るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

非日常への扉/モメンタム

先日のユイレーシングスクールへ参加の往路、山のあちこちにぽつりぽつりと山桜だろうなあと思われる花が咲いた木があるのが視界に入った。春だなあ…そして新東名で眼前に現れる富士山に目を奪われそうになる。

 昨年12月とこの3月で、久しぶりに半年以内で2回スクールに参加できた。るーさん手に入れてから本当にいろいろあって、スクールも間を空けて途切れ途切れにしか行けず。6年で3回?4回?

ホンマに車以外の事でいーろいろあった…(溜息)

今回はトラクションを得られるか、なんてことを事前に書いていた覚えがあるのだけど…

うーんなんだろうなぁ、タイヤの感触も、走行感もなんだか12月の時と違った。なんかこう別物だった。

確かに季節も違うし、路温も違うだろうし…いやそういう事じゃないなと。想像だけれどスピードが違ったせいだと思う。ちなみに、情けないが私はスポーツ走行中にメーターを見る習慣がない。これからは視界に入れる習慣をつけたいなと思っている。一般道運転中は見ているのだから、見られない訳じゃない。習慣にする意識の問題だろうなと。だってさ、今までの速さなら必要感じなかったし…と言い訳をする(笑)

そういう訳でどのぐらいスピードアップしたのかハッキリしないが、コーナーに飛び込んで行く速度が速くなったし、2速でコーナーを立ち上がってから、以前は深く考えずに3速にシフトアップしてしまっていたせいでもあるけれど、レブに当たらない時の方が多かったのに、最後はストレートの真ん中までに「ぴっ」という音を聞くようになっていた。3速に入れても加速している暇はあまりないが、2速のままだと勢いが削がれるし車にも可哀想。(というか、ピッていうくらいにはシフトアップしないと…でタコが視界に入ってた方が)

 

ブレーキングやシフトのアップダウンは状況次第で直感で流れを失わないと思える方を反射的に選ぶ感じになって行った。車の姿勢ができていれば、どっちが速いか遅いかはあるが、手順を変えても辻褄は合わせられる。

それはともかく、タイヤの感触や走行感の違いは、単位時間あたりの移動距離の違いであって、速く走ろうとした時に、ゆっくり走っている時のタイヤの感触に頼っていても仕方がないという事でもあるのかな。

あの移動感覚は非日常への入り口だと改めて思う。スポーツ走行をしていてあれを経験できないのはある種勿体無いのだろうなと、じわりじわりと、帰ってきてから思っている。

オーバルレースはモメンタムレース」

という師匠の言葉(ユイの教科書に載っている。この文言で検索をかけるとトップに上がってくる)をふと思い出した。

うーん…私は人様に説明できるような理解の仕方はできていない。

今回参加前に、オーバル走行とサーキット走行で、速く走るために大事にする事は同じなんだろうか?(私は何を主眼にしていけば良いのだろう?)という事を、本当に「ふと」思ったのだけれど、スクール行くために家の事であれこれ気を取られていて深く考える事なく当日を迎えた。今思えば勿体無いのか。でもあの時考えても実感としてわからなかっただろうな、今そう思う。

 

今だって大してわかってないだろうなとも思う。まだ入り口だ。そして入り口の扉を開けても開けても、まだ先があって、いつも自分は1人で、はるか先にみんながいる様な気がしてしまう。でも遅いけど進んではいる。自分でも遅いと思う。焦ったい。でも諸々すっ飛ばして踏み込むのもなんか違う。時々みんなが当たり前で話題にしない様な事を自分が知らない、という事が起きたりするんだよね。そういうのって仕方ないんだけどね(苦笑)。だから分かって良かった、と思う様にしてる。そもそも私がこういう事を書いても説得力もなければ意味がないのかも知れないけれど、こんなおばさんでも40過ぎてから運転に興味を持ち、最初に行った大手で、悪気はないんだと思うしこちらの出方にも問題はあるのかも知れないが、教え方に内心ある種の腹立たしさというか諦めを覚えた。アンダー地獄を展開する単独サーキット走行のきっかけだった。

