るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

返納その後は歩く歩く!

 親が運転を辞めて3ヶ月が過ぎました。

免許証も確か昨年中に返納してしまいました。

窓口で免許証を持ってました証みたいなの(なんでしたっけ?名前)を発行するかどうか聞かれたらしく、持っているメリットは何ですかと聞いてみたら、いくつか言われたが、本人にとっては別にメリットないらしく、要らんと言って来たそうです。(証明書類としてはマイナンバーカード持っているので、それで足りる)

まあそもそも、ただただ高齢ドライバーが悪者みたいな空気感満載になってしまっているのが報道の現状の様な気がします。父が聞いて来たメリットがそういうのを上回る返納の動機にはならんでしょうから、かえって返納する方のご気分を害して無ければ良いのですが…。

変な割引よりも高齢者の足の充実の方がありがたいんです。

 

それで、返納する時からわかっていたことなのですが、とにかく片田舎の公共交通機関の事情はひどいですね。我が家はまだ徒歩圏内に路線があるだけマシな方です。

親が地元で使っている交通機関は私鉄と市の無料バス(マイクロバスです)、私鉄系の路線バスですが、まず市の無料バスは土日はないです。

路線バス、無料バス共に1時間から2時間に1本か、通勤時間の合間だともっとひどいし。

本来その路線は私鉄の駅と電車のないところを補っているはずなのに、我が地元駅に特急や準急が着いた1分後に駅のロータリーを発車するというダイヤ。(ありえないヨ!)

その駅が路線の終端端に近く、我が家の近所に終点がある路線は、終点では10分も15分も待機時間があるというのに!その駅で後3分待てば電車乗って来た人が乗れる。3分待っても影響があるとは思えないんです。

実際どうなのかわからないけれども、補助金ありきの運営で営業努力をする気ないんじゃないのかと言われても仕方がないと思います。

新興住宅地のど真ん中に終点があるんですよ。

毎日駅のロータリーが学生の送り迎えの車でごった返すんですよ。

工夫次第で利用者倍増だと思うんですけどね!

 

まあそんな現状で、それでも親はネットなどでダイヤ、パソコンのマップで経路を調べてルートを組み、間で30分の徒歩を入れたりしながら、少ないものを駆使して、我々が「はぁ…送って行こうか?」と言うこともあるような所へも自力で行っています。

正直頭が下がります。我々より歩いてますよ。

結局世話になりたくない、送ってもらうには申し訳ない。年取っても自立と自由が活力を生みます。

本人が70近くなって住み始めた所なので、車でしか通った事がないところは、歩いたりすると新しくわかる事があって面白いんだとか。

ただ、見ていて、やはり歩き方に年齢を感じるし、行く時と帰ってきた時では歩き方が結構違う(筋肉疲労だと思う)、というような様子を見ていると、体は消耗品なんだから…徐々に移動距離を増やしていけば、筋肉は歳をとってからでも裏切りませんよと言いたくなりましたというか言葉は選びましたが、伝える努力はしています。

ただ、まだまだ歩けているうちに返納したのは、ある意味正解だったねと話しています。

 

 

 しかし。あれだけ運転免許の返納を呼びかけ、報道は高齢ドライバーが危ないと言わんばかりの報道の一方で、果たして免許を返納する方のその後の移動を、どれだけの人が真剣に考えているのだろうかと思います。私は公の職業ではないので、できることは父の助けだけですね。

 

 父を見ていて思うのですが、本人が返納を考えた理由もよくわかりますし状況からすればある意味賢明だと思いますが、それだけその後の状況に適応できるなら、運転の仕方をもう一度考え直しても適応できたのでは?という所なのですよね。免許の更新の際の高齢ドライバー講習はそういう意味では聞いた話ではあるけれど役に立っていない様に思います。高齢者教習の教習所の先生も困ると思いますよ。目の前の年寄りが足が無くなったら困ることは知ってるわけですし、諸々考えるとあまり厳しくするわけにも…。

 

この話に直接関係なく聞こえるかもしれませんが…外国は知りませんが、日本では、学生の頃から、決まっているからこうしなさい的な教え方が多くて、なぜそれが決まっているのかを教えている方もわかっていない、ということがよくあって、それが例えばルールを守らない原因になっていると思う事があります。現場にルールがあっていないことがよくありますしね(近年学校では意味のない校則を見直す動きが広がりつつあるらしいです)。

根本の理由(理屈)があって、それに沿って方法を考えるべきなんだろうけど、根本を教えずにハウツーばかりが広まって、適材適所が出来なくなって行くんですよね。

もっと考えることや工夫することの喜びを知っている人を育てないとダメなんじゃないかと思ったりします。そういう人をもっと活かしていくことができれば、そうすれば運転に限らずもっとみんな老若男女活きると思います。理想論かなあ。できるところが出て来てると思うんだけど…

 

 

 身体の老化は、確かに年齢にある程度比例している部分はあると思います。しかし、運転に不向きになる理由は果たして身体機能の衰えだろうか?今の車はそうとも言い切れないのではないだろうか。

身体機能というよりも、認知能力、判断能力、感情のコントロール、善悪の判断、交通ルールや車に対する理解…そういうものの総合なんじゃないだろうか。そして自分を冷静に見る観察力。

自分自身も50を過ぎて、人や物のの名前が思い出せない、痛いところが増えたりしてますが、ショックなのは根気が減って来た感覚ですね。つい深く考えずに、全てをみようとせずに経験上の記憶に頼って早く判断をしようとしている自分に気がつく事があります。

実はそういうところが「老害」へと加速する一助なのかもしれない…と日々「ダルい」50代を感じながら、無理しない程度に足掻いています。