るーさんと駆ける 

RENAULT LUTECIA3RSに一生懸命乗っています。こそっとkangooもいます

主婦の休暇はサーキット(の駐車場のオーバル)で〜その1〜

 何年かかけて、五百円玉貯金をしていました。懐かしいポストの形の貯金箱に。

五百円玉入れるのってちょっと勇気要るんだよね(笑)

冬が終わり、春がきた頃、ん?今年は体調が良さそうだ。そんな体感がありました。

貯金箱の底のゴムを取って中身を確認。

スクール2回分の受講料に足りますな。

そこからは参加前提で日々を過ごしてきました。タイミングが合えばすぐ動けるように。

 

しかし世はキャッシュレスへとまっしぐら。

参加費用を振り込みに備えて口座に入れておこうと思ったが、ATMで両替どころか自分の口座への預け入れを硬貨で受け入れてくれなかった!

すっかり時代遅れのオカンは機械の前で瞬間ぽっかーんとして時代の流れを感じました。

 

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思い返せば遡ること4年弱。2018年の秋に右手の中指にちーさな赤い点。

ん?吹出物?

これに始まった「抗酸菌」感染。これが大変だったけれど勉強になった経験でした。

 

ひと月くらいかけて徐々に赤みが広がり、指が痛み始め、皮膚科だけでは感染かどうか確定できないから整形でも見てもらってと言われ整形外科へ。「腱鞘炎」としてステロイドと麻酔の入った注射。しかしこれが大誤診。

ステロイドは強力な炎症どめだが、免疫力は低下する。実は抗酸菌感染だったのだから、ステロイドにより一時的な鎮静の後、菌の巣は大きくなった。中指から手首まで。

不審に思い別の整形外科へ。大きな病院を紹介されて、年明けに手を切開手術、菌が巣くった手の筋膜(腱の周囲を覆う膜)を除去。外科手術では全部は取りきれないのでその後投薬と説明が。

肩から先の麻酔で意識あり。見えないだけマシだが、なかなか痺れる経験だった。

執刀医師とスタッフの緊張と弛緩のメリハリが凄い。医者の世界を垣間見た。

ひと昔前は、手は複雑で、こういう手術は出来なかった聖域だそうで、直後からのリハも、幸運にも手の専門のリハの先生がいらした。

筋膜がないと腱が滑らないので腱同士がくっついてしまう。指が動かなくなる。それを阻止するべくリハに通う。

その間に切除した筋膜から採取したものから菌種を特定。培養して増やすそうだが、抗酸菌はとにかくゆるーい菌で成長が遅い。特定に足る所に増えるまでひと月を要した。

抗酸菌とは、土や水にいる常在菌みたいなものをまとめてそう呼ぶらしい。なので私が感染したのはその奴らのうちのどれか。普通は免疫で廃除される類いで移らないらしい(人人感染はないということか)。近年女性が肺感染を起こす事例が増えてきているとネットの情報では見た。(肺感染は点滴投薬で目安2ヶ月入院と医師から聞いた)

その皮膚感染。過去の事例が乏しいらしく、特定の薬がない。事例の少なさから「これが効いたらしい」の世界。コロナの初期の頃みたいなものかもしれないね。

リハのお陰で、中指の先が最後まで曲がらないが日常にほぼ支障もなく、字も右手で書ける所まで戻った。

しかし。投薬治療の途中で、薬の影響でベッドから立ち上がるのが辛いとか、筋肉のこわばり、おそらく心筋も弱っていて、血行不良からくる下肢の浮腫。

原因を実は断言はされていないが(隠していたということではなく複数の先生の連携なので、なんとなく患者医師全員がお互いに察してしまって誰からも断言がなかった感じ)検査と対処を元に自己調べすると、薬の副作用だと思う。薬って基本劇物なんだよね…。

 

幸い滅菌(といっても陰性確認だからゼロじゃない。言い方として反対はしないがゼロコロナはお題目に過ぎんと思う)がそのタイミングで終了できて、心筋の検査も異常とまではいかず。

あとは「日にち薬」

何かあったら来てくださいと言ってはくれるが、事実上自己管理しかないのは聞かなくても想像がつき…

 

何故感染したのか

何故ここまで副作用が出たのか

今回の医師の対応に疑いはないが、自分が持っている掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)のためのステロイド投与や積年の疲労、整形で処方された、腰痛をやりすごすためのロキソニンの常用、今回の抗生剤の臨時増し増し投与(担当医が毎度薬剤師に一筆書きます)と、過去に緊張性頭痛に整形外科が出してたミオナール長期使用もひょっとして関係あるかな。自己調べで確証はないが自分なりの理解。諸々の複合だからそれを確認できる場所は思い当たらない。

