今朝、こういう状況がありました。手書きですが…
Aが交差点で左折かなと思ったら、手前を左折してコンビニに入りたい。がBが来ていて、ちょっとすれ違いはきついのかAが頭突っ込みかけて止まった。Bは右折の意思表示。
両方が判断を迷ってこう着状態。
Bを出さないとAも入れない。Aの後続に私がいてBは本来は右折で出られないから、本来はBが一度後退してAを入れるべきなのかな?
自車は交差点を左折したい。信号は青だけどもうすぐ歩行者信号が点滅。信号変わる前に自分は交差点左折できるかなあ…?という状況。
そのコンビニの入り口はここ以外に、交差点を左折した先にも二箇所あります。
そもそも自分がAの立場なら、Bを発見したらその入り口を通り過ぎてそのまま交差点を左折して、別の入り口から入るだろうなと思います。ややこしいことは極力避けて楽に入りたいし。
私は諸々迷って、結局Aの後ろについて止まりました。なんとか青信号のうちに済むだろうと期待して、済まなかったら仕方ないかなと。
同乗者が言うように、周囲を確認して、こう着状態のあいだに、右折レーンに入ってAを追い越し左折するのを、も少し早い段階で判断する方法もなくはなかったですね。が、交通ルール違反…?
どっちが良かったんでしょうね?
後者の選択にしたとして、判断が速ければ当時の状況なら、多分問題は起きなかったと思います。
私はAを追い越した先の全状況の確認を自分が出来たという確信が持てないのと、ルール違反だよなあという思いもあり。若干ステアリングを右に切りかけてやめました。
思考が飛びすぎかもしれませんが、こういう時に、自分はレース走って大丈夫かな…と思います。
現時点で、昔よりは視野は広くなったと思いますが(あくまでも自分比)…
判断を迷ったこと、
迷いながら微妙にステアリングを動かしたこと、
(後続車がいたら、右に出るという意思に見える)
迷って結局Aに連なって止まったけれど、確認しきれていないことが何かがはっきりしていないという曖昧さ。
そういうところが良くないなと自分で思います。
そして総じて判断が遅い。
以前から漠然と安全にとか効率よくっていうのはなくはなかったけれど、どう考えて良いかがわからなくて、縁あってレーシングスクールに通って、一度だけですがスクールの耐久レースで周囲が速くて慣れた人たちの中で130分の半分を走らせてもらって、追い抜かれ方が間違っている(3台も4台も追い越しをかけられる状況で、譲るつもりで自分のラインを外して進路変更することで、結果クロスラインをとって追い越しをかけてくるかもしれない後続のラインをひとつ塞いでいた)ことをインストラクターから指摘され、それを真剣に考えてみてから、日常の出来事も前向きに反省や考える努力をするようになりました。進歩が遅いように思いますが…。
ここでは時々?しょっちゅう?運転の事やレーシングスクールで習った事で自分が考えたことを書いています。
先日自分で、この歳になって主婦の自分がレーシングスクールに通ったり、サーキット走ったり、それに必要なことを必死に理解しようとしていることについて、になると思いますが、こう書きました。
(*から*まで)
*自分は頭が悪いから、どんくさいから、女性脳だから、理系オンチだから…。
それってみんな誰かとの比較問題ですよね。
自分が何かを上手くなって、自分のこと生活にプラスにしたい時に、誰かと比べてうまいとかって、何か影響しますか?それはやめる理由にはなってはいないと思うんです。*
そう思っていることは事実です。やる前から諦める理由にはなりません。
でもそれだけでは済まない、ともずっと考えています。だから前回そう書いたことはちょっと偏っていますね。反省。
さて、冒頭の状況を家に戻ってからもう一度考えました。
右折レーンに出て左折する場合、確認する必要があるのは下図の通りと考えました。
歩行者や自転車は実際はいませんでしたが、私は「いない」という確信が持てていませんでした。
(下図プラス、後続、対向車線の右折の確認)
(最初上げる写真を間違えてました…あーあ…やっぱり心配だ)
周囲の状況は、無意識には視界には入っているとは思っているのですが、私はこういう時に右に出て左折で行ける、という発想が少し危ういと思ってしまいます。今日の状況はよっぽどでないとなにも起きなかっただろうとは思いますが。
