るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

花につられて(桜&珈琲)

各メディアやSNSで桜の便りが多いですね。

今日は花冷えで寒いものの、思いの外天気が良くなり、ふと思い立ちバタバタと用事を片付けて、るーさんを出動させて、桜&珈琲探検へ。

実はこの時期は例年夫の仕事が繁忙期で、今年は何と11連勤の真っ只中です。

非常に後ろめたいのですが、思うところあり、ハズレ覚悟の新規開拓は単身でチャレンジ。

面白そうなら次回誘って再訪しようということです。

東海市大池公園の桜です。桜は外れないと思っていて期待通り。車がとめられるか…なんとか。土日は駐車場が満杯だと思います。

今年は連続勤務で無理かな…来年はもっと事前から考えておこうかなあ?

 

f:id:mamogame:20220401154344j:image

日露戦争日中戦争等の戦没者の慰霊碑です。

桜に囲まれていました。

 

f:id:mamogame:20220401195453j:image

f:id:mamogame:20220401154341j:image

 

 

車好きは、車と桜の写真を撮りたくなってしまうのですが、気の小さい私はとにかく疲れます。気兼ねなく車を停めて写真を撮れて絵になる場所は…滅多に無さそうです。

なので今年は車&桜はすっぱり諦めて、桜を愛でることにしました。

公園内を散策して幸せ。

そして、その後、割と最近(と思ったら2年近く前でした…)できたらしい珈琲店へ。ケーキや食事もあって、スペシャリティコーヒーをサイフォンで淹れて出していただけるそうです。

f:id:mamogame:20220401160821j:image

3店舗を展開しておられるうちのひとつな様で、お願いすると15分ほどで豆を焙煎してくださるそうです(お願いはしてませんが再訪する事が有れば面白いかな)。個人のオーダーを都度焙煎ってことは、少量用の自動の機械があるんでしょうかねえ?

私は焙煎には興味がないのですが、自動の焙煎機械があるっていうのは小耳に挟んだ事はあります。そういう業務用の少量バージョン?知らんけど(笑)。個人向けのちーさいオートの焙煎機(生豆入れてスイッチオンで焼けるらしい)っていうのもネット上で見た事はありました。

オートの機械も性能で値段ピンキリなのかなあ(笑)とかいろいろ疑念と期待が入り混じる中、ありがたく、6種類の中から選んだミャンマーが目の前に到着。

f:id:mamogame:20220401160824j:image

総じて美味しく頂きました。飲みやすい。

 

ただ、贅沢を言うなら、最後の三分の一が冷めるとちょっと渋いのが残念。最後までブラックで飲みきれましたが。

五十路のオカンにはちょっとケーキが大きかった(笑)ですが、なんかこう今感漂うお店で、近くのコメダの方が安心する自分は、桜咲く池のほとりで

「ほいじゃ今からコメダ行くかね。あそこならまぁやーっと(長いこと)喋れるがね」

と話し合ってるおばあちゃんたちに近づいてるんだなと感じた春の昼下がりでした。

コメダのコーヒーは最初から砂糖とフレッシュ入れて美味しくいただくのが毎度です。お客が回転してるモーニング時が淹れたてでヨシ。

 

 

 

 

 

間違うてた、反対やった(^◇^;)/曲がる時考えてること

f:id:mamogame:20220329093004j:image

大変です。見て下さった方気づいて下さっていた方もいらしたかとは思いますが、前回「正確性は…」とか言い訳しつつ書いた図が1箇所おっきく間違えてました。一応訂正しますです。

遠心力が働く方向を反対に書いてますので、今回の写真は書き直したもの。前回書きながらちょっと不安やったんですよね…やっぱり間違えてたやん!

それと、おそらく実際の動きとしてはちょっとタイヤの向きが大げさな気がしますが。

 

直進時はタイヤ(駆動力とする)の向きも慣性力も直進で、全会一致体制。

旋回時は慣性は「そのまま真っ直ぐでええやん」

タイヤは「運転してる人はこっち行きたい言うてる」

そこへ休んでた遠心力が現れて「もっとアウト側行きたいー」

それを物理の神様が「全てなすがままに…」と見てる?

で、逆らえない物理のバランスで、妥協点に車の軌道が描かれる。

個人的にはそういうイメージです。

人間は「運転している」というと自分が操っている意識かもしれませんが、操っているのはおそらく大方物理です。人がそれを理解すれば好みの方に多少は誘導できるかも、くらい?

