るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

私かかとつけます/10年位前行った運転スクール

一時期各所で話題になっていたが、私はユイのスクールで運転を習ってから車のアクセルペダルとブレーキペダルは、原則かかとをつけて踏む方がいいと思う様になった。かかとを支点に足の裏を前に倒すある意味アコーディオン的?

基本ブレーキペダルに正対する位置にかかとを置くのだけど、履いている靴によって?はアクセルペダルの時に傾けた足の側面がブレーキペダルの端に触る時もあったりして、必要があればかかとの位置も変えるが、かかとはつける。

かかとをつけないと踏み込み調整が難しいというかつけることが必須になるし、そのかかとで踏ん張っている訳ではないけれども、支点は多い方が楽じゃない?踏み間違える危険も減ると思うんだ。

自身の体のサイズやペダルの位置とか、踏み込みか踏みおろしなのかとか、いろいろ車によっても違いはあるので一概には言えないんだけれど、それはその人の判断が理にかなっていれば良いのでは?と思っている。というかどれが良いのかいろいろやってみて考えてみればわかることがある様な気がする。

ともかく、自分は踏力調整がしやすいと思ったので何年もかけてブレーキング作業と姿勢を変えた。

本当に変えられたと思ったのは、割と急な減速が必要になった時、かかとをつけて最短で四輪で減速できる手順を踏めるようになったと思った時だった。細かい事は言い出せば反省は今もする。今朝も「あれ?手順がちょっと意識不足?」って苦笑い。

 

 

 

車に乗っていつも考えるのは、ルーティンの如く運転習って良かったなと、これからどうしよう?…もあるけど、自分みたいに運転にハマってしまった人では無い場合はどうやって運転の上達を求めたら良いんだろう?という事。

車の運転は多くの人に必要で、車が趣味でなくても運転が上手ければ得だと思う。

 

 


自身は習ってみて以前から比べたら上手くはなった。それは自分で自分を褒めるというより、一生懸命やった甲斐があったと思うだけの事で、特別速いとか上手いということでもないと思っている。でもとても日常の役に立っている。でも誰でも皆自分と同じことにチャレンジする気になれるかというと少し疑問を感じる…。やってみたらできないことではないんだけど…。ホントに。

 


ひと昔前は、車が運転を教えてくれたんだと思う。だからある種の小さな失敗を繰り返しながら、「こうしないと曲がらない、止まらない」式で上達が望めたし、そもそも腕力や脚力や車の知識が劣れば運転はとても大変だったのだろう。

今時は、車のことを何も知らなくても体力がなくても運転できる様になった時代と言って良いのだのだと思うが、世の中楽な方に走り始めたら早い。楽になる事は進歩だけれど、楽になると人は油断する。踏み間違いが多発しているのもその一例だと思っているが、この先楽になった分の弊害も出てくると思う。動力の変化もあるからさらに複雑。

一見便利で簡単に使えそうな今の車だけど、運転を実地で教わる前に机上や脳みそでまず車や運転を理解しないと、ぼーっとしていたり、車の能力に頼り過ぎていると、どこかで車に見捨てられる、そんな時代にもうなってる。

じゃあモータースポーツをしたいとは思っていないが運転を知りたいと思った時にどうすれば良いんだろう。

どーすりゃあ良いのかという疑問を持ち続けているのは、自分がその入り口で非常に困ったし、今もなんだかモヤモヤするから。。

 


自身が車の運転を習ってみようと思った時(10年くらい前)に最初に行った大手メーカーのスクールで、一応座学はあった。でもスクールの進行の話がほとんどで、スクールの練習用車両に積まれた運転データ収集装置(うろ覚えだけど私の知ってる今のその手の機械から思うと本当に「積んでる」というくらいデカかった様な。移動電話とスマホ以上の違い。時代だなぁ)がなんのデータをとっているかの説明はざっくりで省略、難しいことは抜きにしてJターンの時に大体こういう波形になれば良いんです、とのことだった。

その時に「今の車は60km/hくらいまでは普通何事もなく曲がっていける様に作られています」との話があったのをハッキリ覚えている。(だからと言って時速60キロで何処でも曲がれる訳ではないと思う。念の為)

そのJターン練習はターンイン前までに60km/hくらいに加速してくださいという練習だった。

入門編のカリキュラムだったのもあるけれど、今思えば、致命的な間違いを犯さない限り、指導らしい指導はなかった様な気がする。そもそも60キロまでは大体曲がれる様に車ができているんだから。

ブレーキ練習も、コーナリング練習も、こういうのが理想ですという納得のいく説明は記憶にない。ブレーキ練習は停止距離が問題だったのかなあ?もう少しぃー…みたいな声かけがされていた記憶があります。

これを2回くらい受けて問題なければサーキット走行のカリキュラムも受講可能だという感じだった。私は続けて上のクラスを受講する決心はつかなかった。

言葉を選ばずに言うなら、車校やり直しレベルをふるいにかけるという意図ならわかる。致命的に指導が必要な人をサーキットに入れないで済む。だけどそこまででない人間にとっては、走った、特別注意はされなかった、だけで、私の頭に何が残ったかと言えば、致命的に下手ではないのかな?という思いと、急ブレーキを体験した、だけ。