要するに、感染以前に抱えていた不調を改善する事が必要と判断。

腰痛はそれ以前に通い始めていた接骨院で根本の体のバランスを整える定期施術と日々のストレッチで。

掌蹠膿疱症は医者通いとステロイドをやめて(元々先生と相談しつつ減らしてきてた)、今までの薬を調べて、同じ方向性の薬で市販薬程度の強度で問題がないかを長期に渡って試しているが、それも今年に入って過去10数年で1番調子が良い。

緊張性頭痛は物事の捉え方を見直して、自分で作り出すストレスをコントロール

薬は使う時もあるけどあくまでスポット的に。

 

考えた、頑張った。

 

やっとだよ。

 

2018年までのユイレーシングスクール通いで、何か起きるには原因がある、原因を突き止め対処すれば改善できる、という経験をしてきた事が、立ち向かう姿勢として役に立っていると、本気で思う。

わからないことも、調べると意外に出てくる。嘘っぽいのもあるけど(笑)

 

筋力が落ちて自力でしゃがめないとか

しゃがんだら何かにつかまらないと立ち上がれないとか

横断歩道を渡るのに倍の時間がかかるとか

1時間助手席にいたら、車降りる時に体がこわばってるとか

そんな風だったけど

今は小走りはできる。

車はずっと運転してたけど、ルーテシアはちょっとの間我慢してた時もあった気がする。

 

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これも自分でできた。ヘッドライト磨き

(真っ白とか真っ黄色まで行ったら磨く機械がないと辛過ぎだと思います。商品名で探すと作業動画出てきます。)

 

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これも自分で塗れた。

いろんな作業をやってみた。

筋肉は裏切らない(それは心筋もだと信じる)

継続して接骨院で基本メンテしてもらって、私は筋トレはきつすぎて腰をかえって痛めるので腹筋のEMSをワンクールだけしてもらって、とにかく日々ストレッチと、必要な作業は工夫をしてトライをする。し過ぎない程度の負荷をかける。ちょっとずつ無理をする。

それで今のところまで戻ってきた。

筋肉は60超えても発達させられると聞いた。

趣味でなければムキムキになる必要は別にないと思うけれど、筋トレというよりストレッチやバランスチェックは効くなという実感。

伸ばしてみてビックリ‼️という場所はいくつかあったけど…

ただ、接骨院の先生曰く、間違った情報は多いらしい。自分は発信はやめておこうw

 

ということで、最初は6月の半ばの土日のスクール両方参加で豪遊?というのもかんがえたが、遊びだけど遊びでない、真剣に走りに行くのだし、いきなり2連はきっと体が保たないと思い、参加の翌日からの今週は、78にしてお仕事現役のうちの爺さんが「家出するわw」って言い残して4連泊でドサ周り(流しの専門家とでも言えば良いのか)に出かけたので家事負担が減ることだし、それなら暖めていた日帰り参加計画を9割高速バージョンで行ってみよう、とスクール開催の数日前に思い立った。

 

とはいえ4年ぶり?

日帰り…まず間に合うだろうか

車は速くなってる

あー痺れるプレッシャー…

寝付けない

どうにか寝たが3時間ですっぱり起きて二度寝しても仕方ないから予定の1時間前に出発!

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つづく…

競争の中での押し引き

 子供の頃から競争が好きではなかった。理由は、楽しい競争をした経験がないからだろうなと思う。自分が不器用なせいもあると思うけれど…。

あとは、昔から人混みが苦手で、20代の頃はクラクラしていた時もあった気がする。

 10年以上前だけど、日曜の夕方の東名高速で、子供2人を乗せて自分が運転していた時に、両車線皆が狭めの等間隔の車間で90km/hくらいで繋がっていて、ここで誰かに何かあったら玉突き必至状態になっていた時は心拍数が上がって、逃げ出したかった。

とにかく何とかこなしては来るが、競争とか密とか、他にも、その場にいるみんながイライラしている状態の時も、そういう時もあると頭では理解していても、非常に心が揺すられ不安になる。

子育てや介護などをしてきた事で強くなったのか、加齢により感覚が鈍化してきたのか、経験値によって対処法が身についてきたのか、なんかよくわからないが、昔より人の多さに圧倒されなくはなりつつある様な気もする。

悩んだ所で、自分はダメでもないがそう大した人間でもないし、人は自分が思うほど自分のことを気にしていない、といういい意味での開き直りが身についてきたのかもしれない。

誰でもそういう部分が多少はあるとは思うけれども、自身は少しそれが強いのではないだろうかと考えているので、近年はとみに、物事を物理的に捉えるといえばいいのか、感情(自他両方)を抜いて捉えると言った方が正しいかもしれないが、そういう事で処理できる不安もあると思うようになった。

運転するときで言うなら、表現として少々大袈裟なんだけれども、周囲の人の機嫌を取るために運転しているわけではなく、交通状況と交通ルールに沿って運転をするのだという確認を自分自身にする感じ。

