るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

夏はこれからなのに秋を想う/次回のオーバルはどうする?

 大体、7月の始まりは例年暑い様な気がする。これから夏が来るぞ、覚悟しとけよと言わんばかりに。にしても暑すぎた気がする。

ツバメのヒナの小さい子が落鳥。今回は脱落者が出てしまった。親も進歩してきてたが間に合わず。加えて気候がね…キツかったね、頑張ってまた産まれておいでと、咲き始めたひまわりの近くに埋めてやった。

 いつも、夏の始めに思うのが「早く秋が来ないかな」。昆虫などの夏の生き物からすれば「俺らの寿命短うすなや!」って怒られるんだろうな(笑)

まずはあとひと月ちょっと、お盆までを一区切り、というつもりで頑張ろう。

 

るーさんは現在梅雨休み中(あけちゃったけど)。用事はヴイッツに出てもらってるけれども、先日の様な暑い日が続くと、買い物も近所のスーパーに自転車でとなったりする。別に車は大丈夫なんだけど、近所なら車で行くより自転車の方がいい。車だと車が冷える前に現地に着いて、帰りも同じこと。車からしたら冷やし損状態。エアコンつけた意味がないなら自転車でオープンエアで良いじゃないか。5分程度のことだから。

そんなふうに過ごしながら、いくつもの野望を抱いている。実現可能なものから、そうでもないものまで。

その一つは次のオーバルスクール参加は(いつにするかはまだわからんけど)どんな風に楽しむか。

その時にふと思うのだけど、雨だから、暑いから、すごく寒いから車に良くないのかとか、そもそもスポーツ走行は車に良くない(車に無理をさせる)ことなのか、というのは、自分も含め、なんとなく誤解が含まれている気がする。

夏は、私自身が無理(笑)。ただそれだけ。

 

無論、無茶な運転、車の立場を無視した運転をすれば車にとっては負担だし、必要な手入れやメンテナンスを無視するのも車にとっては良くないと思う。

雨の日にスポーツ走行をするのは、雨の程度やその車による様な気もするので、自分の車を理解しないといけないと思うけれど、日常生活を前提とした車は雨の日に走らせられないということもないので、雨の日に走ったら、雨があがったら、ひと通り走らせて乾かしてやりたい気がする。

寒い日はじわじわゆっくり動かし始めたい。

 

もし少しスポーツしただけで壊れてしまうとしたら、それはスポーツしたからではなく、車そのものに壊れそうな要因があったとか、車の能力以上の事をさせたとか、操作に原因があったとか、そういう理由が大きいのじゃないかなあと思う。

 

ただ、素人はそこを見極めるのが難しい。ある程度勉強料と時間は。(あーあ、車を走らせる楽しみに30年早く気付きたかった)

自分も、始めた頃はとにかく走りたくて季節も関係なく必死に走って、今考えても若かったと思うけれど、やらなければわからなかった事が沢山あったなとも思う。

夏場の走行後、ヘルメット脱いだら髪がスコールの後みたいになってたとか(ある程度想定内だったので仕込みはしたが超えてたw)、下手こいてタイヤの内圧が上がりすぎると取り回しが悪くなって「どこいくねーん」状態になるとか。他にも色々と。

 

5月に、4年のブランクを経て走ったオーバルスクールを終えて、改めてわかったことは、思った通りまだまだ先があるんだけど、スポーツ走行は昔思っていたほど車を痛めないのであろうな、ということ。

そう言ってみても私が特に速くないから説得力はないかもしれないけれども。

レースを見ていると解説でも「速い人の運転は車載でみても何事もなさすぎて速そうに見えなかったりするんだけど、そういうのが実は速い」という話はよく聞く。あれは本当だと今改めて思う。

 車の能力を最大限発揮させることが、その車で1番速く走ることだと思う。私が自分の車を走らせる場合、それは車に無理をさせることなんだろうか?そうなる前にやるべきことがあって、車の天井は、自分が思っていることは本当にそうだろうかと、とりあえず素人は思った方がいいし、知らないことを習った方がいいし、今まで考えなかったことも一度考えた方が得するんだろうな。

自分がわかっていることは少ない自覚はあるけれど、それでも真っ当な方向に行けば、車の能力の限界を見るよりも前に、おそらく自分の想像を超える結果がでるとか、そもそも自分が車の能力や速さというものを誤解していたというか、さして根拠がなかったことに気がついた。

 

そして体も脳も、やはり習慣と記憶と思考に結構縛られていると、5月のことを思い返すと感じる。

私が速く走れなかった原因の一つは、4年間公道でいかに走るべきかを精一杯考えてきた結果で、以前のことを思えばそれは喜ぶべき進化だったと思う。安全に。無駄なく。爪を隠して。

ただ、公道はそれでいいんだけれど、コースだから好きに走っていいということではないんだけれど、今のままでは若干愉快さが足りない。

車と一緒に楽しんでいるとはある意味言えないだろうな。

気がつけば変えられる。変えようとさえ思えば。変えられればもっともっと楽しくなる。

その方向が、周囲の予想や期待する速さと一致するかどうかは別にして、楽しく愉快に走りたい。車の能力を発揮させる楽しさを味わいたい。

6年ほど前に、きっと私は運転の大原則を知らない。わかってないと感じた。だから車からへんな音がする。苦しそうだ。走らせても楽しいと感じない。

そうなった時にユイの教科書を読んで、ここならと感じて「ちゃんと運転したい」とユイの門を叩いたのだ。大きな意味で目指す所は変わってない気がする。

 

なんとか次の機会を。