しをします)人間なので、精神衛生上は良くないので、深追いしないことにしています。

 

いろんなことを思い出してしまうのですが、思い出すほどに、絡み合いますね。

正義、非正義、美しい嘘と哀しい反抗。一番大きかったのは、10代の頃。その辺一帯の学区いくつかの中で一番悪そうなグループの末端に近所の同級生がいました。それをあまり知らずにちょっとだけ出入りをして遠巻きに見てました。向こうが逆にまずいと思ったんでしょうね、すぐに弾き出されましたが、その時に見たごく一部の光景はいまだに脳裏に焼き付いています。全貌なんてわかりませんが(田舎なので大したことはしてないと思いますが)、私の目には彼らの哀しみばかりが裏に見えてきました。根は優しいんだなとわかる人が多かった。それに似た哀しさを、わたしもその時抱えていたからだと思います。

でもわたしには何もできないのは明らかでした。

その後そこには出入りしなかったけれど、別のことで自分自身は散々いろいろ悩んだし、嫌な思いも辛い思いもしたけれど、世間全体から見れば、特に大成功も大失敗もない人生。よく知ってくれた人からは「大変だったね」と言ってもらえることもありました。

 

10代の後半にあの頃の事を思い返して思ったことは、

結局、どんな事情があろうとも、世の中のルールから大きく外れたままでは、その人の良いところが活かせない。

バイタリティがある人ほど、何かが高じていくほどに、そのままでは頭打ちになってしまう。

でも本人がその気にならないと絶対に現状は変わらないし、自身の悩みや苦労は、自分以外の人間には全ては理解はしてもらえない。相手の範疇の理解でしかない。そういうものです。

理解してもらおうというのは過度な期待であるし、重荷になってしまうことが殆どなんじゃないか。

 

その後、自分の心の底からやりたかったことには結局踏み出せないまま、主婦という道を選びましたが、後悔はありません。別の成長と安らぎを頂けたから。

 

もう一つ時々思いだすのは、誰にも言わない記憶。

あの時、こっちには顔も見せなかったあの人の姉さんが出してくれた不器用に剥いた梨。