見た瞬間の状況では右折レーンにはみ出し左折はアリにも見えましたが、不確定要素がいくつもあります。Aが考えを変えて交差点へ侵入するかも知れない。Bが思ったより速くAとすれ違い目の前に出てくる、横断歩道に歩行者が視界に湧いてくる(スピード出した自転車なら見えない範囲からでもそういうかんじで視界に入ってくる)。
私自身は赤矢印の選択は、交通量の多いところでは絶対にやめよう、そうでなくても自分の見切りに絶対はないし、固まっている二台がよっぽど動けない様な状況でなければ、遅くなっても右から行くのはやめようと思いました。少なくとも信号に間に合わせるためというのは慌てる原因になります。
そういうことを考え直すようになってから、公道での速度管理が変わりましたし、ブレーキングポイントも変わりました。なぜここは40キロ制限なのか、逆にここは何キロ位で走る方が良いのか。
それでも、ひやっとした事もその後ありましたし、自分がいかに見えていないことがあったか、逆に走りながら考えすぎては見えなくなることもあります。そういう意味ではレースでも日常でも通じるところがあるように思います。
自分がいかに視野が狭くて考えが足りないか。
運転が面白くなって、スロットルを踏み込む楽しみを覚えたのは事実です。
そうなってみて、ちゃんと運転を理解して、セーブする意味もしっかり納得しないと、どこかで踏み外すような気がしました。
お金をかけても、知らないとだめだと思いました。
スクールに行って、まだまだ速さという意味の楽しさで知らないことばかりなのは、周りをみていてひしひしと感じましたが、セーブする意味は現段階でもずいぶん勉強させていただきました。
レースも経験しないとわからない事もあると思います。今までは自分自身の上達を主に考えていましたが、内心、みんなで走る事はもうちょっと違う事だと思っていて、自分はそれが苦手だろうと思っています。このままじゃレースは走れないなあと。
行っているスクールでは一度でもスクールに参加すればレース参加資格はあるのですが、私は集団スポーツのセンスが特別ないのではないかという心配なのか杞憂なのか…が消えないのです。
スクールである程度やってみて、この先どうやって車と楽しめるのか、やりたいから、だけで続けられるかどうか、自分の伸びしろや資金状況も体力も含めて考えなくてはいけない時期に来ているような気がしています。なんとかレース参加をやってみるところまで頑張ろうとは思っていますが…すぐには…。
今は日々の日常の中での振り返りの積み重ねと反省しか、できることはありませんが、車を速く走らせることを楽しむ為には不可欠だし、日常でもコースでも、これ以上怖い思いはしたくないし、させたくないので、地道に考えようと思っています。
迷わず正しい決断、ルールが明らかに状況に合わない理由に確信が持てる時以外はルール遵守、迷いながらの動作は禁物。かなと。
追記
長くなりますが昔話をします。すみません。ご存知な方には焼き直しな内容です。
そもそもユイレーシングスクールに参加したのは下記のような流れがありました。
運転の楽しさを知って、最初に大手メーカーのスクールに参加して、基礎練の後、ミニサーキットを追い越しなし縛りで1時間走って、サーキット楽しい、と感じたので、もっと基本からと反省して、同じ所の入門者レベルの講習に2種参加しました。スキッドもやったし、フル加速からのブレーキも、、Jターンという、コーナリング練習もやりましたし、その時は特に直される事もなく指導される事もなく終えて帰ってきました。
でも、はっきり申し上げると何を練習したのかはよくわからなかったですね。
自分が素人すぎてわからなかったのかもしれないと思って、それ以上習いに行く前に勉強しようと思って、ガンさんの本を読んだり、ポールフレールさんのハイスピードドライビングも、レースと車のセッティング以外のところ(となると半分くらい)は読みましたが、やっぱり、なんだかわかりませんでした。(今はハイスピードドライビングの内容は理解できた部分も出てきています。)
その後生まれて初めてサーキットのフリー走行にエントリーしたのは、5年ほど前。1キロちょいのコースにエントリーが20台くらい(上限は25台のコース)で、後から知ったのは、週末のレースに向けてトレーニングがてらの人が集まっての平日盛況だったということでした。