 

実際ややこしいのが、車自体の前後の傾き、左右の傾き、路面の傾斜も、大きな大きな影響を持っているわけですし、他にも重心がどこかというのもありますし、車の個性も様々、重い子軽い子諸々…って感じです。私は全てを把握して瞬間で判断する自信はないですね。車さんが発してくれるサインを必死に追いかけるしか出来ないです。

 

で、私自身が今普通に走っていて何を考えておるかといえば、まず第一に、一般道の交差点や曲がり角を曲がるときに「速く曲がろう、曲げよう」ということ自体がある意味無理、ということです。

サーキットでも90度コーナーってなくはないかと思いますが、かなーり減速しないと回れませんし、無理するとアンダー出まくりです。知らなかった時散々やって損したので実証済み(T ^ T)。

サーキットなら路幅いっぱい使って出来るだけ回転半径大きめで回りますが、一般道で対向車線も使ってアウトインアウトで曲がるなんてしませんから。

f:id:mamogame:20220329103341j:image

結局遅いなあって感じるくらい減速して、ゆーっくり、出来るだけタイヤを引き摺らないように、ハンドルきった、曲がった、切った、曲がった…って「ステアリングを回しすぎてないか」と車がどれだけ曲がっているかを気にして切りたしながら曲がる。(引きずった分だけタイヤが余分に減る、傷むと考えている。ズリズリいわなくても、引きずってるのとそうでないのとの違いはあると思っています。)

他にも少し工夫する点はあって、小細工はしてます。傍目にはわかんないと思いますが、スムーズにはなるのかなぁ?

基本手前の減速は早いし、コーナリングスピード遅めにしてるので、後ろにせっかちな人の車が着くと、ミラー越しに相手は嫌そうに見える瞬間もあります。ごめんね。きっと脱出速度で差が出るんですが、やれないし。ここで検証する気もない(笑)。見た目よりビンボーやからタイヤをチビってますねん。

(スクールで習って来た走り方は、いわゆる「ツッコミ重視と出口重視」ともちょっと違う話なのかなと思っているのです。最速を紐解けば他もわかり始める)

じゃあ一般道で速く走る、カッコよく走るって事は何なのか。というのを、時々ふと考えていた事も以前ありました。

うーん何だろうな。

多分、何事もない事だと思うんですよね。

消耗が少ないかどうかって分かりづらいし、「カッコいい」「運転上手」は他者が判断してくださる事なんだよなあって。その人の好みにもよりますよね…

結局、平穏無事って意外とカッコいいのかな?

 

早春の野山と運転を味わう/将来車趣味は悪になってしまうのか?その2

先日黄砂と花粉にまみれていた我が相棒を洗車&メンテナンスクリーナー(純正5years coat用。10年越えてるがそれなりにコートはかかる)をば。

昨夏終わりに、カーポート設置しました。冬の朝も随分車が落ち着いている(凍ってるとか夜露でじっとりとかそういうことがない)ので、外装劣化のペースが落ちてくれる事を願います。

 せっかくきれいにした事だし、今日はいつもより少しだけ足を伸ばしてアウェイ感満載のショッピングモールへ。近隣の農道系の道を走りました。田畑の土手は冬枯れに少し緑が混じり、所々に菜花の畑のぱあっと明るい黄色が。梅はもう終わり。雑草の花が咲き始め。ソメイヨシノはまだまだ先ですね。例年見てると街の方が開花早いんですよね。

 燃料費高騰で、近所の用事はレギュラーガソリンのヴイッツで大方済ませていて、しばらくるーさんに乗っていませんでしたが、3RS、やはり良いですねえ。挙動とシフトフィール…諸々。何かひとつ操作をするたびに幸せを感じている自分がいます。運転自体は随分前から好きでしたが、この10年、更にこの2年くらいの間にまた進んだ様に思います。人馬一体に徐々に近づいていると思いたいです。面白いことに、最近はヴイッツでも、操作の仕方は若干違いますが、同じような感覚はあります。

操作に過不足感がなくて、幸せです。あくまで自分なりに、ですが。

逆に、問題はないけど今ちょっと雑だった…という事もありますが、それがはっきりするのは悪いことではない。

とにかく、可能な限り安全に効率よく目的地に行けて、自力で行ける範囲が広がり、楽しいことが増えて、移動時間すら楽しめる。お金と時間が有れば言うことなしなんだが。

 