とはいえ、公共交通は基本カオスなので、例外だらけで、その場の判断が必要な時はいくらでもあって、結果何事もなかったけれど正解でもなかったかな、と思うことは時々ある。何事も経験だと捉える様にして引きずらずに蓄積する努力。

自分でも面倒臭い思考回路だなと思うし、なんだか変に消耗する時がある。ある意味燃費が悪い生き方かもしれないが、だったらもっと痩せててもおかしくない気もするな(笑)。

 

先日、テレビでスーパーGTのレースを見ていたら、大きなクラッシュがあった。しばらく現場が凍りついたがドライバーは歩いて下車して検査のため救急車で運ばれて、現場を修復し、長い中断の後でセーフティカーランで再開して、そのまま時間いっぱいでレース終了となった。

ドライバーに怪我はなかったらしい。

今の車はすごいな。クラッシャブルゾーンとコアの部分の区別がすごい。壊れていいところは粉々になって衝撃を吸収する。他にも当たり方や壊れ方で幸運があったのかもしれない。

 

以前スズカの最終コーナーのあたりのスタンドで、ストレートエンドで跳ね馬が1台煙の様に消えた(最終コーナーだと遠すぎてそんなふうに見えた)感じでクラッシュしたレース現場に居合わせた時のことを思い出した。

あの時はそのままレースが中止になった。ドライバーが重傷を負ったらしいと知ったのは随分後のこと。

あの時の現場の空気感は、なんとなく覚えている。遠巻きでも空気が重かった。

 

今回のクラッシュの諸々の現場の対応は早くてTV観戦者としては間違いはなかった様な印象を受けたが、セーフティカーランで終了したのにホッとした。

その日は赤旗が計2回出るし、フルコースイエロー開始のタイミングで何かトラブルがあった車両が減速が遅れて、接触をスピンで避ける事態になったり、とにかく荒れたレースで、2回目の赤旗の原因になった車の後続では混乱が起きていた様に見える。当該車両以外の車も無傷でない、かすり傷とは言えない車が何台もあった。

おそらくレースコントロール側も相当頭を悩ませた事だろうと想像するし、乗っているドライバーたちからはレース後に「正直乗りたくはなかった」という声が上がったし、その気持ちは想像がつく。メンタルもそうだけれど、タイヤ含めイレギュラーで予測がつかない事が多すぎる状況だろうと思うと素人考えでも怖い。自分が少々脚の硬い車に乗る様になって想像がつくのだけど、レーシングカーはとんでもなくピーキーな車たち。なので、中止にはせず、セーフティカーランで時間切れでハーフポイント扱いで終了したのはホッとしたし、選択肢として個人的には賛同。

何故事故があったのかはその場でも大筋話題になったし、メインストレートなので皆が見てるし、今はSNSで各所から正直なコメントが発信されているので経緯は明らか。なんかこう幾つもの要因が良くない方に重なりクラッシュが起こり、接触を避けた単独クラッシュで結果乗員が無事だったことで皆の心が救われている感じ。

ただ、これを変えれば今後こういう事故が起きない、という100点満点な全体的決定打は難しいのではないかな、とも思った。

レースで飯を食っている人たちは負けられない。勝つために365日を生きてる。今回の当該車両にもそれぞれの事情があってあの位置関係になった。報道等でもよくわかった。

 引く、抑える、堪える、というのは競争の中では難しい事だと思う。

あまりに安全パイに走りすぎて競争を放棄するのは、周回路なサーキットではレース全体を混乱させる要因となることもある。戦術でジャンプアップを狙って、その後のペースが持たないのに譲らない、というのも限度があると思う。

競争って高度になるほどに難しいよなあと思う。当事者はみんないろんなものを背負って大変だと思う。

精一杯できることをするのと勝機を手繰り寄せる、というところの線引きを悩み続けるのかもしれない。

多分、次戦が始まるまで、当事者たちはモヤモヤするんだと思うし、それが気の毒だけど、良いレースをしてくれるのが解決策だと、当事者がみんな言っている気がするし私もそう思う。

 

競争なんてするから事故が起きるのだという考え方は賛成はできない。裏返せば、競争しなければ交通事故は起きないのか?サーキットの事故率と、公道の事故率を比べたらどうなるんだろうか。

ルールを決めてそれをしっかり守って無事故で成立しているレースの方が多い気がする。むしろ競争していないフリー状態の走行の方が目的がバラバラである意味怖い。だからこそ縦横無尽にそれぞれの目的が絡み合う一般道では信号があり制限速度がある。それを裏返せば、制限速度を無視するというのを皆どう捉えているのだろう。

私が唯一参加した経験があるレースはユイレーシングスクールのレース(フジショートコース)だけれど、みんながそのコースの走り方を教わってきているし、スクールに何度も参加して、危険な走行にはある程度予兆があるらしいことがなんとなくわかってきて、多くの場合事が起きる以前にそれが指摘されているという信頼を感じている。運転そのものに対して共有しているものに確信が持てたので出てみようと思えたし、落ち着いて、無理をせず精一杯走れた気もする。車の性能にも違いがあるので、遅いなら遅いなりに、失敗のない様に出来るだけ乱れない様に完走できるように。

