るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

意見の違い/人それぞれ/説明してくれれば

 先日、街道沿いで珍しくるーさんの同型機同色を見かけました。嬉しい!

 

 大雨が各地を襲っていますが、皆さん大丈夫でしょうかお気をつけて…

東海豪雨の時、雨が降り始める前の外の空気がものすごく重いと感じた覚えがあります。その時あんな事になるとは思っていませんでしたが、とにかく気味が悪いくらい重かった記憶があります。それだけ水蒸気を含んでいたという事なんでしょうか…。

 

 この何ヶ月か、いや、もっとかも知れませんが、近年、人間が試されてるなあ…と思うことが多くなりました。同時に、自分自身が育ってきた昭和の半分くらいは、何かの猶予期間みたいに平和な時期だったのかなあ?とも思う時があります。今って、感染症もそうですが、何かと、あちらを立てればこちらが立たず、というかなかなかみんなが同意するひとつの結論が出しにくい事も多いし、天候含めなにかと不安定、極端。

意見を出しあって、考えて、意見の違いを乗り越えて、みんなで集団を運営するという事が必要なんだと思いますが…それがとても難しい事だというのを改めて感じます。

災害時とか本当に個人も行政も判断難しい問題が山積だと思います。本当に大変だと思う。

最近「命を守る方法を自分で判断して」的な呼びかけが増えましたが、あれは間違いではないと思うようになりました。最後は自分で考えないとダメなんだろうなと。

 

 意見の違いといえば、車のことでいえば、車そのもの、装備など、好みの違いはいろいろ。

運転に関しても、(私自身時々書こうとしてうまく伝わっているのか、非常に自分の理解度と表現力に不安を感じつついますが)細かく考えていこうとすると、本来はとても言葉で表現できないなあと思っています。(表現するとすると、非常に細かな説明とか、その理由とか根拠とかを丁寧に説明する必要が出てくると、本来考えていて、そこに自分の立場と能力に限界を覚えているので葛藤が常にある)

結局、このご時世では特に文面上のやりとりになる事も多くて、内容によっては同じ文面から思い描くことが相手と同じになるかどうかはすごくあやふやだと考えています。

それを防ごうとすると、運転であれば物理学的な表現になり(普遍的だから)、読む方がその物理的現象を学問的に理解解釈して、目の前の現実に照らして自分自身で考える必要が出てきます。

難しそうだよね(笑)

元々簡単だとは正直思ってないけれど…

ただ、物理って、日常常に影響を受けて生活しているので、その気になれば自称文系女子で生きてきたオカン(私)でも、諦めなければイメージくらいは断片的にできてくるし、それだけでも例えば車なら運転がしやすくなり、少々の事では慌てなくなり、判断の助けになり、自分の行動に意思が伴ってくる訳で、それが相乗効果で運転力の向上にプラスに転じるんです。

 車のことはわからない、と自信がないから判断できない、判断が遅れる…考えることから逃避する事がマイナスの循環を生みます。その負の循環を中途半端に引きずったまま、でも好きだからとスポーツ走行に足を踏み入れて、自損や事故には至りませんでしたが、損もしたし、恥ずかしい思い出もあるし、新品タイヤを7000kmで使い切ったりしたこともあります。

 最初から我流だった訳でもないのですが、とにかく納得して習える環境にたどり着くまでが大変で、なんでこんなに大変なのかに納得が行かないので、そういう自分の経験を書いていた事もあります。

それも結局は受け取り方によっては自分がそこかしこでお世話になった方々に誤解を受けるかもしれないという不安も抱えつつです。

他にもいろんな走り方を提案する方々がいる事も知らない訳ではないですし、それを否定する材料を出せるほど自分は今の方向をわかっているは思いませんし、実行もできてませんが…

私自身は自分がユイで教わってきたイーブンスロットルが非常に有益な考え方だと思うし、車や自分や一緒に走っている人を大事にできると思います。車が作り出すエネルギーを無駄にしないし、上手く使えば凄く速いと思っています。

イーブンスロットルは、検索で出てくる説明がいくつかありますが、間違えているものもありました。少なくともスロットル一定ではないですし、一言で実行に結びつく説明は難しい。説明する立場にもありません。個人的には、方向性をしっかり理解して練習していく分には、安全に速さを追求できるが、練習場所と、教えて見守る人の存在が必要かなと思っているので、なおさらそうですね。

そういう環境でそういう方向で練習すると、まず最初に危険が減り、次にスムーズになり、最後に速さへの道筋が見え始める。到達度合いや道筋や感想は人それぞれですが。

危険が減ってスムーズになるだけでも習った甲斐があるというものです。私はそう思いました。その気になればちょっとした事で、運転も生活も、考え方捉え方ひとつで不安が随分と解消するのになあ…速さへの希望がかなったり、自分の能力に納得が行ったり、納得すればさらなる進歩があったりするのにな。

もうちょっと多くの人が、運転だとか科学だとかそういう難しそうに見える事に取っ付いてみようと思っちゃえばいいのになと日々思っています。

 

この自粛疲れと言われる世の中ですが、私考えてみたら、ずっと看病だの介護だのに関わってきて、これが自粛なら私の半生ずっと自粛やなとそんな寂しかったかしらんと考えてしまうのだけど…

なんかこうのらりくらりとした説明ばかりをされている状況を見て、日本人ってそんなに理解力ないと思われてる?(細かい説明するとワーワー対案なき反対ばかりする人たちも一部いるから、そっち見てるとそうなるんか?…。)となんだか複雑です。そもそも色々と想定不足と方向性が違うという意見もあるし…確かにねえ…。

誰が悪い、よりもどうすれば良いか、だし(責め立てるだけでは互いに守りに入り何も進まず)、なによりも、今は自分が罹らない事が一番大事やと思うんだけどな。手洗いうがい、無理しない、健康に気をつける、しかないやん。

かかるときは気をつけててもあるし、みんなが防護服着るわけにもいかんし(そんなんなったらワシ汗疹でやばい事なる。着なきゃいかん医療従事者等の方は本当に本当に大変だと思います)

抗酸菌罹患歴から思うに、コロナに関わらず、感染症って本当に厄介です。

コロナの場合治療終了後の軽い不具合もメディアでは「後遺症」って呼ばれてるけどさ、私の抗酸菌の時なんて完全に「不定愁訴」扱いだし。感染の治療中も薬も専用のないから風邪に使われる抗生剤てんこ盛りで2ヶ月。肺感染なら入院3ヶ月点滴三昧が普通らしいですね。

陰性判定からは、通院もなく、ほぼほぼ自助努力でひとつずつ残った体の不具合潰してきてますよ(笑)

心が強くなりましたわ(笑)

大丈夫だから、そういうもんだと思うから、みんな頑張ろう。