その後ユイレーシングスクールに出会って、正面から向き合って説明をしてくれる所で習えば分かって、役に立った事がいっぱいある。だから大した事ができない自覚があっても恥を忍んで書き続けている。

 

なんだろう、間違いなく、今回の参加で走りながらオーバル故の何かを感じたのだが…コーナー毎に速さが積み重なっていく感じ…と思って、先程の「オーバルレースは…」っという言葉で試しに検索をかけて、師匠の文章が上がってきて、読んでなんとなく納得した気もする。基本は同じだけど大事な事が違う。

まだわからない事もいっぱいだけどね。

 


実感として知らなかった事をいくつか実感して、先にワクワクするのかというと、なんかこう、逃げたくはないし続けて行きたいのだけど、恐れじゃなく「畏れ」の様な感覚。

でも走っている時は楽しい。

ホントは自由に走りたい

 次は半年以上先かも…という思いで年度末、春休み、花粉&黄砂、という条件の3月末日、ユイレーシングスクールのトライオーバルスクールに参加してきた。

主にスギ花粉症なのだが、今年はスギ花粉飛散は既にピークアウト。ありがたい。

 

 年度末や年度始めはいつも予定が立たない。異動の時期だから。でもここを逃すと、秋まで行けない可能性がある。

同居の父が仕事を持っている事は以前から書いているけれど、以前は要介護の母がいるので、父が仕事に出る日は私が父に代わって介護をしていた。その母がいよいよ自宅介護が厳しくなり、施設に入所したのが4年ほど前。

その後コロナ禍を経て、父の仕事がだんだん宿泊を伴う様になってきた。コロナ禍でオンラインが一般的になった結果、いろいろあって父が仕事の依頼が以前より遠方から舞い込む様になったのだ。

私は母が入所した事で介護はしなくても良くなったが、父の仕事の時に施設の母に何かがあった場合、連絡が取れて駆けつけられる場所に居ないと施設の人が困ってしまう。

施設にいる意思疎通の難しい高齢者が体調を崩して救急車、となった場合、必ず家族への連絡と了承の元に事が進められる。お任せしてはいるが、そこは家族の責任。

昨年の事だが、意思疎通ができないからわからないが様子がおかしいので救急車で運ぶと言うので、父を車に乗せてその病院へ走り、救命救急の待合で、施設側の担当看護師と5時間待って処置できる異常はなし、となった事がある。看護師も5時間待合で待つ。

そういう時に、父が仕事だったとすると、仕事中は仕事の性格上、基本連絡は取りにくい。趣味の事で私が施設と連絡が取れない、駆けつけられないというのは、施設の方にも母にも父にも申し訳ない。

母の元々の病状が脳梗塞で、それも小さい梗塞が多発している脳血管性の認知症の様なものなので、いつ何が起きてもおかしくない。もうほぼ意思疎通ができないし、私を認識しているかどうかもわからないくらいだ。

そういう事があり、父の仕事は相手先の都合で4月中くらいには年間でスケジュールが決まってしまい、こちらはそこに合わせざるを得ない。

そういうわけで、盆暮れ正月と父の仕事がない3月4月以外は簡単に「車の練習行きます」と言いづらい感じになってしまう。

父は時には1週間のうちに3泊4日で仕事に行って、帰ってきたらその4日間の相手先へのフォローをするという状況になる。週末に洗濯&お食事提供おばさんが居ないと、元気な後期高齢者も厳しい。

なので、周囲や家族の様子を見ながら年中スクールに行ける時を探っていて、目星をつけると捨て銭覚悟でまず宿を押さえて、他の家族の様子も見ながら機会を伺う。

こういうのを説明しようとすると長くなってしまうからここに書くのは好きではないのだけれど、現状はそういうことになる。

年度始め、実は夫が異動があったのだけれど、私ができる事があるわけではないのと、シフトがちょうどありがたい方向に動いたこともあり、行ってこいと送り出してくれた。

 