車が動く理由とか、元来車は曲がりにくい乗り物である理由とかそういうのをある時集中して教わって、その後考えていたら、こりゃ、感情やある種の感覚だけを信じていたら若干間違う事もあるぞとわかって、気長に日々の運転中に検証を繰り返した。実にそれだけです。

 

 

それで、脱炭素で「将来車趣味は悪になってしまうのか?」という事の続きなんですが…

 

そもそも。日本では以前から、どうも車趣味をご理解いただけない方々の一部(年配層かなあ)には、車趣味=不良という印象が、根強くあるように思います。詳しくないので恐縮ですが、欧米の様な長い車の歴史もありませんし、レース文化も欧米に比べたら期間としては短いのかなと思っています。当事者は別として、もともと社会的に広くという目で見ると、理解が乏しいとか浸透していないのは、そうなのかなという気がします。

日本で長い間アマチュアに草レースを許さなかった理由は私は知りませんが、その頃「峠を攻める」時代があった様で、それを見ていた年配層に不良の印象があるのかなあ、と私は思っています。私自身は車好き=暴走族なんて思った事はありませんが、若い時は今ほど良い印象がなかったのは事実です。

 

自身が運転が楽しいと思ったのは、結婚した相手の愛車(初代ユーノスロードスター)の運転をしないと、どこにも行けない状況になった時ですね(笑)

 それから20年が過ぎてから、もっと車が好きになってきたけれど、習わないとわからない、習わないと危険だと感じ、ユイレーシングスクールで運転を習い、オーバルで練習し、交代で走る中、周囲の走りを見ながら思ったのは、最速の方向性を知ってちゃんと理解すれば、自身がまだ最速に至らなくても、公道で無理をしたりルールを守らない事が、捕まるかどうかではなく、損こそすれ得にはならないという事も納得できるし、コースでも公道でも、危険をはらむ走り方をある程度見てとれる様になるという事でした。

 大方の自動車学校の様な広さとコースでは、今の車の能力の高さでは、何も起きないので(苦笑)、出来る事は限られるし、この数年で思ったことを書き始めたらキリがないけれど、車校に限らず、考え直した方がいいんじゃないかと思う事は沢山思い当たりました。結局自分自身が自分や周囲を守るために考えることが1番早いんだと思うし、最終的にもそこに尽きると思います。

 

 車趣味が危険かどうか、スポーツ走行がエネルギーの無駄遣いかどうか、というのはひとことで片付けられるものではないと思いますが…

そもそも、考えなければいけないのは事実だとは思うのですが、脱炭素自体がすごく矛盾してる議論だなとは思います。

エネルギーは使いたくない、でも例えば移動や物流に関していえば速く楽に移動する時間軸の日常を変えられるかと言えば難しい。だからみんなが頭を悩ませているわけで…。グローバル化で世界中が繋がっていて、コロナでも物流の混乱は起きているしロシア侵攻の制裁に伴うエネルギー問題でも、ある種関連する課題が表面化するかもですね。どちらにせよ無駄遣いを避ける努力も要ると思いますし、将来的には乗り物を好みに関わらず変えたり、自分のペースと合わなくても集団の効率に合わせる努力は必要になっていくのかなという気がします。自動運転の乗り物って結局その地域の集団全体の効率優先になるって事じゃないのかなあ?

 

正直、なんかこうご時勢が車好きとしてやるせないというか、複雑な心境なのは確かです。

運転技術の事にしたって、踏み間違い問題に始まり、危機感とモラルの低下に高齢化と問題は山積み。どこでも自動運転まで、あと30年くらいかかるって言ってるジャーナリストもいました。結局実際は、まだまだ運転を何かに頼れるっていう時代でもないんだと思います。

自動車自体もそうですが、その運転は、実はすごく高度な事だと思います。そこを避けて何とかしようとしてしまっている様に思うんですね。なので、もっと「こういう難しそうに見える事(車が動く物理みたいなもの)も理解しないと運転できませんよ。でも凡人でも全く理解できないほど難しい事ではないので、一回ウンウン唸って考えてみてください。そしたら楽になりますよ!」って言ってくれる人がもっと増えたら良いと思います。考えたら納得行きましたし。

 

図の正確性は追わずに今書きましたが、自宅ではこんな様な感じのことを一時期考えてウンウン唸ってました。イメージ的な理解でしかないのですが、役には立ってる気がします。

遠心力、慣性、駆動力。実際の軌道。

直進と旋回でこんなに力の働く方向が変わるんだな…という感じで。速度や路面条件や操作のタイミングでそのバランスが変わる。本当は更にいくつかの要素が加わっているんですが。

f:id:mamogame:20220324093752j:image

 

さて、あんぱん食べて今日も頑張りましょう。

f:id:mamogame:20220324093829j:image

 

もの思ふ春/ 将来車趣味は悪になってしまうのか?