レースが進むにつれ、コーナーで周囲の車のタイヤの音が変わっていった事を良く覚えている。130分でトップから10ラップ遅れた最下位なので各車に10回ずつ位追い抜かれている。後半ほどキュッキュが増えていった。(前の相棒車で130分を2人で半分ずつ走りました)

 

そして、公共交通の中で競争をするのは良い事がない。ロクなことがない。たまになんか絡みたそうな車に遭ったことがあるけれど。最近そういう機会がなくなった気がするのは自分がどこにもいってないからか、私自身の運転が変わったからなんだろうか。

グリムった(笑)

 連休も後半に入りましたね。夫が大型連休ない職種だし、「お願い」がなくても割と篭りがち?な嗜好な一家は、めずらしく揃ってお休みなのが数日あったのですが、自宅で各々のんびり。

私は昨日の昼間は大変だったレースを見て、晩は何となく親子で鬼○の一挙放送を途中から見始めてしまい…あー…○が飛ぶ飛ぶ…(^◇^;)

ジブリのアニメのもののけ姫の予告編に腕が飛ぶシーンがあって問題視されたのがひと昔前に思えます。

というかもうリアルの世界がね…。

なんかこう釈然としないことが多すぎて、諸々忘れて苦手な人混みも避けてとにかく休もう、そんなGWです。

 

そんなことの合間で、3年以上ぶりだと思いますが、るーさんの内装の栄養剤を塗り塗りしました。(本音はもうちょっと寒い時期にやりたかった)

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前回同様、使ったのはオートグリムのプラスチック&トリムコンディショナーです。個人的には、ほぼ内装専用としています。

ボトルが大きくて、そこから都度クリームを出して塗っていくには重くて使いづらいのと、過去に使っていた同じくオートグリムのバンパーケアもボトルも、蓋がもげるのがお決まりだったので、主婦ちっくな(笑)ドレッシングボトルに詰め替えて、本体は保存用容器みたいにしています。

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これなら車内であっちこっち塗るのに持ち運び楽だし、ちょっとだけ出したい時も便利。

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ビニール手袋の上に使い古しの綿手袋をして、指のところにクリームを出して塗れば狭いところが塗りやすいので、今回もそれで。

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塗る前

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塗った後

 

 

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塗る前

 

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塗った後

 

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外装で唯一塗るところは

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こういうところのゴムトリムだけです。

このコンディショナー自体は外装に使えるものですし、ラベルには外装用的な書き方がしてあるのですが、外装プラはワコーズのハード系コート剤の方が耐久性が良いなと私は思っているのです。ワコーズのはゴム用ではないのでこういうところはオートグリムの方を塗り込んでみています。ただ、雨後にボディに垂れると厄介なので、晴天続きの時を選んで、ごくごく薄く、内装を塗った後の手袋に染み込んでいるものを擦り込む程度にしています。

↑写真は塗って一晩経過後なのですが、雨で垂れないように、染まずに浮いてる所を拭き取りました(写真↓)。乾くというか染み込む前に雨が降ったりしてボディに垂れると、普通のカーシャンプーで落ちないです。なんとなく垂れた後が残ります。それだけしっかりした保護剤だってことの裏返しだと思うんですけどね。

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とりあえずこの状態で予報通り数日雨が降らないことを祈ります。

水がかかるところは薄く塗って回数を増やすしかないかな。トリム交換したら高そうなので、早めにこういうことを始めて続けて行くことで延命できたら良いんですけどね。どうでしょうか…様子を見ていこうと思います。

内装で面が大きいところは、手袋よりもスポンジの様なものを用意してもっと「面塗り」を綺麗にできる様にしたいですね。

 見た目もいろいろ努力はしていますが、追いつかないところも出てきました。あれもやりたい、これもまだ…と。先立つものは足りないので、できるところはDIYで今あるものの延命を目指します。

もう一度るーさんと駆けたいな、ひょっとしてそれが最後になったとしても。

 いろんなレースのレースシーズンが始まりました。今朝の国内フォーミュラのフリープラクティスの配信をスマホで見ながら、古いPCに鞭打って入力スタート。

昨日の予選はドライコンディションで、ポールポジションを獲得した選手の予選のオンボード映像を見ながら、速いなあ〜すごいなあ〜と別次元の速度域、グリップを想像していました。ダウンフォースというのは言葉の意味としてはなんとなく理解していますが、実感として「こういうもの」という理解はしてないなあと思います。する機会ないなあ。今回スズカでのレースなのですが、走ったことがあるコースは、ことさらプロのフォーミュラの速さがわかりやすいですね。予選のポールは1分36秒台だったように思います。ははは。はやっ!!!!こういうのを見ていると、自分がサーキットを走る意味って‥って思ってしまうんです(笑)