半円を直線で結んだオーバルコースの一片にもうひとつ浅いコーナーを足した、トライオーバルというおむすび型のコース。これがなかなかチャレンジングで。

今回は安全パイ走行ではなく、一応チャレンジ走行することができたんじゃないかな。

できるはずのことをやってない、という意味で「サボっちゃダメだよ」的な事は随分前から時折師匠から言われてきてる。考えるな、考えすぎ、とも。

わかる、けどわからない。禅問答の様だけど、本当にそうだった。言いたい事はわかるんだけど、どうすれば良いかがわからない、でも自分で見つけないといけない。そんな感じ。

過去に一度だけ、タガが外れて走れた事がある。

るーさんを入手しあまり間もない頃、幸田サーキットでユイのスクールを開催して下さった時だった。

コース上で常連さんの86(諸般の事情により借り物街乗り用?)が迫ってくる。

それ以前にフジのショートコースでユイのスクールレースがあった時に、最終コーナーの立ち上がりで速い車に譲ったら、譲り方がいけなかったので、師匠が一生懸命説教して下さった。抜かれる方が進路をイン側に変える場所ではなかった。そしてあまり簡単に譲ってはいけない場面もある様な気もした。

競争している中では走りたいなら競争に参加するべきだ。そうでないと危ない。

そういうことがあった後だったので、ここでも簡単に譲ったらいけない気もして、コースの抜きどころとしてはバックストレートなんだけれど、そこを立ち上がって、思い切り踏み込んでみた。当然るーさんは高回転モードに入ってギュン加速。

あれ?

追いつかれない、抜かれない。

実はその人は普段ポルシェ乗りだった。私はどうしても「人」の方を見てしまうので、その人が今日は借り物の86であることを忘れていた。

そもそもその86がどういう加速をするかをあまり理解していなかったので、次の週も同じことになって流石にあれ?もしかして…そういうこと?

瞬発力はるーさんの方が上なので、そこで逃げ切ると、私が失敗しない限り延々逃げ続ける事になる。譲ったらいけないのかな、これがどこまで続くのかな…と思いながら、これこの状況を譲って逃げたらまた何か一言あるかも…って思いつつ時間いっぱい6周かそのくらい逃げ切った。

それ以降タイムが一気に数秒上がった。

そのストレートはど直線ではなく、若干ステアリングを切った状態で最後のブレーキングでそのままタイトコーナーに入るし、エスケープもない。実はその時ブレーキホース劣化の初期症状が出ていて(後でわかった)、奥は効くけどブレーキの立ち上がりが左右でずれる。という事はノーズがうねるというか左右に振れるというか、そんな感じが出始めていた。しかしそれ(ホース劣化)を当時は知らなかった。

逃げてるから加速はしっかり。若干ステアリング切ってるのもあって、フロントが振れるのは自分が下手なんだと思ってとにかく丁寧に作業をして、慌てている時ほど丁寧に作業をする…ことに集中。抜かれるのは自分が下手だったんだから仕方ないし、そしたら気が楽になるわくらいで(笑)それが逃げ切れた要因のひとつかな。

でもあれ以来、ちょっと車の性能が恐ろしくもあった。自分の底力を上げないと、安易にひょいと踏んだり回したり雑なことをすると、車から叱られそうだと、どこかで思っていた。

後ろから迫ってくる車の性能の想像がつかないのは自分の知識不足。だって借り物だって知っていたんだから想像できたはず。

本当に私いろんなものが足りないんだって思った日だった。

あの日以来、ずっとどこかにあったつっかい棒をどけるのに、かなり時間がかかった。どうやったらどけられるか、つっかい棒があることも正直あんまりわかっていなかったかもしれない。

 

ただ、あの時の楽しさは覚えている。逃げてるのが楽しいのじゃなく、なんかこう車とのやりとりが自由で楽しかった。

今回のスクールの最後の2時間位があの時の感覚に近かった。

そして、何年もずっと基礎を考えてたから、考えなくても自分が追い込まれた状況で反射的にできるだけの事をして、その評価も都度自分なりにしていたと思う。

これが周囲と比較してどうなのかは、今ひとつピンとこない。うまくいけば追いつかれない。考えて走ると後ろが近づいてくる。失敗するとやはり後続との距離が縮まる、そのくらい。

もっと今見えていないものを見ないといけないと思った。まだまだ詰めどころ踏める所ががいっぱいある。

 