昨日は、ガソリン高騰に伴い出動機会の減っていたるーさんをたまには…と車庫に向かいましたが…屋根があっても砂は積もる。花粉も混じってるか…っていう感じで諦めました。

後日洗車から、ですね…溜息。

 しかし…世の中先行きが不透明な話しかない…一体どうなるんだろう?

侵攻以来、連日BSのニュースなど見続けて、専門家の面々のお顔やお名前を覚えてしまった方も。ようやく当初から気になっていた、どうしてこうなった?的な事がすこおしだけですが、私みたいな者にも。

いろいろ複雑ですね。

勧善懲悪、ということだけでは終わらないですね。実際の解決にはならない。

まあ…どちらにせよ、とても悲しいことにひとつの国がボロボロにされてしまっている事に変わりはなく、将来的にある種の漁夫の利を得るかも知れない国すらあるみたいだ。世の不条理を思うと悲しい。

日本の国会議員はどんな覚悟で来週オンライン演説を聞くのだろう。必要な覚悟を理解できている人は、国会議員にも国民にも、どれだけいるのだろう。私はどうなのだろう。

もの思ふ春であります。

 

最近は、自身の体調が、ここ4ー5年の中ではかなり良い方で、なけなしのへそくりはたいて車のスクールに参加するかどうか?と機会をうかがうも、諸々噛み合わず見送ることが続いています。燃料費はどんどん上がっていくし、家庭内でも想定外の出来事がこの数年の間にいろいろと。ほんとに何事も先を見通すのは難しいです。私走りに行って良いのだろうか。

 

 そんなにしてまで何故走りたいのか?しばらくスクール行ってないとわからなくなって、時々ふと考えて確認したりしますし、そもそも車が趣味であること、サーキット走行、レースが環境に与える負荷、というものを、社会はどう考える様になっていくのか、私個人としてはどう考えるのか、なんてことも、頭の片隅で考えます。

 思う事を全部書こうとしたらとてもまとまりません。わからない、知らないことの方が多いと思います。

 簡潔に、個人的に思う事を書ける事だけで書こうとすると。

より少ない燃料で、より少ない消耗で、より速く走ろうとする事は、能力と技術の進歩につながると思います。なので自動車レースは結構先まで無くならないと思っています。人間は競争する事もやめないと思います。動力は何で走っているかは別ですし、ヴァーチャルの割合は確実に増えていくと思っていますが(私はおそらく画面に酔うのでチャレンジしたことはありません)。

運転が好きな人間からすると、省エネルギーな乗り物に乗っていれば省エネルギーとは限らないのは、路上で周囲を見渡せばわかる事もあります。私みたいな新しい技術に疎い人間でも宝の持ち腐れがひと目でわかるパターン。踏みすぎ(笑)

いろんな動力候補が上がっていますが、おそらく当面は喧々諤々やっていく時代が続いていくと思ってます。大きな範囲のことは把握しきれませんが、普及には結局インフラと値段と利便性なんじゃないかと。

 

個人的には、燃料補給が普通にできるうちは、人様が置いていったもの(中古ガソリン車)を細々と乗り継いで日常を過ごしていこうと考えています。運転寿命から考えたらそれで良い様に思います。きっと税金高いけど、電気自動車の新車買うよりは絶対安いし。先々まかり間違って小金持ちになれたら、電気モーターの超小型車みたいなのは興味はあります。

今のとこはそんな感じです。

 

自分がモータースポーツをする事に関してはどうなのか…

今年なんとか1回でもユイのスクールに参加したいと思っているのは、それまでに練習したり考えたりした「速さ・巧さ」というのが方向性として間違ってないかを確認したいという思いがあります。実際は、私競争があまり好きでないので、そういう意味ではどうやって確認したらいいのかわからないんですけど(笑)レースに出るようなお金もないし、1番敷居が低いのはユイのオーバルレースなんですけど、現段階ではそこに複数回参加する見通しが立ちません。現地への移動距離が半分だったら、もっと違っていたと思うんですけどね。