 私、もう7〜8年前になってしまうような気がしますが、車の運転を習ってみたいと思って、某サーキット併設のドライビングスクールに何度か参加させていただいて、一般的な運転講習的なものから、スポーツ走行前提のものもあり、その中でサーキット経験者に混じってミニコース走行もしましたし、ブレーキ練習、コーナリング練習、スキッド(ウエット路面)も経験しました。

でも、何かこう自分が知りたいこと(当時はそれが何かがわからなくて困ったが、結局車が動く物理的なものだと今にして思います)は教えていなくて、まあとにかくやってみよう、経験から体得しましょう的感じなのと、他にも思うところが色々あり、その頃ミニサーキットに通いつめたりもしてみたのですが、速く走ろうとするとうまくいかないので、結局もっと根本から知りたいと思ってユイレーシングスクールに参加するようになったのですが。

 車が走る理屈を考えるきっかけがつかめてきて、車を安定して走らせようとするようになり、短くは書ききれない色々な思いがあり、相棒をルーテシア3rsに変更しました。

それとほぼ同時に、スポーツ走行の資金が予定通り尽きて、その上体調を崩し、今に至ります。最後にフルに走ったミニサーキットでのユイのスクールで、3rsで出せたベストタイムが、あとで調べたら、車が同等レベルの確証ないので特に誰にも言わなかったけど、初走行でそのコースのサイトのランキングの、同程度に近いかなと思われる車種の所の下の方のタイムにかなり迫れたのが密かな喜びです。貸切スクールなので1日走り続けて最後の方です。

ユイに行く前は、(違うコースで前の相棒でですが)ランキングどころか、どれだけ走っても、いかにもビジター的なお兄さんが86でハイグリップタイヤで出したタイム(走りながら電光掲示見ただけなんでその人のベストかどうかも不明)とそんなに変わらず、鈴鹿でもベストが3分15秒くらいでした。(2リッターシングルカムのBMW318ciにミシュランPS3)

ユイ数回参加後、10秒台までベストは伸びて、その後のユイのスズカの走行会では雨上がりの湿度90パーセント越えのコンデションプラス、インチダウン幅ダウン、タイヤランクダウンもあったし(その割とすぐ後に直すことになったので、今思えば)アクセルワイヤー伸びかけててストレートの加速鈍くて、ベスト更新はならなかったけど、タイムアップのポイントに確信がもてる結果が出ました。

(休憩を挟んだ2回のセッションで、1回目ベストが自身ベストより大幅落ちで、休憩中に考えて、その時自分ができることの最大限はこれだろうという考えを実行し、後のセッションで5〜6秒アップ)

諸々ユイでの練習と思考の結果だと思っています。その後幸田のスクールを最後に、相棒が3rsになってからはスズカは走れていませんし、最後の幸田のスクール以降全くスポーツ走行はしていないという、勿体無い結果に今のところなっています。

「何のために乗り換えたの〜」って言われてもおかしくないでしょうねぇ…私もそう思いますが(苦笑)

 ちょっと長くなりましたが、そういう風に車が走ることを練習して、自分なりに勉強して考えて、公道レベルでもずっとそれが頭から離れなかった間に考えてきた中で、自分の現状を照らして、近くのサーキットのフリー走行に行こうと思えば行けても走りにいかなくなったり、テレビのレースを見ながら冒頭に書いたようなことを考えたりしてしまうわけです。昨今のエネルギー事情など考えると更にね。

 

誤解を招きそうな気もするので、付け加えますが、一般人がこのご時世にスポーツ走行をするのを自分も含めて否定する気持ちはありません。どっちかいうと逆です。

どうしてちゃんと教えないのか、どうして練習しようとしないのか、過去の自分も含めてですが。

感覚だけを頼りに公道(サーキットでも同じですが)を走りながら、何かを掴むのを待つより、スクールで基本のきを知って練習する方が確実です。速く走るためにはまず安全に走ることが何よりも近道だということを理解すれば、速く走らなくても安全でいい人はそこですでに収穫があるわけで、公共交通にも寄与できます。経験上で言うと、そうは言っても遅くはならないです。

だけど、モータースポーツはお金がかかります。また、よりお金がかかる土壌が出来上がっているようにも見えます(スポーツ走行=車をいじって強化するものだ、っていう土壌。これに関しては思うところがあるけど私の想像でしかないし個人の自由かなと思うしケースバイケースかなとも思うので割愛)。

お金が比較的安めなスクールにも行ったことがありますが、あんだけの施設備えて、素人オカンが走って何も起きなくて何も教えてもらえず、走っただけに終わり、その後サーキットでアンダーでまくった結果が自分だけのせいなのか、その後の勉強を経て非常にギモンに思っていますが、特に声を大にして言うほどの確証もなく。