ただ、車とのやりとりが楽しい。今までで一番楽しかった気がする。やっと自由に走れる感じになってきた。でもここまで待って良かった気もしている。基礎力の間が詰まってないとどこか不安な気もしていたから。

なんだかホッとした、今までが報われた週末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンダーステア祭の後で

 先日、運転を習う前(もう9年くらい前になってしまうが)、タイヤをワンセット棒に振ったことがある、と書いた。じゃあ、それはなんだったのか、という事を以前考えた事がある。前にも書こうとした事があったと思うが改めて。

タイヤが7000キロでツルツルになったのはなぜかというと、おそらくアンダーステア祭りだったから。滑ればグリップ状態よりも減る。消しゴムが減るイメージ。そしてスピンはしていないのでオーバーステアではなくアンダーだったという事に。(当時の車はFR)

個人的に出した結論は、アンダー祭りになった理由は、コーナリングの手順や方法もそうだけどそれ以前の問題。笑っちゃうのだが、単なるオーバースピード。

主にアンダーが出ていた場所はヘアピンコーナーだった。そのコースは長いストレートもあるけれどヘアピンが2つに更に低速の回り込むコーナー…人によってはあそこはバイクの方が…っていう人もいるコース。

ユイで運転を習ってしばらくしてから、もう一度考えてみて、その頃私はヘアピンとタイトコーナーをオーバースピードで駆け抜けようとしていたのだと考えた。

もちろんタイトコーナーをできるだけ速く走る必要はあるのだけれど、物理的に不可能な速度で走ろうとすれば当然タイヤが悲鳴を上げる。そもそもツッコミすぎでリヤ荷重が抜け気味状態でステアリングを回しているFRの車のフロントでアンダーが出る。コースアウトを避ける為にスロットルを閉じるがもうスライド状態に入っている。スロットルを閉じているので駆動もかからず(かけても無理やと思う)四輪で滑り全部のタイヤが減る…ということだったのではないだろうか。

徒労感溢れる話だが(笑)、その頃もっと徒労する作業もしていた。

そのコースはフリー走行枠がひと枠1時間ある。ほぼほぼ走っているとすると40周以上は走れた。

当時スマホに、走行中の速度と加減速GとGPSでの位置を記録できるアプリを入れていて、その記録で各コーナーの入り口と出口での速度を拾ってみたことがある。走行タイムの記録と照らし合わせてみると…

タイトコーナーでの速度は、全体のタイムとはびっくりするほど無関係。あんなにいろいろやってみてたのに。

タイムが良かった時は、必ずストレートエンドの速度が出ていた時だった。

 

あくまでも、その時の私の走行がそうだった、という事でしかなく、個人的な考えなのだけれど、当時私はこうなった理由がわからなくて、自分の自己流の限界を感じた。

そもそもわかってない自覚はあったので、これより前に大手メーカーのスクールに行ったのだけれど、その時はミニサーキットを走ってもアンダー祭りにもならず。なんかとりあえず走れてるー。最初に同乗走行でお手本を見せてもらうのだけど、志願して居残り同乗走行追加で、とにかくその通りに走ってみただけだった。

指導員も、おばさんにしては?思ったより走れてるから驚いた的な反応で特別指導もなく…で結局指針になるものは得られず、コースが変わったらアンダー祭り。

で、これは求めているものではないなあということで、しっかり説明をしてくれそうなユイの門を叩いて今に至る。

 

トップカテゴリーのレースを見ていても思うけれど、ヘアピンやタイトコーナーはやっぱり物理的な限界の速度があって、それ以上を稼ごうとしても慣性に負けて失速するだけ。悪くすればコースアウトになる。

そう速くもないレベルのタイムの領域だからかもしれないけれど、タイトコーナーで悪あがきをして失速する分はストレートの頭からしっかり加速できたらその分で無かった事になってしまう。頑張りすぎて損するのは、必要以上にすり減るタイヤと余分なGがかかる車と疲れた私。