私自身の運転は随分と省エネルギーになりました。数字として出したことはありませんので、とにかく無駄に踏まない、諸々無駄に減らない、無駄に神経が消耗しないです、としか言えませんが。

 

速さとは何でしょうね。運転の楽しさとは何でしょうね。

私の頭の中には一応ひとつの方向性があります。正しいとか間違ってるとかいうものでもないし、まだ人に言える様なものでもないし、説明できたとしても私の企業秘密です。

実現できればそこそこ速くなるはずなんだけどなあ(笑)すぐにはなあ(苦笑)。

それを少しの非日常で確認したいですね。

どこでも、何で走っても楽しいはずなんです。

 

世の中がどう移ろうか、どうなろうとも、日々の自分相応の幸せと楽しさを自分で考えて選んで生きていければ良いですね。

抽象的で申し訳ないです。

 

 

 

10-0ばっかり/河津桜

 春ですね〜…というか昨日暑かったですね…なんか暑かったり寒かったり両極端です。

 昨晩は夫とひとしきり社会情勢談義をしてました。今回の侵攻で気になることがいろいろあって、時間が少々余裕もあるからでしょうか、今まで目にする事がなかった事がいっぱい分かりはじめました。

今朝は、そういや紛争って今までもいろいろあったよなと思って、チェチェン紛争(2000年手前に1回目、2回めが2013年にひと段落しているらしい)ってなんだったかと調べたら、結局あのあたりは以前からあっちこっちである種近い事をやっていて、今回露がウクライナに対して、当初から相手(ウクライナ)はこういう奴らだと主張している理由はこういうところなのかなと思える流れもあります。概略を少し見ただけですが。うーん…露が同じ流れにしたいの?無理な気がする…

あとはやはり昨今のSNSの力が大きいなあ、という気がします。

遡っていくといろいろ互いに主張はありそうですが、やはりわたしゃぁ露の主張とか思考回路がわからないですね。時代を独裁者の実年齢より昔に戻したいのか??周辺国がついてこないのを、全部相手のせいにしてるのはなんかこう…言葉がないです。

 

 昨日の夕方、地上波夕方のローカルニュースの中堅人気アナが「今まで平和だったウクライナが突如戦火に」的な表現をしてましたが…

侵攻当初から「もう何年も事実上戦争やってんだ。最後まで戦うぜ」という内容の事をドネツクの市民の方が話しているのを日本の一般家庭のオカン(わたし)はワールドニュースで以前見ましたが…

誰も聞いてないのを良いことに、にわか者オカンが夕飯の支度しながら盛大に突っ込ませて頂きました。

 

いろいろ興味を持って見ていくと、どっちかが全部悪いとか、そういう10-0の議論は無理がありますね。ただ、このやり方を許すのか、というところが大いに問題だと思っていて。

 

そもそも、当初から、構図として、親子間とか家族間の一方的な過剰な依存関係に似てると個人的には思っています。

ただ、もうちょっと世界史も勉強せんとちゃんと理解できないなあと思います。侵攻前から偶然日本史から手を付けてる(ごくごく一般的な概略の流れが掴みたいだけです。今までが不勉強なので)のですが、なかなか進まなくて。順番逆だったかな…

 

今回のこともそうだし、コロナやワクチンのこともそうですが、なんかこう近年、無理のある10-0の議論多くないですか?賛成か反対かどっちかしかないの?どちらかに分類されなきゃダメなの?

 

車や運転もそうですが、こういうことも興味を持つこと、慌てず騒がず考えることで、個人的にしか役立ってないかも知れませんが、思ったよりも収穫ありますね。

車の話書きたかったのに…長くなったからまた今度にします。

殺伐としてきたので、近所の河津桜を見に行ってきました。よく歩いたー(笑)
f:id:mamogame:20220315134741j:image
f:id:mamogame:20220315134744j:image
f:id:mamogame:20220315134739j:image

 

平穏無事の有り難さ

 我が家の家系には戦死者が2人います。

実父の父はニューギニアで遺体もなく戦死ということになっている。

夫の父の兄はフィリピンに向かう船ごと沈んだそうです。

昨年末、夫の父と母の年季をささやかに家族だけでお参りをすることにして、準備していたら結果大掃除になって、その時に仏壇下の収納から、国から頂いた叙勲関連の品々が出てきました。