公共の違反者講習は、地元は施設が建て直しになったが中身は変わったのだろうか?違反とは無縁になって数年、きっと知る機会がないと思う。ないようにしようと思う。

自動車学校も子供達が行っていた頃に建物がリニューアル中で、その後WiFi環境がよくなったらしく、じゃあ他はどうなんだろう。

文句ばかりになるのでこの辺であとは割愛ですが、結局のところ、車を運転するのであれば、車がどういうもので、車をどういう風に運転するのがいいのか、公共の安全とはどういう仕組みなのかとか、公共の効率というのはどういうことなのかとか、そういうことをもっと知らないといけないというか、知った方が楽なんです。知った方が得をするんです。

考えたら最低限のことはわかるし、「だから女は」と言いたくなる男性の主張も少しはわかる。

私は「男は理系、女は文系」という社会で育ってきた世代です。女性は男性に車に乗せてもらってデートに行く、と考えていた世代です。社会的にそういう流れがあるのに、いざ子供を持ったら子供の送り迎えや日々の買い物に車は必須、外へ出れば「女性は遅い」「女やから仕方ないけど、もっと考えれんのかい」という反応も耳にしたり感じたりした事もあります。それに甘んじていたり、自分への言い訳にしていたり、今思えば自分自身も含めて理不尽やわ。私は夫のMT車にチャレンジしたりしてて、運転の仕方や交通の中でのコツも多少教わったし、スクールやサーキットも止められなかったのは感謝ですね。

目立ちたいとか、男性より優位に立ちたいとか、タイム出したいとか、まーったく関係なく、自分の業務や趣味に対してメリットがある、自分と家族が楽に安全に移動できる。それが大事。

 それを社会的に一気に解決する方法は到底思い当たりませんし、いまの現状として先ほど述べた文句も、日本の土壌として良い悪いというよりも致し方ない部分も多くあると思います。何よりも問題が起きないことを優先する社会だと思うので。小さい問題が起きないことで大きい問題が起きないとは限らないとも思うのですが。運転の練習場としては環境を整えてあるのに利用できてない例もありました。

だから自分で習いに行って自分で考えることが一番身になって近道です。スポーツ走行や、自身の参加経験は少ないけどレースには、公共交通のヒントがありました。

だから一般人が経験してみることを無駄だとか思いません。結果的に資源の無駄遣いの削減と危険の回避につながると思うので。ただ、そういう意識を教える側が持っているかを見極めるのが難しいです。

 

私自身が、スポーツ走行するかどうかを、レース見ながら迷う瞬間があるのは、自分が置かれた立場によるところが大きいです。

もう何年もスポーツ走行していないし、車も変わりましたし、それまでの経験値も浅いので、いきなり大きなコースに行こうとは思いません。行くなら私の場合はユイのスクールですね。(他だといじってないと居場所ない感も感じますし…。)

過去に行っていた時はとにかく知る必要があって考える必要があって、それが家族にとっても必要だったと思うし、他で同じことをやらせてくれるところは今の所思い当たらないので、ある程度趣味以上の大義(笑)があったのですが、今となると、とりあえず日常に支障がない思想と技術にはあるという自負があるので…なんか複雑です。スポーツで走る時は速く走ろうとします。精一杯できることを冷静に。そうじゃないといけないと思っています。

開催場所が近かったら…とも思うし、自分が走らなくても下働きという選択肢も考えたのですが、いろんな意味で修行が足りないというのがずっと頭から離れませんし、その一部が他の人にはともかく私は一生かかっても無理な気がしています。足を引っ張ってしまってはいけないし…結局個人的にそう思っているだけですが、もう何年も経ってしまったし諸々の総合で、私個人としては現状では役には立たないという意識でいます。

 

体調を崩したことは想定外でしたが、他の事の想像が当時からついていたのにルーテシア3rsを相棒に選んだのは、個人的にはあの時でなければ資金が捻出できなさそうな予感。良いのを持っている人が手放さなくなる&淘汰されていく率が上がるという想像が理由。

もう一つは、二段カムの爆発力満点の加速は実はちょっと自分には重荷かなと思ったのですが、あのサイズで、つるし(買ったまま)で街乗りとサーキットの両方が視野に入るからです。

スポーツ走行は車の維持費と燃料費と参加費と消耗品費という課題がありますが、じゃあ例えば軽で普通の足回りとタイヤで…その状況が遅いから格好悪いとかそういう意識はないし、確かに諸々単価は安いんですが…やってみたことがないのでわからないが、結局交換頻度や周囲との兼ね合いなど不安なことがいくつかあったのと、私には理由が説明がつかないのですが、自分が知る限り輸入車の方が日常でも運転が楽しいです。国産車でアフターパーツ考えると、お金かかるのもそうだし、結局ハード系でいじってるのと同じことになります。