頑張りどころが違った。ストレートとタイトコーナーでは同じ時間で損得の幅が段違いなのだ。

それを考えてから、サーキットを何度か走ったが、とにかくストレートでしっかり踏む為にどうするかを考えるようになった。タイトコーナーはきちんとグリップを失わない。まずはそこからで。その方法で走ったコースはどれも自分なりのベストタイムが出ていた。

とにかくそのタイムに対する各コーナーの影響の仕方と、速く走らなきゃ、が引き起こす勘違いのオーバースピードが、ショックな程印象に残っている。

 

ユイのオーバルは結構大きくて、 高い速度でコーナリングができる。こんな大きな180度ターンは小さなサーキットではできない気がする。

習った高速ターンインの方法はスズカの1コーナーや130Rでも使えた。イーブンスロットルや車が走る物理は、実践で使うには時間をかけて各所で実験と結果検証を重ねて自分で理解を進めようとすれば公道でもどこでも何かがある。物が動く時は物理から逃れられないから。

時折記事などの見出しで見るハウツー的なドライビングテクニックは、大元の理由を汲み取って自分のケースに置き換えて実践しないと役に立てるのが難しいと考えるようになった。

ユイでオーバルを走ると、他の場所で大丈夫だと思っていた感じのターンインをしても出口で加速できないことがある、立ち上がりの姿勢がなかなか直進体勢に戻らない。ロールが消えない。

タイヤの感触としてはグリップが足りない、タイヤが空回りしそうな感触、ゴロゴロした音と振動、加速の鈍さ。踏んだ分だけ来ない。車が進みたがらない。あの感触はホントに疲れる。徒労感がある。いやだ。

理由がわかって修正すると驚くほど立ち上がりが楽になる。楽しい。

だからここで練習すると他が楽になった。

オーバルのコーナー出口は入り口との答え合わせなんだと思っている。入り口の作業が間違っているから出口で引っかかる。

 

さて、次回参加で私めはちゃんとトラクションを得て逃がさない走りができるんだろうか。

言うは易し行うは難し。とりあえず今日は許容範囲だけど腰と膝が痛い(泣)し地味に口内炎(笑)。なんだよー人がせっかく頑張ろうと思ってるのにさ(笑)

負けるもんかーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

免許返納に想う/運転と日常に足して助かった視点

 私はあと何年車を運転するだろうか。世の中で免許返納が叫ばれ始めて何年か経ったような気がするが、叫ばれ方も捉えられ方も、ちょっとなんかズレてるよな、という気がしている。

まず、日頃路上で出会う車で、運転していてこの車大丈夫かと思う時はあるが、特にお年寄りだけが多い訳ではない。

先日高齢者マークをつけた軽トラックの後ろで信号待ち。信号の変わった時の出足のタイミングは確かにゆっくりだし、速度も遅め。でも、運転はしっかりしてた。

そして、そもそも、お年寄りの運転が危ないと言うのであれば、ちゃんとした「運転教室」の前に「返納」が声高で、返納予備軍の選定的な免許更新前の講習なのだろうか?返納前の家族から聞いた内容でしかないが。

行動を変えさせる努力よりも、運転を辞めさせるとか、取り締まるとか懲罰的な対処の方に行ってしまう。

人の行動を変えさせるのはとても難しいし、成果が見えづらいからなのかなあ。それとも一般小市民の思考レベルはバカにされて、底辺に合わせろ的な方法(懲罰)に行くのか。

まあ…かくいう我が家の高齢者も、事故やらかした直後にあっさり運転を辞めてしまったのだから、偉そうに言えないのだが。

年齢を重ねると、なのか、元々の本人の傾向なのか、結論を早く出したがる。独りで決めたがる。

私の対応もまずかったのか…?