何もしないよりは意味はあると思うが…そこまで危ない運転ではないけれど、運転が上手くなりたいとか不安があるという人は、何を今後の課題にすれば良いのか…走っただけだったなー…という放り出され感が残った。ちっとも上手くなった気もしない。今はその理由がわかるけど、当時はわからなかった。

 


そこから紆余曲折あって、ユイレーシングスクールに行く決心をした。

 


そのあとはもう何度も書いたので良いかなと思うけれど、車が走る止まる曲がるというのはどういう事なのか、車は何が得意で何が苦手なのか。とにかく、どうあるべきかという大前提がきちんと説明されて、広い場所で思い切り走れた。もしその説明が理解できなければ、質問するか、後でスクールのサイトのコンテンツで自主学習できる。

指導もちゃんと向き合ってもらえるし、ちゃんとほっといてももらえる。指導の本気度に驚く事もあるが、すごく納得した。

ただ、子供みたいに全て「待ち」体勢で参加する事はオススメはしない。

下手だとか遅いという事は問題では無く、知らないことを知りたい、できないことをできる様になりたいという意欲があれば得るものが増える、きっかけが掴める。参加後も自分で考えられる。スクールのコンテンツは理系に疎かったので最初は頭から煙が出そうだったけど、中学物理をサラッとおさらい本を読んだら随分楽になった。学問的書き方になっている方が普遍的で最終的には親切だ。理解すれば自分で応用ができる。それに現代はその気になればネット上で一般的な物理の説明は出てくるからある程度頭でっかちにはなれる。現場で現実と戦っている時に指導が受けられる。

 


メーカー主催のスクールに行ったのが10年前くらい。世の中の運転スクールって今どうなってるんだろう。ユイにさえ余裕がなくて参加しづらくなって、他のスクールに参加する事もないのでわからない。広いところでのスクールや、レーシングドライバー主催のスクール、カート教室、いろんなスクールがあるなあと思う。

 


今思い返して、最初の大手メーカーのスクールで、もっと質問すれば良かったのかもしれないとも思う。ただ、何もわからないから入門編に来てるんだよね。これだけのことを事前に理解しといてくださいよという資料も無いし。

すごく立派な設備だったけれど、巷にある自動車学校と同じ様なサイズ感。教官の服装は交通系のお巡りさんや自動車学校の教官的な感じ。でも講師の方々は運転はすごく上手だと思った。

今思えば、ああなる(致命的な間違いがないと走っただけになってしまう)原因のひとつは、会場の狭さにあると思う。昨今の高性能な普通車ではあまり考えなくてもそれなりに走れる。それに普通の街の路地くらいのサイズ感で急ブレーキを練習するために目一杯加速しろと言われたって無理だ。視覚的に怖すぎる。あの環境下の運転でで大丈夫って言われて、その後高速道路で安心して走れるだろうか。

今思えばあの時の運転教習環境ってすごく矛盾がいっぱいあった。何年か前の子供達の自動車学校の教習も話を聞いて矛盾を感じた。背景には自動車学校側だけの都合ではない理由がいろいろあるように思った。

 習った方は、矛盾を何処かで感じながらも習いおわったと思っている。そして怖いとかできないのを自分のせいなんだと思ってしまうと、恐怖や不安が先に立ってしまう気がする。あなたが下手なんじゃなくて、経験が少ないのと、理解が少ないんだよ。

なんかこう「下手」のレッテルを自分で貼り付けて、それ以上の学びを遠ざける感じにしてしまっている場合も多い様な気もする。

 自身の経験から、その気があれば、自分で最低限の必要な進歩は得られる実感がある。

(そういう説明がユイの現場でされてるということでもないんだけど)私みたいにタイヤのイメージが最初は消しゴムでも大丈夫な気がする。

加速は後ろ寄り、減速は前寄り、コーナリングは車さんと地球さんと遠心力さんと慣性さんが綱引きやって、折り合いがついたところに車が向かうんだーくらいのイメージからスタートしたんだから。速度が上がってくると綱引きにヨーさんも参加してくるらしいとか思ってるけどね。それを仮説と実体験で検証すると、関係性が見え始めるんだけど、公道や車校サイズでは感じ取るのが難しい。

 


最初の運転スクールで納得いかなくて運転の本も読んだことがあるけれど、難しい公式で挫折、日本のレジェンド的有名ドライバーの著書は難しい事も書いてあったけどトップレベルのドライバー同志の会話は感覚的、とあった。ドラテクと日常運転のハウツーはその現場限定な内容になりがち。なんかピンと来なかった。みんな書いてなくても知ってるのかなあ?なーんかやっぱり私じゃダメなのかなあ?このまま一生運転は好きだけど1時間以上は頭痛、みたいな状態のままかなあ…って思ってた2014年ごろ。

今2023年。車が動けば楽しい。特別速かないけど幸せだ。