調べてみると、戦死者にはおしなべて与えていただいた類のものらしいです。

日付としては昭和42年頃です。

終戦が昭和20年ですから、20年以上かかっています。

これを手にした時の、父母(夫の祖父母)の気持ちはどういうものだったのか、察するに余りあります。ひっそりとしまわれていました。

仏壇は夫の祖父母が存命だった頃からあったようですが、その仏壇が今我が家にある経緯も含めて、戦争が作った罪を思うと虚しくてなりません。何故日本が戦争に踏み切ったのか、諸説あるようですし、当時もいろんな考え方があった様ですが、するべきか否かという点を差し置いても、結局要所要所で判断を間違っているのでは?という印象を持っています。詳しくはないので普段はそういう事を言いませんし、細かいことを突っ込まれても答えられません。ぼんやりとした全体の印象です。

一般庶民は、皆が家族や国を守るために戦い、偉い人の一部は保身とプライドのために戦っていた様な気がしています。

今平穏無事な生活ができていることはありがたく、当たり前ではないなと近年ずっと思っていました…。80年近く前は日本は戦争してたんです。私が生まれる30年前です。そんなに昔じゃない。

 

 

ここしばらく、いろんな情報を目にします。

BSの世界のニュースだとたまに遺体映像もあります。

敢えて目を背けない様にしています。

情報戦もあるので、信憑性が問われるものも多いですが…ただ、一生懸命に平衡感覚を意識しても、露の主張は無理があると感じます。

無理筋で通すための苦しい言い訳の羅列に見えます。

他の国でも独裁で情報統制や人権抑圧をする国はあると思いますが、理解できないし、長期的には基本無理があると私は思っています。細かいことはわたしには分かりませんので一般庶民的感覚です。

 いつになるかわからないけれど、露の人たちが将来実際を理解した時、露にも戦死者がいます。その家族はどう思うでしょうか。自分達が支持していたものは本当にそうだったのか?もう既にわかっている人も大勢いると思います。

日本でも二次大戦後、価値観崩壊して人格崩壊みたいになった人も多かっただろうし、我が曽祖父もそのひとりだったようです。周囲が相当苦労したそうです。

なによりも、ウクライナの方々は本当に今虚しさでいっぱいだと思います。

 

以下、より個人的感想で井戸端会議的内容なことをお詫びしつつ、続けます。

正直、プーチンさん的主張って根本的には係員に個人的な都合で文句をつけて、係員に正論で説得されてブチ切れして手がつけられないお年寄りと変わらん感じにどんどんなってます。

国民のために軌道修正するのは独裁者の責務やろ。

 

日曜の言いたい放題のテレビ番組(大真面目に政治経済を議論しつつ茶化しも入れる番組)で、宇宙人が攻めてきたら、地球人は団結するって言った人に対して、その宇宙人をどう扱うかで結局地球人は揉めるんだって反論した人がいたけど、きっとそうでしょうね。

先日の宇宙ステーションの宇宙飛行士の帰還を妨害するかもしれんっていう露の主張(実際は無理らしい)は、主張された当人も呆れてたらしいけど、ほんとにそういう主張をしたなら、宇宙まで持ち出すか、終わったな、って思っちゃいました。

 

じーっといろいろ見聞きしながら、自分がウクライナの人ならどうするか考えました。

子供はもう成人、孫はいない

多分自分なら残ります。無駄死にはしない様に精一杯知恵絞ります。

戦うことが正解なのかは分かりませんが、そうするだろうなと今までの人生を振り返って思いました。

もしほんとにそうなったら怖くて後で後悔するかもしれませんが、民族問題はほんとに複雑ですが、何と無くそう思うんです。

 

 

 

小さな春

f:id:mamogame:20220226210638j:image

他の植物の陰に小さな春。

1番咲だね。

f:id:mamogame:20220226210724j:image

春先のお楽しみが始まりました。

クリスマスローズ

 

いろいろな情報を見聞きして、いろいろ考えていたら、悲しくて腹立たしい。

人は決してきれいなだけの真っ白いものではありません。白いシャツを洗うといつも思います。いろいろやっても落ち切らない。

生きるという事は綺麗事だけでは済まされない。

 

だけど、それでも人は正しくあろうとして努力します。人を愛したり、大切にしようとします。無私の心で多くの人のために行動しようとしたりします。

 

そういうものを心の中で揉み消して、世の中綺麗事では片付かないのだよと凉しい顔をして手段として嘘の綺麗事を並べている様がこんなに醜いものかと。

 

祈ることしかできませんが、どうか、春が来ますように。