るーさんと駆ける 

「カメだって全速力」(mamogame.hatenadiary.com)第2章。Renault LUTECIA3 RS とシュフ。

生き抜く力に変える

知多半島ラブ♡

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野間灯台近くにて

 

要介護の母の骨折から1週間。

固定装具をつけて、動かすなと言われるのに、折れたところがずれてないかを定期的に見せろと言われるので、苦労して整形外科に連れて行く日々。

付き添いと父の車(ウェルキャブ、CVT)の運転手を申し出たので、何度か路面の悪い起伏のある山道を運転しているが、半身不随で自力で動かず、車のシートに座っているのがやっとの人間が骨折…を乗せて、どうやったら体に負担をかけないか(G変動を緩やかにするくらいしか思いつかないが)をそれなりに自然と実行している。(ブレーキングは早めにジワリと繊細に、コーナリングは緩やかに、加減速も緩やかに。大げさに思えるくらいに努力をすると、本当に車は優しく走る。)

そういう自分に気がついた時に、車が好きでよかった、運転を習ってよかった、いろんな車を運転してよかった、役に立っていると、しみじみ思った。

 

 

 

介護状態というのはひとつ何かが狂うと、かろうじて保たれていた諸々のバランスが崩れる様な気がする。骨折の回復を待って介護体制も大幅に変えていく契機になりそうだ。他にもいくつか重なってドタバタ。昨日になってようやく一息ついた。

 

この先当分、私の方もスケジュールの自由度が下がるのは明白。同居する時からそれは折り込み済みで、単純に、以前より増して、自身の気持ちや効率よりも、何が最善かを最優先に考える日々になるというだけのこと。同居以来、今まで自分が外で仕事をするか迷ったことも何度かあったけれど、踏み切れなかったのはこういう時のためなのと、自身に手に職がなかった事と、父の仕事は代わりがいない種類の仕事だから、休暇もない。教育という仕事の性質上、父の向こう側には沢山の人が関わっている。だから家庭にいつでもイレギュラーに父の介護の代わりを対応できる待機状態にある人間がいないといけないんだろうなという判断だった。

外で働いている同世代を見ると、心のどこかがソワっとするけれど、納得もしているから平常心でいられる。独りも嫌いでないしね(笑)

今の段階ではどうなるかはわからない。救急車も、医者通いも、病人も、今や対峙してもうろたえる事はないけど家族にとって看病や看取りはひとつとして同じものはない。慣れた様で慣れない。

私と夫にとっては15年くらい前に夫の母の病気に始まり、こういう事はもう15年くらいの間病人が入れ替わっていくだけで断続的に続いて来てる。過去には病院の完全看護、現在は介護保険の恩恵にあずかっているからまだまだ楽をさせてもらっている方だと思う。

ここまで続くということは、何か自分の魂の経験値として必要なんだろうなと思ってきた。

この20年くらい、遊ぶとか好きなことをするという時間もない時期が何度か、随分あったけれど、車だけは変なの(笑)のマニュアル車(アンタもそこそこ好きね〜)に乗ってた気がする。

子育てもあったから、趣味の時間など大して取れなかったから、日常の移動が趣味の一環で助かったし、その車を所有している事の満足がささやかな支えになって来た。

 

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子供が大きくなって何とか時々時間を作れる様になり、いろいろ考えてサーキットの門をくぐったのが5年くらい前。

何種類かスクールにも行ったけれど、ユイレーシングスクールスクールに行って、やっと真正面から車が動く理屈を教えてくれる場所に出会った。

ユイの前に行った所は、講師だけがわかった顔で素人さんはとにかく走りこめ的な説明レスとか、私自分の車にはABSついてませんとニヤリと笑う講師だった時もあった。

納得が行かないというより、わからない自分が悪いのかと思っていた私は、何かがわかるまで、スクールにも行けないなと思って、ひとりでミニサーキットで走ったけど、タイトコーナーでどアンダーだったし、主婦の空き時間では教えてくれる人にも友達にも出会えなかった。女性がいるなと遠巻きに見られる事が多かった。自分の取り組み方の非もあるのは確かだけれど、誰がどう、ということでは無いが納得がいかない様な何かがあったのも正直な感想だった。

ユイレーシングスクールに通う様になって、そういう寂しさや納得のいかなさを覚えることも格段に減って、本当に走る事が楽しくなった。自分に足りないものが明確になった。最初に教わった基本に照らして考えて考えて、走って走って、オリジナル資料を読み漁って、自動車の解説本もかじった。そのうちに自分で考えて走りを組み立てる様になって来た。

 

日本には、ああいう、自分で考える事ができる基礎を作らせてくれる所は実は少ないと思う。素人でも、女性でも、学校の理科の成績が悪かった人でも初心者でも、本人がその気になれば時間がかかってもビークルダイナミクスをイメージすることは可能だ。深く理解するには体感だけでは遠回りだと思うが、最低限決定的に危険なことだけでも、あのカリキュラムなら体感でも理解できて避けられると個人的には思う。もっとああいう指導が増えて欲しい。自分が今できる事がないのが情けないけど、いつもそう思っている。

考えた時間、取り組んだ期間が、きっと何かの力に変わる。間違った努力の仕方はもったいないし、ほんとうの速さというものを見聞きしただけで、無茶をする確率は下がると思う。本当の高速コーナリングは怖いものでなく、畏れ多いものだった。前より上手くはなったし多分多少は速くなったと思うけどまだできない。

 

 

ひょっとしたら、いやひょっとしなくても(笑)私は競争したら人より速くないと思う。実のところ人より速く走ることにあまり欲求も無い。進歩することに欲求はあるので、そういう意味で速くはなりたい。でももし速くなったらどうしていいのかわからない気もする。

元来の人付き合い不器用さ、社会経験の少なさ。文化としての男社会や車好き、走り好きな人たちの共通認識も薄いから浮いてる、失言も数知れず。

 

ただ、物理などの理屈を追うことや、それを使って効率よく走ろうとする思考回路を多少なりとも持ったことで運転以外の生活や、自分の感情の整理にも、ものすごく役に立っている。

わからないことを調べる、知識を得る、考える、試す、結果を検証する。

人と比べてどうかという事の前に、そういうことをしたかどうかが、自身にとってものすごく有益で、大切な時間だった。生き抜く強さにも繋げられるような気がする。

 

るーさん、まっててくれよ。

どこでどう走れるか、まだわからないけれど、また思いっきり走ろう。

速く走ろうとする人たちの中で走るには、やっぱり自分も精一杯速く走ろうとするのが一番いい。

いつか、自分なりに周囲に迷惑にならない楽しみ方を見つけたい。

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