周りが常連でコースも走り方もをよく知っていたから自分が自然と前に習ったりして速い車に無理なくパスしてもらえたのだと当時でも思いました。
その次は鈴鹿サーキットフルコースで行われた某雑誌の走行会にエントリーしました。予報は雨。当日雨上がりになり事前キャンセルが相次いだらしく、自分のクラスは20台強での出走だったような気がします(上限は50台だったかと)。雨の怖さも走り方も知らなかったし、予報を見ながら雨上がりにはなると思ってキャンセルするつもりもありませんでした。今思えば怖いもん知らず。
雨がダメなんじゃなくて、ドライとの違いを認識してなかった自分が怖い。結果的には台数の少なさに救われたと思います。自身はスピンとコースアウトはありませんでしたが…速くないからっていうのもありましたね。
その頃、誰かより速く走ろうとか、タイムを出したいとかいう思いもなく、運転が上手くなって楽しみたい、最初のスクールのサーキット走行が楽しかった。でも公道だと速度を上げると危ないからサーキット走るしかない。なら、やってみよう。
その考えが合っているかは別として、ただそれだけでした。
で、周囲の人が参加しているものしか知らないからそこにとにかく手を上げる、行ってみる。
それだけでした。
でもサーキットに行ってみても、頑張ったけどなんか変だなあ、なんか違うなあ?という気持ちが募っていきます。
スズカサーキットに行けば、知っている人たちが会員になって走っています。でも、走行会で走ってみて思ったのは、スズカで走るにゃ自分には足りないものがありすぎる、でした。そこで、自分の車でその人たちについていくことが無理だということくらいは当時考えました。着いていけないのに教わるのも難しい。
その「着いていけない」距離を縮める方法が、当時の自分には小さいサーキットでのタイムアップしか思いつきませんでした。今思えば経験以前に元々の車の速さも違うのだから、見習えるほど追いつくはずはなかったのではと思いますが…。
なんとか周りの邪魔になったりしないように走りたいという思いはありましたが、どうしていいのかどこで教われば良いのかわからないまま、主婦な自分が取れる時間が平日昼間だし、コースが空いている時間なら周りに迷惑をかけないかもと思って、半年くらい通いました。
タイムは少しずつ上がったけど…頑張る程にだんだん怖くなってくるし(どアンダーなコースアウト寸前状態)。でもそれを誰にも説明できずにひとりで悩んでいました。
その様子を夫が見兼ねて、そんなに走りたいなら、とユイレーシングスクールを勧めてくれました。今まで夫が見た中で、一番納得できるものを書かれていたのが主催者のシニアインストラクターだったそうです。俺はサーキット走らないし、運転も教える自信がないから…と。
夫もまさか私が通い詰めるとは思っていなかった様ですが…しかもフジまで…笑。
今まで行ったスクールと違ったのは、車が走っているということはどういう状態なのか、ということをイメージ、理解できる座学があって、それを実際検証できる練習方法が考えられていて、車の挙動に対してどう対応するかという方法が明確という事でした。
シニアインストラクターがスクールをしながら書いてこられたメルマガには、こういう状態で運転するのが良い、という話が沢山書いてあったので、最低限の理解をしようと物理的な言葉や思考にもチャレンジをしつつ読みました。
頑張ったけれど私、理系の考え方とか知識は全然足りないと思っています。空間認識も弱いんじゃないかなと思います。
ただ、やらないよりずっと良かった。進歩はありました。
この過程があって、ここまでに本当に大きな事故や人や自分を傷つける事がなくてよかったという思いと、運転を習い直す大切さを感じて、時々自分の失敗を含めて書いています。
ちゃんとしたスクールに行くとか、教えてもらえる人や仲間を見つけることはすごく大事な事だと思います。
それともう一つずっと自分でダメだなあと思っていることがあって、情報処理です。
運転は情報処理の連続だということを改めて認識したのはユイレーシングスクールに行くようになってから。
ということで、最初の交差点の話に行き着く訳です。長いね、すみません。