 

ただ我が家の場合本人の返納決意に異論を唱えなかったのは、本人が判断した理由(生理的なもので変えづらいと本人は言う)も最もだったというのもあるが、乗らなきゃ事故らないという事なかれ主義というよりは、返納以前の数年、日頃から運転には良くない様な傾向をいくつか見てとっていて、どうもそこの考え方の改善が難しそうだなと判断したのもある。

日頃から性格的な事でも「もうこの歳では変えられない」と話すことがだんだん増えていた。

事故後の会話やそれ以前の日常のやりとりの中で、改善する方法というよりもなぜそこに改善が必要なのかという所を理解してもらえなさそうであった。じゃあそれは一体どういう事なのか。

 

「物理からは逃れられない。」これは運転の師匠からは何度も聞いた言葉だけれど、車の運転だけではなくて、物が動く時、物がそこに在るだけでも物理からは逃れられないのだろうなと思う。

でも人は運転をしている時、作業をする時に、自分の都合の良い様に「こうなってくれ!」という欲望で作業をする時がある。

でも、それは突き放した言い方をすると物理的に意味は成さない。例えば急いていたとして、たまたま偶然が重なったとか、元々の作業が遅かったので多少速くなる事はあっても。

速くしたければ物理的に速くする判断と方法での作業が必要。

人の気持ちや、ぱっと見速くなりそうな方法が実は物理的には意味がない、物理と気持ちがシンクロしない。(悲しい現実で、私は運転を習う前の我流の時にタイヤをワンセット無駄にした…。)

 

我が家の高齢者は昨年傘寿を迎えたが有難い事に仕事を持っている。なんとか依頼相手の為になりたいと日々頑張っているが、元来止まっていられないマグロ的人間で、予定の組み方もタイト。そして例年最初の予想より抱えるものが増える傾向にある。常にバタバタとしている。

そして仕事柄、対人は非常に丁寧ではあるが、対物となると、最後の最後にパッと手を離して物を放り出す様な扱い方なので、持ち物が荒れやすい。

タスクが想定を上回る、急ぐ、最後に手を離す。

運転操作にはマイナスになる点が幾つか。

運転だけの問題ではないので、その後も嫌がられているかも知れないがスケジュール組等心配している事は伝えている。

 

しかし、仕事を続ける為にも無用な心配を増やさない様運転を辞めた人を見ていて、気づいた事がある。

自分で運転をしないということは、自分以外の人の都合に合わせて予定を組む必要がある。

送り迎えの人の都合、交通機関の都合。

本人が急いだって大して変わらない。本人それに合わせて予定を組んで以前よりも遠くまで全国を移動。慣れてしまえばそれが当たり前。

それを前向きにこなしている姿を見ていて思うのだ。車を運転している時だって、自分の都合に合うことなんて大して無い。他の車の都合や交通量の都合、交通ルールの都合。本質的には同じ事。

もう返納して何年も経つけれど、皮肉な物だ。この歳では無理と言っていた、自分を変えること。やったらできてるやん。

 この人の場合は、そんなことを内心考えながら斜に構えて見ている意地の悪い家族がいるから(笑)いざという時に助け舟が出るし、何年あるかわからんけど、実証実験的な市の無料バスもできた。歩く距離も車に乗っていた頃より増えていると思う。結果返納も良かったかなと思うが。

日々免許返納が叫ばれる中、車がないと日常に困る環境の高齢者が必死に車に乗っているのを離れた所で心配している家族と当人の心境は想像すると切ない。

私は大して理系ができる人間だとは思っていない。計算も苦手だし、空間認識もイマイチ。車庫入れも上手くない。ひと昔前の言い方?で言う文系だけど、文系なりの理解方法で物理的なイメージを持つように努めてきた。

それが結局「運転はなんでも全て自分の思い通りになる物ではないが、考えれば最善の策は取れる」という基本的な考え方につながっている。

もっと物理的思考が働く人の視野や知恵には及ばないのだろうが、自身の日々の改善に繋がっている事は間違いない。何よりも交通を物理で捉えようとすると、自分にしろ相手のにしろ感情的になっても仕方がないという事で余計な感情を排除できるので、完全に排除できないにしろ少し気が楽だ。

 

高齢者の足はあるに越した事はないなあとは思うが、高齢者に限らず、運転に限らず「本質を教える」場の必要性とその維持と教える伝える、または教わる側が理解する事とその意欲を掻き立てる、そういう事の難しさを時々想う。