いくつか難点もあるので、同じような立場にある方にとって3rsが大正解だとは実は思っていないし、私自身ちょっと目指しているところとは違うような気もしますが、3rsは、スポーツできたとしてもできなかったとしても納得のいく車で、今そうであるように、持っているならスポーツしたいと思わせてくれる車…ということに、今改めて再認識していますが…なっていますね。じゃあ何ならよかったのか?別回答はあったかなあ?中古車は縁もありますし…。自身はそういう決断って割と直感的に行く方なので、あくまでも個人的な結果でしかないです。

ずーっと手放すことと維持することの両方を腹に抱えていて、どちらにしても車として最低限粗末にしない、大切な相棒です。

あの数年の練習と数年の思考をもう一度だけはわがままで確認したい、その後はできれば時々走れたら、それとも…これも可能不可能両面を抱えて、機会を伺っています。

 

レースの決勝が終盤です。みんなすごいなあ。推し数名(何人おんねん)がみんな入賞圏内だよお〜頑張れ〜

周り賑やか、自らは休憩、現状維持

4月も後半になりました。

我が家周辺は賑やかです。

近所のお子さんが小学1年生になったり、ツバメ的一等地の隣家の軒先では例年通り家主さんとツバメの戦いが繰り広げられています(家主さんは完成する前に落とす主義)。ツバメも最初は再チャレンジするのですが、毎年家主さんの根気で勝利されてます(あの場所は作られると辛いよなあ)。

 我が家の古巣は巡回には来ているものの、まだ入居には至っていません。今年は入居があるだろうか?

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そして今朝、すっとんきょうな鳴き声が響き渡りました。キジも鳴かずば撃たれまい、のキジのおっちゃん、今年も健在です。

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本当に、鳴かなければ、草にまぎれてわからないのになあ。

 

こんな感じで、自然や生き物たちの方は春を謳歌していて、眺めているだけで和みますね。

一方振り返ると人間たちは。

うーん、もう個別にあれこれ言う気が今はありません。入ってくる情報を黙々と消化したり聞き流したりしつつ、できる範囲で「考える、知る」この繰り返しです。

五十路を迎えて、本来ならば10年先20年先のイメージを持ちたいのですが、正直、今はイメージが作れません。先日も、ひと世代前の父親がちょっと無謀というか、あと世代のことを考えてないことを言い始めて、気持ちは想像がつくので申し訳ないが大反論させていただいたばかりです。

聞いてはくれるので、まだ良いのですが、世代間ギャップにめまいがする思い。具体的なことは申し訳ないが避けますが、

あなたは「俺の気持ちをわかってくれ」であと世代の「現実的負担」(我々と言うよりも孫世代が大変になる話)を増やす様な事を言っているのだという話を必死にしました。これねえ、いろんな分野で日本中あちこちで今ある話の様な気がします。

そもそも私のわかって欲しい40年越しの気持ちを封印してるのだが。それが滲んでしまったのが自分の反省点だ。

 

まあ正直五十路の自己実現や将来設計はまだまだ出来なさそうです(笑)。かえって15年くらい前の方が将来やりたいと思っていたことがあった気がしますが、なんか、考えが甘かったという部分もあるのですが、同時に当時思っていたことを今の世の中でやるのはなんか違うなと思える変化が世の中に起きてる気もしています。あとは、なんか不透明感半端ない。

 後ろ向きに聞こえるかもしれませんね。実のところそうでもないんです。見えないわからない、というよりも、何に対して頑張ったら良いのか、今判断せん方が良くない?って思っているだけで。

そもそも、特別に何か才能があるわけでもなく、自分の自立の出発点は住宅手当なし手取り11万で家賃5万円光熱費2ー3万生活なので、最低ライン食えて寝れれば良い人間です。

生まれ故郷や土地に対するこだわりも郷愁も若い頃にいろいろあり捨てましたし、物や人様からの評価にもあまり執着がありません。仙人ではないし悟りも開いてないので、好みはありますしものを選ぶ気持ちもありますが(選ばないとかえって損をすることもあると近年知った)、執着はありません。この20年ほどの人生と、看病介護子育て地域の仕事の結構辛い経験、運転の練習と思考回路整理で一層そういう傾向が強まりました。他の家族がそうかどうかはわかりませんので、一概に私が家族の行末を決める気もありませんし、自分が家事を引き受けて選択権を持たないことが今は家族各々の効率につながっているという自負があります。

本当にあれでよかったのかといまだに思い悩む出来事も幾つかありました。この先できることなら他の家族が日々の良いことも辛いことも納得して生活してくれたら良いなあと思っています。

まあ、まだ人生先があるという思いと、いつ死んでもおかしくないという思いとの両立がこの先の人生なのでしょうね。

まあ、世の中狂想曲状態なので、参加して踊るのもこの歳じゃ疲れるしそもそもそういうの苦手。参加しても何にも役に立てないし。何かと身軽になりたいが、何を動かすにも好機ではなく、待つが得策っていう時ありますよね。(そう思いながら好機を逃す人間もいるとも思いもするただの凡人、凡庸人)