次のスクール参加と脱デジャヴを目論む

 昨日は暖かくて今日は寒い。もしくはその逆。そんなことの繰り返しにも少し慣れてきた。

暖冬のせいで今年はスギ花粉のピークがずれそうだ。ずれてくれ!黄砂の時期とも少しずれそうで、ダブルパンチ(になると酷く目が痒い)にも今のところ見舞われた気がしない。ありがたい、このまま花粉が飛びきって終わってほしい。

 昨年末のクルマのスクール参加時にしみじみ思ったのだが、年間の参加回数を増やしたい。ここまで参加回数を重ねてきても、年1以下になると、進歩を目指していても、忘れた事を取り戻す事で1日の大半を費やしてしまう。それは自分自身だけで無く、クルマやタイヤも同じことな気がする。

初参加から9年が経とうとしている。最初の3年で通い詰め、周囲はやる気な母さんに見えたかも知れないが、自身の考えとしては、しばらくいけなくなるが、この先10年以上は車を変えるチャンスはなくなる予感がして、実力以上確定のルーテシア3RS入手(6年前くらいになるのかな)。残念な事に予感が的中。いや的中以上でこの数年いろいろあった。体調を崩したりして、当初はもう車を運転できなくなるかもしれないと思った時期もある。

体の回復を図りながら、車の維持の為もあって走りに行くよりも前にやっておいた方が良いことを優先したり、コロナ以来家族にもいろいろ大変なことも起きて、体調は戻りつつあったが正直運転の練習に行きたいと言いづらい環境下だったこともあって(本当にみんなよく頑張ったし今も頑張ってるよ)、特に昨年一昨年はるーさん、ルーテシア3RSの出番が少なかった。雨の日にできるだけ乗らない、ようにもしてたかな。例のバネ折れも経験したので。

自分でもびっくりだけれど、昨年末時点で1年で1500キロしか走っていなかった!自分の相棒の車にそんなに乗っていなかった事なんて無かったと思う。

 

1年1500キロは自分でも少なすぎて驚いたが、乗ってない自覚はあったので、時々少しは用事以外で走らせて、近距離だがあえて高速道路で移動して流したり、違反や迷惑をかけない場所と方法を考えて、高回転域まで回したり、ブレーキパッドを簡易清掃(平らな直線で均一なブレーキを意識)するとか、オイルは距離が出てなくてもったいなくても期間でも交換を検討する、ということだけはしてきた。

そのせいかどうかはわからないが、バッテリーが上がるとか、走って調子が悪いということは無かったし、昨年の参加直前に車検だったのもあって、ノーマークだったブレーキパッドも交換してもらえたし、他に特に目立った異常がないであろうという安心感も持てた。

が、とにかくタイヤが硬かったのと、スポーツ走行にはるーさんもいきなりは辛かったかな。

まあ、元々能力の上の方が使えてない私なら問題は無かったと思うが、車がほぐれるのに時間をかけすぎだったのだと、終わってみて考えた。

自分自身の脳内も、この3年ほどの間の参加で、同じことの繰り返しをしている部分があるのがわかった。参加時に何度かものすごくデジャヴ感を感じて、後で思い返すと、同じところで足踏みしていたのだと分かった。理解度はデジャヴの度に少しは深まっているような気がしてそこは救われるが、第三者的にみようとすれば、起きている現象は同じことを繰り返している。

ルーテシア3RSでトラクションを得るにはのんびりしていてはダメだ。それではただの2リッターのNAエンジンのコンパクトハッチというだけの走りになってしまうのじゃないか?それは公道ではあるべき姿だけれど。

昨年の参加終了間際に、ようやく実感としてそういうある種の危機感が生まれた。頭では考えてはいたし、デジャヴしながら毎回うっすら感じてはいたものの実感としてハッキリ思ったのは昨年だった気がする。

果たして私は3RSの本領発揮させられるのか、それがやりたいのか…

相変わらずそこの疑問は消えてはいないが、楽しさも消えなくなったのは事実。

人間やった反省より、やらなかったことの後悔の方が引きずる。それは18から20歳に経験済み。練習できる場があって、参加できるならやってみれば後悔も少なく、ホントの所がわかるやろ(笑)

今年は最低2回は参加しようと思う。金銭的、立場的に2回ぐらいかな…(苦笑)

 

走り方はホント10年前と変わったと思う。それは相棒のタイヤが物語っている。スクール行っても減らない荒れない。

いろんな考え方や走り方があって、スポーツ走行して荒れないのは良いとして減らなさすぎるのはいかがなものかとも自分で思うのだが…

それだけ3RSの能力が高くて私の走りなどへでもないわ、という事でもあるのだろうな。

まあでも、あまり資金に余裕もないことであるし、我流でひとりでサーキット行ってた頃にアンダー出しすぎて7000キロでミシュランタイヤを使い切った黒歴史を胸に、タイヤを大事にしつつ少しでも速くなるよう精進して行こうと思う。あの時のことは思い返す度に勿体無いと思う。スクール行くようになって、少なくともあの頃から遅くなんてなってないよ。無理しなくても速く走れそうだよ。クルマが変わったし、ひとりで走ってた孤独を思い出すのが哀しいからそのサーキット行ってないから数字では結果出せないけど。

 

 

 

 

プチ峠でるーさんぽ

 なんとか時間を作って、週末の朝にルーテシアのるーさんとお散歩。

がしかし。最近自宅で小さな土木作業に取り組んでいるせいか、はたまた準備運動が足らなかったせいか?右足がつりそうで、途中の田舎の農産物販売所➕αの駐車場に入る。8:30開店の販売所は人生のベテランでごった返していた。

せっかくなので、ローカルなお菓子を少々購入して、水分補給とストレッチをして、お散歩再開。

途中までは、わりと皆が知っている農道を行き、その先は、最近気に入っている道を行く。

念の為。飛ばすんじゃなく。

こういう道って、ラリーみたいな競技は別として、すごく速く走ろうとしても楽しくないような気がするんだよな。

狭いしうねっているし、すれ違うとすると結構地元の人の確率が高い。時々通らせていただきたいのもあって、何事も無くても失礼があってはいけない気がする。

こういう下りを地に足つけて走れているか、だけで十分楽しい。

 

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アップダウンと適度なワインディング。

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スマホのマップをナビ代わりにするのに取り付けているホルダーにスマホを取り付けると、アングルがちょっと左寄りにはなるが走行動画が撮れる。

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操作の様子が映らないし、スマホのブレ補正はスンバラしいがホルダーがカタカタいう音がすごく入るので音声は宜しくない…ので運転の振り返りの用途には使えないが、景色を撮りたいなら十分だ。走ってない時に撮影スタートさせておけば大丈夫。後で必要な所をスクショで抜いたのが上の道路の画像。

場所はナイショ。

今やストリート◯ューで現地画像見れるし、マップに書き込みができる時代なので、あまり外から来た人が通らない方が無難な場所でも、撮影スポットなど知れ渡ってしまう例もあって、良し悪し。とはいえ、知ってる人は知ってるだろうな。日頃から気にしていると、ふとした時に道って見つかるもんだね(笑)

時間がないので、ただただ1時間ほど走って景色を楽しんだ後帰宅。時間が取れれば休憩とか、歩く方の散歩も組み合わせたいが…なかなか…。(歩く方は自宅近辺で少しずつ。)

昨年よりは今年の方がるーさん稼働率は上がっている。良いことだ。

るーさん、今年もよろしくお願いします。

 

早春の花が…

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昨日から首都圏に雪が降る降ると天気予報で言ってます。この付近は雨で済みそうです。

レーダー予想を見るに首都圏だけでも無さそうですが…

しかし、全般的には暖冬ということで、確かに早春の花が早いです。

近隣の山や畑の梅がしっかり咲いてますし、我が家もクリスマスローズ1号花発見で、水仙は咲き始めてしばらく経ちます。

この辺りは国道沿いに菜花が植えられているところもあるのですが、花が若干早めですね。

こりゃ桜も早そうですが、例年春先に雪なんてことも時々起こるので、桜に雪、なんて珍しい事も起きるかも?

 昨日花苗や土を少々買ってきました。

数年前に体調を崩して以来少しほったらかしてたところを整備しようと企んでいます。あったかい日が多い時にやった方が良いかなと。

庭仕事好きなんですが、無理は禁物。ほどほどに頑張ろうと思います。