 

しかし。なんもかんも値上がりでびっくりですが、前述の通り食って寝れれば良いなら何とかなる性質ってのはありがたいね。とにかく現状維持に専心します。

 

花が咲いた、新芽が、ツバメ飛来

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今年は芝桜がよく咲きました。他の花もよく咲きます。コナラの新芽も出てきたし、ツバメも飛来。初飛来は1週間以上前で、我が家の古巣にも何度か飛んで来ていますが、この数日の暑さで活発化している様です。近隣の田畑に水を張る準備をされている様子なので、ツバメたちもスイッチオンなのかな。

今年は巣に入居するんかしら?

カエルは鳴くしいろんな鳥は鳴くしで、まあ賑やかです。

 

 

賑やかな春。暗い話も多いですが…聞けば聞くほど、知れば知るほど…いや、ここでは…。

今年は、近年植物お休みさせていたところにひまわりを植えようと考えています。早く侵略がおわります様に。

世界史って本当にやったのか?っていうくらい知らなかった

 小学生の時、何故か伝記ものか好きだった時期がありました。とはいえ、同じ本ばかり何度も読んでいた気がします。徳川吉宗と家康だったかな?あとは学研マンガの「いぬのひみつ」が好きだったのを覚えています。

 

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写真の本は、本屋で平積みされていて、目に止まって買ったのが2月だったと思います。日本史から読み始めてしばらくしたらウクライナ侵攻が始まりました。

合間合間でちょっとずつ、とりあえず日本史、世界史両方読み終わりました。ワタクシここ20年で1番ゆっくり生活できている感があるのですが、改めて、こうやって本を読む余裕ができたんだなとしみじみ思います。(家の中の整理整頓、片付けも徐々に進めています。)

 

この本、年号を使わず、ストーリーとして流れを掴む事に重点を置いた本です。そういう風にした理由も前書きにきちんと書かれています。

高校で習う世界史のアウトラインを辿る感じなんですが、ところどころで著者の見解や解説が今風の言い回しも使って入っていて、楽しく時代を辿れました。

 

高校で世界史やっているはずなんですが、まーったく覚えていません。読んでいても、びっくりするくらい全く初めて聞いたような感覚でした。もうちょっと知りたいなと思った事はあるわけですが、それはまた、それこそ検索かければ個々の事は出てくることなので。

 以下はあくまで個人的感想ですが…書いてあることはあくまでアウトラインとか一般的な流れなので。総じて、統治者たちの苦悩と傲慢さが印象的。宗教対立とイデオロギー対立は深いです。

近現代に於いては自国の領土内で戦争をした国は長引くほど国力が下がり、他国が戦場の場合、参戦し勝ったらある意味得をする。でも戦争はしないに越した事はない。翻弄されるのはいつも一般人。

結局紀元前から戦いの連続で、「人権」が騒がれるようになったのは歴史的感覚で見れば最近。やはり画像や映像で戦場が映るようになった20世紀。それまではやりたい放題だっただろうと想像がつきます。

そして第2次大戦後も、結果的に何も終わってはいないんだって事を改めて確認することに。

ロシアは結局はずーっと何度も南下を試みているし、クリミアとウクライナを取りに行ってる事は随分昔にも何度か。いわゆる「地政学的リスク」っていう事なんだろう。

2次大戦後の冷戦の構造や東西ドイツソビエト崩壊などの大まかな全体像も以前よりはっきりした。ニュースを見る目が少し変わると思います。

中国が香港や台湾を取りに行きたいワケ、単なる領土広げたい問題だけでもなく思います。アメリカにとって台湾とはどういう位置付けで、何故それについての発言を特に取り上げてニュースにするのか、何故日本は親日台湾を公式に国としてないのか。認めるか否か、どっちが正しいとかいうよりは背景を全く知らないということが問題だと思います。

宗教同士が定義として相容れないこと、共存する場合、政治的イデオロギーも然り。印象的な話もいくつか。

 

高校の世界史はどこまで進んでいたのか、記憶がない私も悪いけれど、受験に関係があるかどうかで重要性を考える空気感が高校時代を無駄に過ごしてしまった気がして勿体ない事をしたなと思います。どうしてこんな興味深い話を知らなかったんだろう。

それが何年にあったかという事は確かに後で整理すれば良い話で、先にストーリーとして理解する事は意味があるなと思います。

悲しいことにちょっと固くなってきたアタマでは細かいことは抜けていきますが、良い機会となりました。

それにしても19世紀的戦争と21世紀的戦争の対決のように見える今回。でも、歴史は繰り返す…とも思うのです。人間って変わらないんだなあ…(T ^ T)